莉緒(4) 対峙(中学3年生4月)
「…さん、起きられる? 6時間目が終わったところだけど」
中原先生の声で、莉緒は目を覚ました。
「はい」
莉緒が答えるより早く、誰かが返事をする声とカーテンが開く音が聞こえて、莉緒はさっきの呼びかけが自分ではなく、奥のベッドに寝ていた生徒に向けられたものであったことに気づいた。
「気分はどう? 小川さん」
「少し寝たら、大分良くなりました。ありがとうございます」
小川という苗字にはピンとこなかったが、莉緒はその声で、奥のベッドに寝ていたのが誰だったのか分かった。
少し鼻にかかったような、特徴のあるその声と話し方は、恵理菜のものだった。
恵理菜の足音が保健室を出て、ドアを閉める音が聞こえると、莉緒も起き上がり、カーテンを開けてベッドから降りた。
「秋月さん、少しは良くなった?」
「はい。もう大丈夫です」
そう答えた莉緒が保健室を出ると、そこには恵理菜の姿があった。
「体調、大丈夫ですか?」
「ありがとう…。まだちょっとお腹が痛いけど、よくあることだから大丈夫。…そんなことを聞くために、待っていてくれたの?」
答えるのをためらって少し黙った恵理菜に、莉緒は言った。
「さっき、奥のベッドにいたのって恵理菜ちゃんだったんだね。私の声、聞こえてたんでしょ?」
「…はい。それで、聞きたいことがあって…」
「何? 浣腸のこと?」
莉緒は自虐めいた冗談のつもりで言ったが、恵理菜は頷いた。
「本当に浣腸のことを聞きたいの?」
莉緒が少し驚いて聞くと、
「浣腸のこと、というか……」
恵理菜は少し言いよどんだ後、意を決したように口を開いた。
「立川先輩に浣腸してもらってたって、本当ですか…?」
「誰がそんなことを言ってるの?」
莉緒は、意外な言葉に驚いて聞いた。
「立川先輩本人です。スタイルの維持のためにって…」
「何でそんなバカなこと…。さっき聞こえたと思うけど、私が頻繁に浣腸を使ってるのは本当よ。…そうしないと、出せないから…。でも、病院で看護師さんにしてもらう時以外は、いつも自分でしてるし、ダイエット目的とか、そんなんで使ったこともないのよ。便秘でお腹が張ってたのが、元に戻るだけ。それに、変な話、本当にいつも切羽詰まって使ってるから、人に頼むような余裕もないの…」
「そうだったんですね…。変だなとは思ってたんです…」
「私もしてるからって騙されて、無理矢理浣腸されてたの?」
「無理矢理じゃないです。私も納得の上なので…」
恵理菜は俯きながらそう答えたが、目は涙で潤んでいた。
「でも、私にわざわざ聞いてきたってことは、何か納得いってないことがあるんじゃないの? 前にも言ったけど、好きでしているなら別にいいの。でも納得いかないことをされているとか、身体に負担になるような使い方なら、しない方がいいと思う」
莉緒がそう言うと、恵理菜の目から。堪えていた涙が溢れた。
「今日、具合が悪くなったのも浣腸されたせいじゃないの?」
莉緒は責めるような口調にならないように気をつけて、優しく問いかけたつもりだったが、恵理菜は答えず、泣き崩れてしまった。
廊下にかがみこんで泣き出した恵理菜の横に、莉緒もかがんで、背中をさすった。
「大丈夫?」
莉緒が顔を覗き込むように声をかけると、恵理菜は涙に濡れた顔を上げ、
「実は、浣腸で出すために我慢してたら、毎日普通に出てたのが出にくくなってしまって…。それに、浣腸したときにお尻の穴が切れてしまったみたいで、痛くて…」
「早く病院に行った方がいいわ」
「親にも相談できなくて…どこの病院に行ったらいいのか…」
「お尻が切れてるなら、肛門科じゃないかなぁ」
「肛門科…。そんな病院行きたくない…。それに保険証使ったら、親にも病院に行ったことバレますよね?」
「肛門科だけじゃなくて、胃腸科とか消化器科と一緒になってるところに行ったら? お家の人には風邪気味でお腹の調子が悪かったとか言い訳をして。…学校出て駅と反対の方に5分くらい歩いた所に、友井クリニックっていう病院があるけど、そこはどうかな。確か、看板には消化器科と肛門科って書いてあったと思う…。私の友達がそこに通ってて、親切な先生って言ってたよ」
「そうなんですね…。明日、土曜日だけど診療してもらえそうなら行ってみます」
「うん、ちゃんと診てもらって早く治療して、あまり身体の負担になることはしちゃダメよ」
「はい…。ありがとうございます」
恵理菜は涙を拭うと、立ち上がって莉緒に頭を下げ、教室に戻るために歩き出した。