168:助けを求める声がなくなろうとも
かつて大いなる勇者がいた。
光の柱と共に現れたその鋼の巨人は、狼の剣を携えて、精霊神に遣わされた聖なる獣たちと共に邪悪に抗った。
戦いの末、勇者はその命を賭して邪悪の首魁に深傷を負わせ、聖なる獣たちと残された剣が礎となって、邪悪を封じ込めたのであった。
そして永き時を経て、人々を苦しめる新たな邪悪が生まれた時、再びに光の柱を潜って鋼の勇者が現れたのだ。
新たな勇者ライブリンガーは、生まれ変わった古の勇者の剣を手に、自ら激しい戦いに身を投じてゆく。
その戦いの中で復活、新生する聖獣たち、そして刃を交える内に信頼を築いた翼ある女騎士。それらを率いたライブリンガーは、鋼鉄の巨大魔族に奪われた土地を取り返し、やがて鋼魔王ネガティオンを攻め上った本拠にて討ち果たす。
だがそれは戦いの結末ではなかった。
密かに生き延びていた鋼魔の残党の暗躍によりヤゴーナの連合は引き裂かれ、その戦いの犠牲を贄にして古の邪神の封印が解かれたのだ。
創造主であると主張して、世界を手中にしようと、封印の中でもすべてを裏で手を引いていた邪神。
勇者ライブリンガーの率いる鋼の勇士たちはその悪意に抗い続け、ついには滅ぼすに至ったのだ。
「……けれど勇者ライブリンガーは邪神の最後の抵抗から仲間を……僕らを守るために異界に残ったんだ」
僕は家族といっしょに、目の前に立つ勇者像を見上げている。
マキシアームを土台に、ロルフカリバーを掲げたライブリンガーとグリフィーヌを並べたその像は、十年前に作られはじめたライブリンガー伝説を伝えるものだ。
そう。あれから、鋼魔と邪神との戦いから十年が経った。
ライブリンガーに救われた世界だけれど、その戦いの傷痕は浅いものでは無くて、癒すために多くの力と時間が必要だと思えた。
そのために大きな混乱が起きて、今度は人同士での争いが起こりそうにもなった。
「だけれどセージオウルたち四聖獣に、ハイドツインズが助けてくれたおかげで、今もヤゴーナの連合は崩れないでいてくれてるわ」
「キゴッソにイコーメ、それにメレテの王様たちがライブリンガーの残した平和を守ろうと努力してくれてたのもあるけれどね」
首脳陣への僕のフォローに、聖獣を讃えた金髪の女性がうなずく。
首からバースストーン付きの聖印を提げた彼女はもちろんホリィだ。
昔からキレイだったけれど、十年の月日で大人びたホリィはもっと美人になった。
昔と違って、もう僕も成人したし、背も高くなったから見上げる側では無くなったけれども。ああ違うと言えば、姉ちゃんなんて呼ぶ関係でも無くなって久しいね。
「ママーおうさまって、まえオウチにきたねえねや、じいじたちー?」
「そうよー。なかなかステラに会いに来れないって言ってた、あのおじいちゃんたちよー」
青い目で見上げてくる赤い髪の女の子に、ホリィはしゃがみこんでうなずく。
そう。娘のステラと母親のホリィ、そして僕が父親っていう家族なんだ。
僕が十四で成人になるのといっしょに、僕たちは結婚したんだ。
暮らしてる場所も場所だし、仲間内だけでささやかな宴会をってつもりだったんだけれど、まあその仲間が仲間なだけに、とんでもないことになったけれど。
「突然笑って、何を考えてるのビブリオ?」
「いや、ステラに会いに来るのもそうだけれど、僕らが結婚した時にお祝いに来てくれたメンバーも凄かったなってさ」
「そうね。グランガルトたちを含め鋼の勇士たち全員はもちろん、キゴッソ女王陛下と王配殿下にイコーメとメレテの先王様……うん、どこかの王太子様もいらっしゃったかしらね?」
いや勇者直々に手を付けたとは言え、辺境も辺境、アジマ開拓村の神官夫婦の結婚祝いのはずなんだけれどね?
戦いの中で出来た伝手とは言え、ちょっととんでもないまであるよね。
「政の責務からここにいる時だけは解放されるー、なんて言われるのはありがたいことよね」
「そうだね。その中にライブリンガーもいてくれたなら……」
そうだ。本当なら僕らといっしょにここで平和に暮らせているはずだったんだ。
確かに皆はいる。セージオウルたちもあちこち飛び回って忙しいなりにここには頻繁に顔を出してくれてる。それにグランガルトとラケルは近くの湖に住み着いていて、村のために力を貸してくれてもいる。ディーラバンはどこに行っちゃったのか、結婚のお祝いに御者騎士姿で顔を見せたのを最後に会えてないけれども。
ともかく、本当にいるべき勇者がここにいないっていうのはいつまで経っても……いや、十年も経ったからこそ辛いところがある。
「いつになったら帰ってくるのさ……」
僕の体が大きくなるのに合わせるみたいにサイズを増す腕のライブブレス。そこに輝く石はプレゼントしてくれた友が生きているのを報せてくれているよう。だけれどあの日から僕もホリィも友の声を聞けてはいないんだ。
「パパ、げんきだしてー」
「ああ、ありがとう。ステラ」
そんな僕のズボンを引く娘を抱き上げて、僕は改めて勇者像を見上げる。
「早くステラにも会わせてやりたいな。誰にも負けない、僕らの最高の友達をさ」
「うん。ステラもあいたいなー」
「会ったらきっと残念がるんじゃないかしら。ステラの事を生まれた時から見守れなかったーって」
「ああ、言いそうだよね」
そんな風に笑いあっている僕らに突然に影がかかる。
これに僕らは鳥形の魔獣かって構えて見上げた。けれど見えたのは魔獣でもなければ分厚い雲でもない。
太陽の光を遮る空間のねじれだ。
「この渦って!?」
「十年前の!」
見間違えるはずがない。あの最後の戦いで僕らを異界に引きずり込んだ門だ!
ならとうとうライブリンガーが帰ってくる!?
そんな僕らの期待を打ち砕いたのは渦の中から出てきた化け物だ。
金属質の鱗に蛙じみた顔。うねる長い胴体の横にはムカデみたいに足を生やして、それに背や腹の下からヒレだか羽だか分からないモノが。
そんな混沌とした混ざりモノ。明らかに邪神絡みの怪物は、僕らをギョロリと見下ろして、鋭い歯が乱れ生えた口をニヤリと歪めるんだ。
「うわっほいッ!?」
とっさに僕は妻と子を抱えて横っ飛びに。その真横で僕らの立ってた地面にカオスな化け物の頭が突っ込む!
爆発したみたいな余波に流されながら、僕はホリィと二人がかりで魔法障壁を全開。飛んでくるのと着地するのにぶつかる土との衝撃から身を守る。
「これでも食らえッ!!」
礫と弾みがひどいところを過ぎたら、後は守りをホリィに任せて僕は一転攻撃に。魔法で作った無数の山吹色の剣。それを発射して化け物の巨体に突き刺す!
もちろんこの程度で手は止めない。四種の魔力を聖獣に似せて固めたのを次々に飛ばして、怪物の鱗を破った剣を強引に押し込ませる!
邪神に連なってるなら効くだろう。そう見込んだ通りに、怪物は僕の魔法で叫び声を上げて悶え苦しむ。
だけど痛みにもがいたその動きだけで僕の魔法は振り払われて、僕らにも土くれが津波みたいに襲いかかってくる。
マジックソードとホリィの魔法でこれを切り裂きしのいだ僕らを、カオスな化け物はゴロゴロと気持ちの悪い鳴き声を上げながら睨み付けてくる。
「パパ、こわいよ……」
「任せて。ステラもホリィも僕が守るから」
僕の魔法は通じはしても、この化け物を倒しきれる感じじゃない。
だけれど怯える子どもを後ろに庇っていて、不安にさせたりなんて出来るものか!
ライブリンガーも、きっといつもこんな気持ちだったんだろうな。
ここにいない友の事を思いながら、僕は構えた山吹色の剣を巨大化させて投げつけたのを皮切りに魔法を連発。合わせて横に走って化け物の目を僕だけに引き付ける。
「ビブリオッ!? そんなッ!?」
「パパッ!?」
ライブリンガーには散々ダメだって、やめてって言ってた僕だけれど、いざやるしかないってなったらやっちゃうもんだね。
そんな風に考える僕の事を、狙いどおりに怪物が目で追っかけてくる。
それでいい。僕が少しでも引き付ければ、僕の連絡を聞きつけた誰かがホリィたちを守るのに間に合う可能性が出てくる!
「僕の家族は僕が守るッ!! お前なんかにやらせてたまるかッ!!」
僕自身を奮い立たせるためにも声を張り上げて魔法を連発し続けていると、苛立ったらしい怪物が僕の魔法に構わずに大口を開けて突っ込んでくる。
「いやーッ!! だれか、パパをたすけてよーッ!!」
僕が横っ飛びしながら魔法を放とうと構えたのと同時にステラの悲鳴が被さる。すると僕の掌から光が飛び出す。
まるで横倒しになった光の柱。
これは、ライブリンガーと初めて出会った時の――
「バスタートルネードッ!!」
怪物にのし掛かった光の柱から飛び出した拳から左回転の破壊竜巻。
この一撃は化け物の体をズタズタにしながら易々と遠くに吹き飛ばす。
この威力!
そして攻撃と共に飛び出した声は、懐かしい……忘れられない、忘れるはずが無い!
混沌の怪物を殴り飛ばした拳から現れた巨体は、黒を基調に朝焼けを思わせるオレンジで彩られた雄々しいもの。
どんな苦難にあっても揺るがないだろう分厚く太い脚。重々しい巨体を空へ運ぶ大きな翼。
肉厚の刃を持つ狼の剣を構えたその勇姿。
「ライブリンガートリニティッ!!」
この僕の声に、ライブリンガーが振り向いて目が合う。
構え直すまでのほんの瞬きの間。
それでもライブリンガーは、僕が僕だと分かってるみたいに十年前と同じ柔らかな眼差しを瞬かせるんだ。
そして瞬時に再生を終わらせた怪物にロルフカリバーを向ける。
「ここはお前のくる場所ではない! 立ち去るんだ!!」
去るように説得するライブリンガーだけれど、化け物はその言葉を遮るように口から液体を吐きかけてくる。
でもライブリンガーは左のシールドストームでこれを弾くと、仕方がないってロルフカリバーを両手持ちに振りかぶる!
「無に還れ!」
両手からの二重螺旋を帯びた剣を縦一閃。これで真っ二つになった怪物は、その断面から捩れるようにして消滅する。
それを見送ったライブリンガートリニティは、腕のローラーでロルフカリバーを一磨きして、改めて僕らに振り返るんだ。
片膝をついて、それでもずっと高い場所にあるライブリンガーの顔を僕は見上げる。
「ひさしぶり、ライブリンガー!」
「ああ。本当にひさしぶりだね。ビブリオ」
ああ。本当に、本当に懐かしいよ。懐かしくて思わず涙があふれでそうになるけれど、それを拭って笑い返す。
「よく僕だって分かったね。ずいぶん背が伸びたのにさ」
「分かるさ。たしかに身も心も大きくなったが、ライブブレスから伝わってくる心、その芯にはあの頃の友の気配があるのだからね」
この返しはちょっとずるいじゃないか。それで堪えきれずに鼻をすすると、ホリィからは涙声が。
「……ライブリンガー良かった。本当に良かった……せっかく平和になったのに、お別れも言えないままになったって、ずっと……」
「戦いの流れとは言え、すまなかったねホリィ」
「いいの、いいのよ。こうして、また無事に会えたんだから……」
言いながら涙を拭い拭いに繰り返しうなずくホリィ。それに釣られて僕も目頭からこみ上げるものを拭う。
そうして嬉し泣きに震える彼女の肩を抱いて身を寄せていると、僕らの影に隠れていたステラがライブリンガーの前に。
「わっほい! おっきなテツのヒト、パパのこと、たすけてくれてありがとうございます!」
「はじめまして、お嬢ちゃん。ライブリンガーだよ。キミの助けを呼ぶ声があったから私もここに来られたんだ。しかしパパと言うことは……」
「ああ、うん。僕とホリィの子。ステラって言うんだ」
「ほら、ご挨拶は?」
「ステラです! はじめまして!」
「元気に挨拶できてえらいね。ああ。こっちにも挨拶したいって言うのがいるから……」
そう言ってライブリンガーはロルフカリバーを手放して分離を開始。
「どうもはじめまして、拙者はロルフカリバー。殿の剣として昔はお嬢ちゃんのパパやママと一緒に戦った友達なんだよー」
「おいおい。私の先回りとはずいぶんじゃあないか?」
「これは失礼奥方。ここは剣としてまず切り込まねばと」
トリニティボディがバラバラになっている間に頭身の低い人型になっていたロルフカリバーは、上からの言葉におどけて返す。
これに声の主グリフィーヌは鉄の翼を羽ばたかせてゆったりと舞い降りる。
「さて、はじめましてだね。よろしく私はグリフィーヌだ」
そう言ってグリフィーヌは片ひざを着いてステラに手を差しのべる。
おいでと出されたその手にステラが乗れば、グリフィーヌは顔の前に持っていく。
「うん、幼いながら二人によく似て利発そうだ」
そこへライブリンガーも一緒に覗き込んで、優しい微笑みでうなずく。
「そうだね。生まれてから見守れなかったのが惜しくなるよ」
「ありがとうございます! ゆーしゃさまもおよめさんも。あ、これからいっしょならふたりの赤ちゃんがステラのともだちになりますね」
ステラの一言にグリフィーヌは喉を詰まらせたみたいに呻いて、チカチカした目で僕らを見てくる。
何を教えてるんだって言いたいんだろうけど、今さら照れるようなことでもないだろうに。
「そうね。この際そう言う風に収まってるからってほったらかしにしてた式も、帰還記念にやっちゃいましょう」
「な、ホリィ!? いや私としてもやぶさかでは無い……無いがしかし、しかしヒトと同じようにしたところでだな……」
「あら? ちゃんと形式を整えておくとまた違うものよ? 私としては十年前にお祝いさせて欲しかったんだから。それに、グランガルトとラケルは生んでるわよ?」
「なん……だと……?」
ホリィの話に信じられないって顔で僕を見てくるグリフィーヌだけれど、本当の話だからしょうがない。今のところワニベースのとタコ人魚ベースのが半々くらいで、少しずつメタルボディを大きくしながら育って行ってるからね。
ライブリンガーとグリフィーヌで無理って理屈は無いでしょ。
「なんと。それは後で帰還の挨拶にお祝いも加えないとだね」
そのままやんややんやと盛り上がり始めた女性陣をよそに、クルマモードに変わったライブリンガーが僕のそばにのんびりと。
ああ。本当にまた会えたんだね。この黒い鉄の友達に。
と、その体に触れたとこで、僕はある大切なことに気がついた。
「ところでライブリンガー。ネガティオンはどうしたの? ひとつに戻ったはずだけれど?」
この質問に、ライブリンガーは体から持ち上げた目をうなずくみたいに上下させる。
「また分かれてしまってね。やはりまだ人と過ごす気は起きないし、その資格も無いと。だが私は好きにするがいい、と」
「じゃあ、まだ向こうに一人で?」
「いいや。忠義を尽くしてくれた者をないがしろには出来ないとこちらには帰ってきているよ。地上に残るとは限らないけれど……」
ライブリンガーがつぶやくと、遠くの空で高く昇っていく光が見えた。
そうか。一人でいたままにはならずに、それぞれの生き方を選んだんだね。
「……改めて、おかえり、ライブリンガー……!」
「ああ。ただいま。これからもよろしく頼むよ、ビブリオ」
こうして僕らはやっと、僕たちのために戦ってくれた勇者を平和の世に迎える事が出来たんだ!




