29 九州消滅
済州島会議が招集された時、南太平洋上に小さな渦が発生した。渦は急速に発達しながら赤道上を台湾に向かって西へ移動し、二日後には台風十号(熱帯低気圧14号)ナオミとなった。その二日後には黒潮に沿って北上を開始し、沖縄に停滞したまま発達を続けて、880ヘクトパスカルの超巨大台風となり、沖縄を暴風雨圏に巻き込んだ。強風圏の大きさは南北3千キロメートル、東西2千キロメートルに及んだ。風速50メートルを越える暴風と十メートルを越える高潮に沖縄は壊滅した。
済州島会議が佳境にいたる頃、台風十号は進路を北西に変え、ゆっくりと対馬海峡へと近づいていった。九州と朝鮮半島南部が暴風雨圏に入り、済州島は陸海空路を経たれて孤立し、会議が妥結するとき、ちょうど台風の目に入った済州島の上空には青空が現れた。台風十号はそのまま停滞し、四国代表団は会議が終わっても足止めになった。
済州島の暴風雨は一週間経っても収まらなかった。空港が水没したため、救援に向かった米軍太平洋艦隊のヘリコプター駆逐艦が、ミサイル攻撃を受けて撃沈された。統一コーリア共和国政府は発射地点が日本海の独島(竹島)沖だと発表した。中露米朝はいずれも関与を否定した。行方不明になった旧北朝鮮のミサイルが発射されたのではないかと、四国は疑心暗鬼になった。
NSAは東アジアの有事に備えて、太平洋艦隊全軍を小笠原諸島に向かわせた。中国は自民解放軍海軍の北海艦隊を臨戦態勢とし、東海艦隊を沖縄防衛に向かわせた。ロシアはウラジオストクの極東艦隊を樺太に移動させた。
北米中露の軍事衛星、西太平洋に展開中の米太平洋艦隊と東シナ海に展開中の中国東海艦隊のイージス艦は、ロシアと統一コーリア共和国の旧北朝鮮国境付近から未確認飛行物体が連続的に発射されたことを確認した。飛行物体は行方不明だった旧北朝鮮の核ミサイルとほぼ断定され、垂直に上昇し、成層圏に達した後、弾道軌道を描いて南下し、台風十号の暴風雨圏にあった南九州の海域に次々と落下して水中爆発し、マグニチュード5クラスの地震が連続的に起きた。爆発の規模から核弾頭は水爆だったと推定された。狙いが喜界島カルデラの活性化にあることは明白だった。50発の核ミサイルが半径数キロの円内に次々と撃ち込まれたのだ。地殻の亀裂がマグマ溜まりに達すれば、水蒸気爆発が起こって火口を覆う岩体が吹き飛び、次いでマグマ噴火が誘発され、噴出するマグマの量によっては破局噴火に発展する恐れがあった。米中露が着弾点に向けて飛ばした偵察機は悪天候で引き返さざるをえず、カルデラの活動を捉えることはできなかった。
ようやく台風十号の勢力が衰えて北上し、全容が明らかとなった時には、喜界島カルデラ、姶良カルデラ、阿蘇カルデラの九州三大カルデラが同時に活動していた。
西日本国政府は、中国政府の助言によって九州全域に避難指示を出し、撤退していた人民解放軍陸軍が再上陸して、一千万人を超える避難民の支援にあたった。1か月で避難は完了し、人民解放軍のわずかな部隊を残して、九州は無人地帯となった。九州からの難民は西日本国だけでは支えられず、旧日本の他の三国も受け入れに協力した。博多の西日本国政府は広島に疎開したものの、そこも安全とは言えず、鳥取への再疎開を検討していた。




