体調不良(3)(梨沙)
その後も梨沙は下痢に苦しみ、うとうとしかけては腹痛と便意で目を覚まして、何度もトイレに駆け込まねばならなかった。
熱も上がっているようで、布団から出て、冷たいフローリングの床に足が触れると、悪寒と押し寄せる便意に、冷や汗を浮かべながら、身体を小刻みに震わせた。
真斗は、トイレまで抱えて連れて行くことを頑なに拒否する梨沙が、フラフラとした足取りで部屋を出て行くのを見守った。時計を見ると、もう23時を過ぎている。終電までに帰宅するためには、30分後にはここを出る必要がある。
トイレからは、梨沙の下痢がまだひどい状態であることを伝える、激しい排泄音が響いていた。
出来ることはあまりなくても、高熱と下痢で憔悴し、心細そうにしている梨沙の側にいてやりたい気持ちがあったが、優香を一人にしていることも心配だった。
梨沙に以前言われた「中学3年生にしては甘やかしすぎ」という言葉が頭をよぎりつつも、合宿から戻ってから体調が戻らず、下痢が続いているらしい優香のことが、やはり気になっていた。
トイレの水洗の音が響き、部屋に戻ってきた梨沙に、経口補水液を飲ませ、
「そろそろ、薬を飲んでおく?」
と聞くと、梨沙は
「うん、そうする」とうなずいた。
梨沙は水を一口含んで、真斗が手渡した薬を喉に流し込んだ。
またむせたり、吐き気を催すことを心配して、真斗は梨沙の背中をさすった。
「ありがとう……もう大丈夫。吐き気は治まってきたから…。いつも、先に吐き気が治まって、お腹はしばらく下るけど、そのうち治るから」
「熱が上がってるんじゃない? 体温計は?」
「いい。…数字を見るとしんどくなるから、いつもあまり計らないの。多分明日には下がるから」
梨沙はそう言って、弱々しく笑うと、
「本当にもう大丈夫。遅くまでありがとう。…妹さんも心配だろうから、電車があるうちに帰ってあげて」
と続けた。
「本当に一人で大丈夫?」
「うん、本当に本当に大丈夫」
真斗は、体調が悪化したらすぐに連絡するようにと梨沙に念押しして、終電で帰宅した。
翌日には、梨沙からお礼と、体調が回復したことを伝える連絡があり、その翌日には無事に面接を受けられたという連絡が届いた。
その後も体調を気遣うやりとりを続けるうち、「続きは元気になってから」ということにしていた話の続きをすることもないまま、二人はなし崩し的によりを戻しつつあった。
5月の半ばの金曜日。
大学のゼミの懇親会があり、いつもは1次会で帰宅する真斗だが、その日は珍しく、2次会の店に移動するメンバーの中にその姿があった。
梨沙はそっと真斗に近づいて声をかけた、
「珍しいね、2次会まで残るの」
「うん、昨日から妹が修学旅行に行ってるから」
「そう……。だったら、今日うちに泊まっていく?」
そう言った梨沙の胸の内には、相反する気持ちが渦巻いていた。
一つは、以前に梨沙自身が口にした、真斗とは家族観が違う、ということで、真斗と妹の関係は自分には受け入れがたかったし、そのために感じている違和感や寂しさは、解消されていない。このまま元の関係に戻ったところで、いずれまた破綻する、という理性。
もう一つは、こんな時でないと、朝までゆっくりと二人で過ごせる機会はない、という思いで、真斗と妹の関係を一旦は受け入れて、その上で、二人で過ごせる時間を出来るだけ一緒に過ごしたい、という感情だった。
結局、感情の方が上回り、梨沙と真斗は、以前のように梨沙の部屋で身体を重ねた。
いつもと違うのは、そのまま二人で梨沙のベッドで抱き合ったまま、時間を気にせず眠りに落ち、翌朝を迎えたことだった。
翌朝。
二人で食べるブランチの支度をしていると、真斗の電話が鳴った。
「はい、佐伯です…、先生、いつもお世話になっております。……そうですか…。またご迷惑をおかけしてしまって…。……すみません、ありがとうざいます。…そうですか…浣腸も……。処置の後はどんな様子でしょうか? もともと血圧が低めなので、家で浣腸したときにも、血圧が下がったり貧血で気を失ってしまったことがあって…。はい……そうですか……すみません…本当にいつも、ありがとうございます。……よろしくお願いします。…はい、失礼いたします」
通話を終えてからも、硬い表情で、暗くなった画面を見つめている真斗に、
「どうしたの? 何かあった?」と梨沙が声をかけた。
「妹が、修学旅行先で具合が悪くなってしまって…。朝から病院で処置をしてもらって、今日は観光はせずにホテルの部屋で休ませるって…。明日帰ってくる予定なんだけど、明日も体調が悪そうなら、担任の先生が家まで車で送ってくれるって」
「そう…心配だね…」
電話のやりとりでの「浣腸したときに」という言葉や「病院で処置」という言葉が気になったものの、深く聞くことはできずに、梨沙は言った。