体調不良(1)(梨沙)
排泄の描写があります。
梨沙から連絡があったのは、GWも明日で終わりという日の、午前中だった。
「急にごめんなさい…他に頼れる人がいなくて…」
電話口の梨沙の声は弱々しかった。
「どうしたの…?」
「昨日の夜からちょっと具合が悪くて…。薬とか買いに行きたいんだけど、自分では歩いて行けそうになくて…」
「大丈夫? 病院には行ったのか?」
「祝日で近所の病院もやってないし、救急病院に行くほどじゃないから…。疲れると時々なる、風邪みたいなものなんだけど…」
「…わかった。今から行くよ。必要なものを買って行くから教えて」
真斗は梨沙が言うものをメモすると、電話を切った。
「ちょっと出かけることになったから、昼ごはん適当に食べてくれる? 夕方には戻るから」
と優香に声をかけて、真斗は家を出た。
梨沙が住んでいるのは、真斗の自宅から電車で20分ほど、大学がある駅を通り過ぎて2つ向こうの駅だった。
何度も降りた駅の改札を抜け、駅前の商店街のドラッグストアに入って、頼まれていた薬を探した。
スマホにメモした柴胡桂枝湯という名前の漢方薬を見つけて、箱の説明を読むと、熱や胃腸症状の薬だとわかった。
薬のほか、水や経口補水液、栄養ゼリー、レトルトのおかゆなどを買って、真斗は店を出た。
商店街を抜けて、5分ほど歩くと、梨沙の住むマンションが見える。
学生の一人暮らし向けの、1Kの間取りが並ぶ8階建てのマンションだ。
マンションの入口で入力する暗証番号は、以前に教えてもらって、暗記している数字のままだった。
真斗は、もう二度と来ることはないと思っていたマンションの玄関を入り、エレベーターで3階の梨沙の部屋へと向かった。
玄関のチャイムを鳴らして少し廊下で待つと、鍵を開ける音がしてパジャマ姿の梨沙がドアを開けた。顔は少し青ざめ、いつもよりやつれて見える。
玄関のすぐ脇にあるトイレからは水洗の音が聞こえ、トイレから出たばかりだとわかった。
「ありがとう…。本当にごめんなさい。友達も旅行とか、帰省してたり、他に頼れる人がいなくて…」
「気にしなくていいよ。これ」
真斗はドラッグストアの袋を手渡そうとして、病人には随分重い荷物だと気づいた。
「運ぼうか…?」
「ありがとう、そうしてくれると助かる…。上がって。いくらだった?」
「レシートを捨ててしまったし、大した金額じゃないからいいよ。片付けておくから、寝てたら」
真斗は靴を脱いで、玄関に揃えた。
玄関の脇に置かれた小さな靴用の棚には、見覚えのある梨沙の靴やサンダルに混じって、見たことのない黒いパンプスが揃えられていて、それが就職活動用のものだと思い至った。
買ってきたものを玄関脇の狭いキッチンに並べ、飲み物やゼリーは冷蔵庫にしまって、改めて薬のパッケージを見た。用法は、食間または食前とある。
「薬は、すぐに飲む?」奥の部屋の梨沙に声をかけると、
「うん…」と梨沙がドア越しに答えた。
流しの横に伏せてあったコップに、買ってきた水を注ぎ、ドアを開けると、梨沙の使っているボディークリームの匂いがした。最後に訪れてから1ヶ月ほどたっただけだが、随分懐かしい気がした。
部屋は以前のままだったが、いつも綺麗に掃除が行き届いている梨沙の部屋にしては少し散らかっていて、体調を崩したのは昨晩ではなく、もっと以前から具合が悪かったのではないかという気がした。
起き上がり、ベッドから降りようとした梨沙に、真斗は
「そのままでいいよ、持って行くから」
と声をかけて、先に水が入ったコップを手渡した。
買ってきた漢方薬のパッケージを見せ、
「これで合ってる?」と聞くと、
「うん、これ…。疲れが溜まった時とか、たまに胃腸の具合が悪くなって消化不良になっちゃうんだけど、これを飲んで休んでたらよくなるの。買い置きしてたつもりが、なくなってたみたいで…」
真斗が、顆粒の薬が入った袋を一つ開けて渡してやると、梨沙は水を一口含んで薬を流し込んだが、むせてしまったのか、コップをサイドテーブルに置くと、ゲホゲホと激しく咳き込んだ。
真斗が背中をさすってやると、梨沙は何度か咳き込んだ後、元々吐き気があったせいか、戻してしまうのを堪えるように口に手を当てて、ぎゅっと目を閉じた。
「大丈夫? トイレに行く?」
口に手を押し当てたまま、首を横に振る梨沙を、真斗は軽く抱き寄せるようにして自分の胸にもたれさせた。
しばらくそうしていると、梨沙は何度か肩で息をするように、大きく身体を震わせた後で、
「ありがとう…、もう大丈夫」
と言って身体を離し、テーブルのコップに手を伸ばして、残っていた水を注意深く少しずつ飲んだ。
真斗は、空になったコップを梨沙の手から取り上げてテーブルに置くと、梨沙をベッドに横たわらせ、布団をかけた。
「何か食べる? 作ろうか?」
「しばらくやめておく…。今食べたら、たぶん薬ごと戻しちゃうから…」
「吐き気だけ?」
「昨日から、熱と…お腹も下ってる…。実は、お腹の具合が…ちょっと酷くて…。そのせいで買い物にも出られなくて…」
少し恥ずかしそうに言った後で、
「あ、ウイルス性じゃないから、移らないからそれは安心して…。受診してないけど、時々出る症状だからわかるの」
と梨沙は付け足した。
胃腸が弱かったり熱を出しやすい印象はない梨沙だったが、いつもは体調が悪いのを表に出さず、薬を飲んで耐えていたのだろうか…。
「疲れが溜まってたのかな…。就職活動は忙しい?」
壁際にはハンガーに掛けたリクルートスーツが吊るされ、テーブルにも就職試験対策の問題集が重ねられていた。
「先週まではね。今はGWで企業も休みだから、最終面接まで進んだ会社で提出する課題くらい。でもちょっと余裕ができて緊張の糸が切れたから、溜まってた疲れが身体に出ちゃったのかも…」
「そうか…。あまり無理しすぎないように。他人の俺が言うのも無責任だけど…」
真斗が言うと、
「そうだよ」
梨沙は笑いながら言ったが、思いがけず笑顔が歪み、大きな目からは涙がこぼれた。
「大丈夫…? 不安になった?」
真斗が驚いて聞くと、涙を浮かべたまま、珍しく弱気な様子で梨沙は言った。
「うん…。明後日、第一志望の会社の面接があるの…。それまでに体調戻るかな…」
真斗は、梨沙の頬に伝った涙を指先でぬぐい、艶やかな黒い髪を撫でた。
「大丈夫だよ。先のことは考えすぎずに、今日はゆっくり休もう。…何かできることがあったらするから」
「じゃあ、少し寝る。起きたらおかゆを食べるから、それまで帰らないで、おかゆを作って」
「わかった」
真斗が言うと、梨沙は目を閉じた。
やがて寝息を立て始めた梨沙が目を覚ましたのは夕方だった。
暗くなりかけた部屋に電気をつけ、買ってきたおかゆを温めて運ぶと、梨沙はベッドから降りて、床に置いた小さなローテーブルの前に座った。
「寒くない?」
梨沙は頷いて、スプーンを手にとると、ゆっくりとおかゆを口に運んだ。
「真斗は何か食べなくていいの? お腹空いてない?」
「うん、帰ってから何か食べるからいいよ」
真斗は答えながら、夕食を作るために、そろそろ帰らなくてはいけないことを心配していた。
梨沙が食べ終わったら、片付けをして帰ることにしよう…。
時間をかけて、どうにかおかゆを食べ終わった梨沙に温かいお茶を入れてやり、勧められたので自分用にコーヒーを淹れて飲みながら、食器を片付けたら帰ると切り出そうかと真斗が考えていた時、不意に梨沙がコップを置いて立ち上がろうとした。
急に立ち上がろうとしてよろめいた梨沙の身体を、手を伸ばして支えながら、
「大丈夫?」
と真斗が声をかけると、
「トイレに行ってくる…」
切羽詰まった様子で梨沙が答えた。
支えて連れて行くつもりで、真斗が自分も立ち上がると、
「大丈夫。一人で行けるからここにいて」
と梨沙は言って、よろめきながらもドアを開け、頼りない足取りでトイレに向かった。
ブリュッ! ブリュブリュリュリューーー、ビューーーッブチュっ。ブシューーーーブリュ。ビュッビュッ…ビュッ!
トイレのドアを閉め、急いで便器に腰掛けた途端、梨沙は激しく下した。
下痢のひどい音と臭いを恐れて、一人でトイレに向かった梨沙だったが、学生向けの安普請なマンションの薄い壁は、真斗のいる部屋まで梨沙の排泄音をはっきりと伝えていた。
その上、よろめいた時に軟便を少し漏らしてしまい、ショーツを汚してしまっていた。
どうしよう…。
梨沙はこみ上げる吐き気を堪え、目には涙をにじませながら、ショーツに広がった軟便をトイレットペーパーで拭ってトイレに流し、ショーツは脱いで、汚物入れに捨てた。
手を洗い、とりあえずパジャマのズボンをそのまま履いて、梨沙は部屋に戻った。
「大丈夫?」
声をかけた真斗に、
「うん、ちょっとシャワー浴びるね…」
と答えて、梨沙は衣装ケースから新しい下着を取り出し、トイレの横のお風呂場へと向かった。
部屋を出て行く梨沙の後ろ姿に目をやると、パジャマのお尻の辺りに茶色いシミが広がっているのが見えた。
薄暗いトイレの照明ではわからなかったが、梨沙はショーツだけでなくパジャマまで汚してしまっていたのだった。
真斗は廊下に出て、扉一枚隔てた脱衣所にいる梨沙に声をかけた。
「大丈夫…? 嫌じゃなかったら手伝うけど…」
「ありがとう…でも…」
服を脱ごうとして、パジャマのシミに気付いた梨沙は、もうどうしていいかわからず、言葉を詰まらせた。
「新しいパジャマを持ってこようか?」
「うん……ありがとう…」
「どこにある?」
「衣装ケースの、上から2番目の引き出し。どれでもいい…」
「わかった」
真斗は部屋に一旦戻り、衣装ケースから取り出したパジャマを持って廊下に戻り、
「ここに置くね」
と声をかけて、脱衣所のドアを少し開け、ドアの奥に置いた。
梨沙が風呂から出る前に片付けておこうと、真斗が廊下の隅にある流しに食器を運び、洗い始めると、風呂場のドアが開く音がした、と思うと、バスタオルを巻いただけの姿の梨沙が飛び出してきた。
梨沙は思いがけない真斗の姿に驚いたようだったが、そのままトイレに駆け込んだ。
ブリュッ。クチュクチューー、ピュッ、プシューーーッ。
また下痢に襲われたらしく、トイレからは苦しげな排泄音と、梨沙の息遣いまでが聞こえてきた。
真斗は、梨沙のために聞こえていないふりを装うため、食器を流す水流を強めた。