37:かみ合わない生まれ
夜も更けたランミッド峡谷砦。
その中にある大きな扉をしっかりと閉ざした木造小屋。この暗闇の中に私の黒い車体はある。
この建物は砦を修繕する過程で作られた、私の寝床となっているガレージだ。
明かりの消えた小屋の中で私が休んでいると、ふと開いた隙間から月明かりが差し込んでくる。
「こんばんは、ライブリンガー」
「おや、ホリィ。どうしたんだい、こんな暗くなってから」
冷やりとした月明かりにヘッドライトを持ち上げて見れば、訪ねてきたのは金髪碧眼の娘、ホリィであった。
「壁に囲まれた中とはいえ、あまりうら若い女性が出歩くような時間でもないと思うのだが?」
「ごめんなさい。でもなんだかライブリンガーが心配になって、つい……」
私の苦言に素直に頭を下げた彼女だが、私が心配になった、とは思いがけない言葉だ。
いや、ありがたい話ではある。だが昼間に何か、彼女を不安にさせるような様子でもあったのだろうか? いや、心当たりがないから思いがけないのであるが。
そんな疑問を捏ねている内に、ホリィはガレージの戸を閉めて、私に寄りかかってくる。
「グリフィーヌ……さん、のこと……心配なんでしょ?」
「ああ。昼間にみんなと話した夢の話か」
なるほど、合点がいった。
しかし話を続けるなら、車体に触れていたままでは冷たいだろうと、私はドアを開けてホリィを車内へ迎え入れる。
グリフィーヌが襲撃を仕掛け、ウィバーンの横槍で決着の流れたあの戦い。その日の夜に、また私はネガティオンの目を通した鋼魔の様子を見ていたのだ。
「……というわけで、この空将グリフィーヌは、あろうことか敵のライブリンガーと結託して人間どもを手助けし、砦攻めを妨害したのだ」
「何を言うか!? 妨害と言えばそもそもキサマが、参謀が先に私たちの戦いを邪魔したのではないか!?」
私が共有しているらしいネガティオンの視界の中で、ウィバーンとグリフィーヌが魔獣形態のまま睨み合っている。
しかし掴みかかり、ついばみにかかりそうな勢いのグリフィーヌに対して、ウィバーンの態度はあくまでも話し合いに立つ事務的なもの。余裕さえ感じられる。
「邪魔とはまたおかしなことを言うな? オレはオレで魔獣に攻めさせるから、お前はお前で決闘を楽しんでいればいいと言ったはずだぞ?」
「詭弁をッ!? それで彼が集中できるものか!?」
「やれやれ、ネガティオン様のためを思えば勝ちを得ることを優先するのが当然だろうに……」
「話をすり替えるな! だいたい、勝利をと言うならあの段階では私が機動力で押していたぞ!? 人間たちの側で脅威となるのはライブリンガーのみ。ならば、彼一人を討ち取れば我が方の勝利。烏合の衆を相手取った退屈な蹂躙作業に戻るのだろうが!?」
互いに譲らず主張する翼持ちに、回りの鋼魔の将たちも顔を見合わせる。
「おい、どう思うよクァールズ?」
「俺? 決闘なんて俺の流儀じゃねえからな。話としちゃあウィバーンの言うことの方が真っ当だと思うがね。そう言うお前は? クレタオス?」
「お、俺か? 俺は、そうだな……理屈こねて楽しみを邪魔されたらムカつくからな。手強いのがあの野郎だけって意見ももっともだし……」
「お? その手強いのを潰した手柄をグリフィーヌに独り占めされても構わないってことかい? 随分とお優しいじゃないか」
「そ、それもそうか!? 手柄の独り占めは良くねえ! 良くねえぞ!?」
「横入りはやっちゃダメなんだぞー」
「そうよねーグランガルト様は偉いわねー」
大きな壺から出たマシンテンタクルに撫でられて心地良さそうにするグランガルトに、クレタオスとクァールズは首をがくりと落とす。
「お前はちゃんと分かって言ってんのかグランガルトよぉーお!?」
「それにラケルも、海将とその副将として、その……どうなんだ、その絡みは?」
「あらぁ? そう言われても、これがグランガルト様と私なりのスタイルなんだもの、ねえ?」
そう言いながら大ワニを愛でる触手の数を増やしつつ、壺から身を乗り出したのはタコだ。
口調からして女性らしいラケルは、そのままグランガルトに触手を柔らかく巻きつけて撫で回していく。
これにグランガルトは、心地良さそうにただされるがまま。
この様子にラケルの目は優しくも妖しく瞬く。
どうも睨み合う空の将たちと違って、水系の仲は良好であるようだが、また違う方向に特徴的でもあるようだ。
「オホンッ! とにかく、グリフィーヌの行いが我ら軍団の秩序を乱すものであったことは事実! 厳重に処断するべきだと考える次第だ!」
話の流れを引き戻す咳払いを挟んでウィバーンはグリフィーヌの処罰に同意を求める。
これを受けて、ネガティオンが立ち上がると、好き勝手に喋っていた鋼魔たちが一斉に口を閉ざして平伏した。
「ウィバーン。お前の主張はよく分かった」
厳めしい魔王の言葉に、グリフィーヌは小さなうめき声を漏らす。
一方で平伏して隠れているウィバーンの顔が愉快げに歪んだのが分かる。
「だがお前の妨害が、目障りなライブリンガーを討つチャンスを逃す原因であったこともまた事実!」
「そ、それは……ッ!?」
しかし続いたこの言葉に、ウィバーンは反射的に顔を上げ、しかしすぐさまに反発の言葉を飲み込んで伏せる。
「正々堂々の戦い。手段を選ばぬ勝利と手柄。お前たちが何に拘ろうと構わん。存在意義である我の望み、人間種族の殲滅を忘れず果たしているのならばな」
この釘刺しにウィバーンもグリフィーヌもまるで見えない手に押さえつけられてしまったかのように、さらに小さく平たくなって。
しかし私はこの言葉に、鋼魔の皆がネガティオンの殺意を満たすためだけに存在するとでも言わんばかりの言葉に、反発を感じていた。
だが、ネガティオンに私の反感が通じる筈もなく、鋼魔王は圧力に押し黙った配下へ沙汰を下す。
「まずウィバーン。貴様はしばらく前線に出ることを禁じる。作戦を立て、我の名においてそれを実行させるのは良し。しかしあとのことは現場の判断に任せよ」
「なんとッ!?」
「不服か? 敵の刃の届かぬところで策を弄するのはお前の好むところだろう?」
ウィバーンからぐうの音も出なくなったのを確かめたネガティオンは、次いでその目をグリフィーヌへ。
「お前も、我が直々の許しを命令を下すまではライブリンガーとの直接戦闘は禁止だ」
「そんな!? ネガティオン様、それだけはお許しをッ!? 彼との、ライブリンガーとの戦いは、私にとって替えがたいもので……ッ!!」
魔王に睨まれながらも、勢い緩めず食って掛かるグリフィーヌだが、いつの間にかその鼻先に突きつけられていた鋭いものに止められてしまう。
「ディーラバン……殿!?」
グリフィーヌを無言で制止して見せたのは、黒い騎士だ。
二本角を生やした馬の意匠を持つ機械騎士は、その兜の奥からの緑色の光をグリフォンの女騎士に浴びせる。
この圧力に、さすがのグリフィーヌも嘴と爪を収めて引き下がる。
主君の前というのもあるだろうが、参謀相手のように口論を続けずに結果を受け入れている所から、このディーラバンという鋼魔騎士の実力と人望の高さが見えるというものだ。
止められて渋々ながらも矛を収めたのを確認したディーラバンはうなずいて突き付けていた槍を虚空へ向ける。
するとその先端から放たれた光が空に地図を描き出す。
うつむいたCの字を描く陸地の地図は、私たちが存在するこの大陸を表したものだ。
その三隅に竜と獅子とフクロウを象った石像の画が現れ、星座でも描くような光点が陸地に重なって灯る。
「それは……?」
「……人間どもの語る、聖なる獣の石像と、その分かっている限りの在処だ」
「それを私にやれと、そういうつもりなのかディーラバン殿!?」
グリフィーヌが確認するのに、ディーラバンは再びうなずいて私を、ではなく主君であるネガティオンを見る。
「ほほう。もしそれが本物であるならば、我らが集めてしまえば人間どもに味方するものは減る。イルネスメタルで配下に引き込むも良い。その功績をもって処分を解け……あるいはいっそ決闘の場でも設けてやれと?」
要求するところの全てを言い当てられたのかディーラバンは訂正もなにも無く、ただこい願うように主君に頭を下げる。
「よかろう。きちんと果たせた暁には戦線復帰も考えておく」
ネガティオンの宣言に鋼魔たちが改めて頭を下げたところで、この夢は終わった。
この限りなく正確に鋼魔の様子を伝えてくれている夢の内容を、マッシュたちに語って向こうも聖獣像探索を始めたことを知らせたのが今朝。
そしてビブリオとホリィの証言という後押しもあって、私たちもこの峡谷砦を拠点として像の探索を行うことが決まったのである。
「しかし、処罰は軽く収まったとはいえ、夢で見た様子からすると、ね……」
手強い相手であり、人を取るに足らぬと見下したところもあるが、闘いにおいては常に正々堂々とした共感できる存在である。
しかしそれだけに権謀術数には弱く、軍団という集団の中では追い詰められやすい。
分かり合えるかもしれない。少なくとも共存できるかもしれないと思える鋼魔族であるから、どうしてもそのあたりは心配だ。
「……どこも、色々あるから心配になるわね」
「ああ。私も味方になってくれる皆がいるが、立場のある人たちにとっては、鋼魔との戦いがなければこうまで歓迎できる者ではないだろうからね」
人類種族の連合を一方的に追い詰めていた敵勢力。それに対する降って湧いた抵抗力である。
大勢を預かる立場となれば、手放しに受け入れられはしないだろう。
「立場がある人……か、そんなの知らなかったし、欲しくも無かったのに……」
「ああ、ホリィはいきなりに足元から生えてきたようなモノだからね」
私の仲間として、救護班の代表格で最前線に従軍しているホリィであるが、反対を振り払って強引にここまでやって来ている。
しかしそれは彼女の行動からついた「聖女」という称号ゆえにではない。
唐突に、本当に唐突に知らされた「王女」である可能性のためにだ。
ホリィを見た時のメレテ王様の様子からして何かあるだろう気はしていた。
それをある貴族たちが実際に調べたところ、どうも王様が手を出した奉公人がラヒーノ村に流れたという話に行き着いたのだとか。
「……辺境村の孤児出身の神官に、アナタは王女様でございますだなんて、なんて御落胤の出世物語よ……」
絞り出すような声とともに、ホリィは私の中で丸くなってしまう。
ホリィを産んだお母さんは父親のことをはっきりと伝えることなく無くなったそうで。だからフォステラルダさんも、誰ぞ高位の貴族がお手つきしたパターンだろうと目星をつけて、ホリィに伝えてはいたようだが。
メレテの王様が予想を超えるレベルでだらしなかったということだろうか。
しかしそれはそれとして、どう慰めたものだろうか。
明らかにホリィは苦しんでいる。
それは青天の霹靂にひっくり返されてぐちゃぐちゃにされた自分のルーツのためにだろう。
「ホリィの場合は、いきなり出来た立場に無理に付き合う必要はないと思う」
この一言に、周囲を拒絶するように身を丸まめて固めるホリィの腕が緩む。
そう。血筋の云々はホリィの与り知らぬもので、なんの責任もない。そんなものに付き合う必要はどこにもないだろう。
ましてや、聖女と呼ばれて評判を上げている王女様という、出来すぎな御神輿作りに協力する必要などあるはずがない。
「……そ、そう? なのかな?」
「ああ。血筋がはっきりしたところで、ホリィの何が変わるというわけでもないだろう? 傷ついた人を助け、友や家族のために出来ることを尽くす。そんなキミの何が変わる?」
「それは、そう……だけど……」
王族として期待をかけている人がいるのなら、と考えているのだろう。ホリィの顔は浮かない。
責任感が強いのはいいことなのだが。
「聖女とまで呼ばれてしまう。そんなこれまで通りの行動で、私は充分だと思うけれどね?」
庶民育ちのホリィを王の娘として扱おうという声があること自体、巷で聖女と呼ばれる彼女の評判が異母きょうだいたちと勝負ができるレベルであるとも考えられる。
つまり、これまでどおりで充分だというわけだ。
「ライブリンガーの言うことも分かるけれど……」
しかしホリィの顔は浮かないままだ。
「ホリィは吹っ切れないようだが、ビブリオが聖者と呼ばれて、相応しいあり様があると言われるまま苦行やらの生き死にが綱渡りの修行を始めてしまったとしたら、どう思う?」
「それは……そんなのおかしいって、鋼魔軍に立ち向かって、人々を助けてる今の姿で充分だって止めなくちゃって……ハッ!?」
ここまで言って、ようやくホリィは自分が逆の立場だったら止めに入っているような状態に陥っていることに気が付いてくれた。
「ホリィはホリィらしく頑張ればいいさ。その結果、どうしても望まない立場を押しつけられてしまいそうなら……」
「しまいそうなら?」
「私がしがらみの及ばないところまで連れていこう。約束する」
私はそう言って、ハンドルからホリィの胸元に光を送る。
朝焼けのオレンジの輝きは、彼女が首から下げた丸枠に斜め十字のシンボルに重なると、その形を変える。
「これ、ビブリオのブレスレットと同じ……」
「御守り、と言うよりは……たった今の約束の印にね」
ライブシンボルとでも言うべきか。バースストーンの描く四大精霊神の聖印は、ビブリオに渡したライブブレスと同じく私との通話機能がある。
「ありがとう。ライブリンガー」
「よしてくれ。出来ることならビブリオにブレスを渡した時に一緒に渡したかったのにここまで延びてしまったんだから」
ライブシンボルを両手に包み込むようにしたホリィに、私は照れくささと申し訳なさからそう返して、彼女を部屋まで送りに動き出すのであった。




