6 日本改造党
東京が事実上の廃都と化したため、否応なしに遷都論が盛り上がった。入院中の波風首相は地理的な首都、物理的な政府庁舎、人的な議員・官僚を置かない暗号首都を与党電栄党の遷都政策とするよう指示し、自ら新首都を天京と名付けた。政府の総務費(議員報酬、官僚給与、庁舎費)を実質的にゼロにする天京は、電栄党が進めてきたサイバー政策の総決算だった。
これに対して、野党は東京復興論、大阪遷都論、分散首都論等で対抗した。
遷都論の是非を問うために波風内閣が総辞職し、衆議院本院のSNS総選挙が行われた。下馬評では財政再建と大型減税を同時に可能にする天京が有利と見られていたにもかかわらず、波風首相不在の総選挙で与党電栄党は大敗し、豊臣秀通大阪市長が率る日本改造党が単独過半数を占めて政権を奪取し、東京廃都と大阪遷都が事実上決定した。
日本改造党はレジリエントステーツ(強靭な国家)を謳う極右政党だった。戦後日本政治の綱領を根本から転換する諦親米、諦工業、諦平和、諦環境の四諦を綱領に掲げ、核武装を宣言し、日中朝による極東共存圏(軍事同盟と経済同盟)の構築、円・元・ウォンを統合した国際通貨漢の創設を提唱し、トヨトミクスと呼ばれる経済政策では工業立国から脱却し、TPとCPをつなぐ金融立国(仲介立国)を目論んでいた。いわば反米親大陸政権であり、USWA(西アメリカ合衆国)との軍事同盟(日西米安保条約)を破棄し、沖縄に駐留している西米軍を完全撤収させると明言していた。
豊臣内閣は大阪遷都を閣議決定し、衆議院本院において遷都関連法案を強行採決した。大阪府は念願の大阪都に昇格、大阪市は大阪特別市となった。東京府へ降格が決まった東京都の兎見遙知事は、政府から距離を置き、密かに東京復活の機を狙う準備を始めた。
豊臣首相は、大阪都にリアル官庁街を建設する計画の立案を指示し、首相の意を汲んだ財務省理財局は地上げに着手した。財務省が目を付けたのは、開発から取り残され地価が安いままの今宮区だった。首都機能が集中的に移転されることになった今宮区は、大阪都にも大阪特別市にも属しない国直轄区の今宮特定重要行政区となった。
今宮を霞が関に代わる官庁街にするには20年を要した。それまでのつなぎとして白羽の矢が立ったのが、りんくうタウンだった。りんくうタウンのシンボル、ゲートタワーの北棟、南棟、東棟、西棟には、それぞれに外資系の7つ星ホテルが入居し、カジノが開業していた。ゲートタワー4
棟を財務省が収用しようとしたところ、所有者は新龍国際金融グループ(NDFG)になっていた。NDFGはマカオをはじめシンガポール、クアラルンプール、バンコク、ホーチミンなどのカジノのスポンサーとして成長した金融グループで、司馬仙オーナーはアジアのカジノ王と呼ばれていた。財務省が1兆円という買収額を提示したのに対して、NDFGは2兆円を逆提示した。財務省は収用予算を抑えるため、NDFGに対して国債発行の主幹事を独占させる密約を結んだ。




