16 脱毛舞踏病
兎見遙東京市長が強気なのには理由があった。南海・東南海・東海連動地震による津波の侵襲を受けた太平洋岸の大都市の中で、東京はほぼ無傷だった。東京湾には三重構造の多段式せり上がり防潮堤があり、波高30メートルを超える巨大津波の遡上を完全に阻止することができた。都心の中高層ビルの免震構造率は30%、耐震・免震構造率は改修を含めて95%を超えており、地震で倒壊した建物はほとんどなかった。インフラ(道路、港湾、電気、ガス、上下水道、通信)の液状化対策率は100%だった。耐震改修ができない既存木造低層住宅の多くは空き家化しており、被災者はいなかった。東京は日本で唯一、いかなるD兵器の侵襲にも絶える防災都市だったのである。福島第一原発再臨界事故による放射能汚染も、今となっては風聞に過ぎず、ホワイトアウト作戦によって汚染を免れたことが確認されていた。だが、政治的にも経済的にも廃都となった東京を、いまさら誰も顧みなかった。
ところがそんな無傷の東京市内で奇妙な病気が蔓延し始めた。最初は変人のパフォーマンスだと思われていた。患者が増えるに従い、これは伝染病ではないかと疑われ出した。初期症状で毛を抜いて投げるような仕草を続け、実際にも毛髪が抜け落ちた。シラミかノミによる痒痛と思われていたが、病的な自動ダンス(不随意運動)だとわかり、脱毛舞踏病(ACDS)と名付けられた。発病から一週間後には膵臓に異変が現れて食欲がなくなり、重症化すれば死に至った。膵液が腹腔に漏れて腹膜炎を合併し、膵液性溶解による多臓器不全に至ったのだ。間もなく脱毛舞踏病は多摩地区の風土病だったスキンヘッド病に他ならず、病原体はACVⅢ(アラペシコリアウイルス3型)と特定され、衛生局自身が保管していたウイルス株が漏出し、何らかのきっかけで強毒化して感染源になったことが判明した。ACVはHIVと同じレトロウイルス(一本鎖RNAウイルス)であり、特効薬はなかった。感染ルートは初期には毛根の接触感染、中期以降は唾液感染だった。WRMが仕掛けたバイオテロではないかとの懸念を東京市衛生局は否定し、ウイルスの漏出はあくまでも事故だったとした。東京市内の発病者は一万人を超え、死者も数百人を数えた。国内各地に感染が拡大し、国外でも患者が確認されていたことから、ACDSはWHO(世界保健機関)規準によってパンデミック(パニック的広域感染)に発展したと認定され、海外から日本全土への渡航が禁止され、日本国内では東京市との越境が禁止された。
兎見遥東京市長はACDSを終息させるため、患者を完全隔離するとともに、安全地帯を巨大なドームで覆うバイオスフィア(閉鎖環境)政策を実行した。1兆円とも見積もられる資金はクラウドファンディングで集めた。
パンデミックは見事に終息し、兎見市長の名声は一躍世界に轟いた。彼女はハンナ・アーレントとシモーヌ・ヴェイユの影響を受けたアナルコキャピタリスト(無政府自由主義者)であり、マーガレット・サッチャーにも引けをとらない鉄の女だった。兎見市長はパンデミックが終息しても東京市の越境禁止を続けた。このため四州政府には東京市の情報が入らなくなった。




