7 復古政策
豊臣首相と日本改造党は、波風前首相と電栄党が進めてきたサイバー政策を全否定し、「サルからヒトへ」をスローガンに、復古的な政策を進めた。波風前首相のサイバー政策では、サイボーグがヒトに取って代わり、ヒトはサルに退化させられてしまったというのだ。
豊臣内閣は官僚サイボーグ化計画を白紙撤回し、波風内閣時代に失職した官僚の多くを復職させた。また公職選挙法を改正して、SNS投票を改め、投票所を復活させると宣言した。さらにネット大学の普及によって廃校となっていたすべての国立大学を復校し、校舎を再建すると約束した。
これらの復古的な政策は、保守派から喝采をもって受け入れられた。しかし、すべてを実現するには予算が足らなかった。波風内閣が進めたサイバー政策によって、国家予算は三分の一に縮減され、大型減税と財政再建が同時に軌道に乗っていた。今さら大阪にもう一つの霞が関を作り、官僚を増やし、リアル選挙を行い、すべての国立大学を再校して多数の教授を雇うためには、大型増税か大型起債が必要であり、いずれにせよ健全化した財政が再び破綻しかねなかった。
豊臣内閣が選択したのは増税ではなく国債発行だった。ただし、赤字国債(無担保債)の発行ではなかった。大阪不動産証券取引所を開設し、大阪遷都のために収用したりんくうタウンの不動産を嚆矢として、全国の国有財産のコンセッション(流動化)に着手したのだ。財務省(金融庁)は、レベニュー債(公共財産担保証券)発行の主幹事にNDFG(新龍国際金融グループ)を独占的に指名した。レベニュー債購入者は大半が中国、マレーシア、シンガポール、ベトナムの中国系財閥だったからであり、日本の国有財産は華僑の手に落ちることになった。大阪不動産証券取引所は世界一の不動産金融市場へと躍進し、NDFGはGSFG(ゴールデンサクソン金融グループ)をしのぐ世界一の金融グループとなった。
コンセッションは自家を売って買主から借家することを意味した。一時的にはキャッシュが増えたように見えても長期的には貧困化する。これまで無償もしくは低額で使えた公共財が海外の投資銀行やファンドに売られたことから、公共料金の値上げや道路が有料化されることを危惧する声が高まった。さらに円安、株安、金利高によるハイパーインフレの懸念も起こった。豊臣内閣は拙速なコンセッションによる金融不安を意に介せず、地方自治体にも公有財産の流動化を指示した。世界の不動産投資家から「日本売り」あるいは「ジャパンバーゲン」と呼ばれるコンセッションが日本全土でブームになった。
それでも一時的にもせよ、財政が大幅黒字に転じたことは事実だった。数百兆円にもなる財源を手にした豊臣内閣は、一気呵成に新日本地図を書き上げ、それを実現しようとした。大阪の陣以来の豊臣家の遺恨を晴らすかの西高東低の日本地図だった。株式市場も証券市場も不動産信託市場も活況を呈し、金利(公定歩合)は低下し、久々の好景気はバブルの様相すら呈した。だがこれは日本売りに他ならず、日本滅亡への序章だった。




