4 廃都東京
東京のパニックは終息していなかった。在日外交官は東京から避難したまま戻っておらず、閉鎖を決定した大使館も多かった。関西や海外に避難した富裕層も大半が戻っていなかった。元々東京本社と大阪本社の二本社制を採用していた多くの大企業は、大阪本社を拡大する一方、東京本社を閉鎖または縮小した。外国人や外国企業、富裕層や大企業の東京離脱が先行する形で、WRAの声明にかかわらず、廃都論あるいは遷都論が百出した。
東京の事実上の廃都化は予想以上のスピードで進んでいった。多くのオフィスが無人化し、人工知能とロボットだけの電脳オフィス化が進展したたため、丸の内、日本橋、西新宿などのオフィス街は、人がいないゴーストタウンと化した。霞ヶ関の省庁合同庁舎は無人化し、都庁の職員も大半がロボット化され、かつてバブルの塔と言われた西新宿都庁舎は、一棟が暴走族に不法占拠された。
皇居が京都御所に移されたため、旧皇居は千代田御苑と改名することになった。大手門、桔梗門、坂下門、皇居正門(鉄橋)、桜田門、半蔵門など、旧皇居の9つの門は、東京警察庁(旧警視庁)が、台場に機関砲を設置して死守していた。皇居外苑、日比谷公園、北の丸公園などの門外の公園にはホームレスがあふれ、バラック住宅が建てられ、闇市も復活していた。オリンピックスタジアムは見る影もなく荒廃し、ゴミ捨て場と化していた。
富裕層が逃げ出した松濤、麻布、円山町、白金台、広尾、代々木上原などの邸宅街の空家率は70%を超えた。都心のマンションの住民は大半がアジア系外国人になり、高輪、六本木、豊洲、西新宿、目黒などのタワーマンションは裏ホテルとなっていた。
東京に残ったのは自宅にこだわっていた中間層だった。東京の地価は日本列島改造論前の1950年代の水準まで100分の1以下に暴落し、もはや自宅の財産価値はゼロだった。それでも自宅を捨て切れない中間層が多かったため、吉祥寺、荻窪、笹塚、下北沢、三軒茶屋、二子玉川などの郊外の街はわずかに命脈を保っていた。
東京残留者にとっては、中国のアリババグループが運営するVMT(ヴァーチャルモール東京)が唯一の心のよりどころにして生活の糧となった。人々は自宅を一歩も出ず、仕事も買い物も生活もすべてをVMTで済ますことができた。仕事に必要なグッズも、ショッピングした商品も、注文した料理も、30分以内にドローンで届いた。フレンチのフルコースは一皿ずつ届き、ワインをサーブするロボットも派遣された。VMTには世界一の多様性と安全性を備えていた古き良き時代の東京が再現されていた。VMTに居るかぎり、東京は何も変わらなかった。
だが、一歩屋外に出ようものなら、そこはもう東京ではなかった。東京警察庁は制服警官をすべてロボットに置き換えて治安維持に当たっていた。ロボット警官は誰彼構わず職質し、怪しいと判断すれば容赦なく発砲した。それでも増え続ける犯罪には追いつかなかった。
千代田御苑(旧皇居)と丸の内、官庁街があった霞ヶ関と虎ノ門、都庁舎があった西新宿、金融街だった日本橋と兜町、羽田空港、新幹線とリニア新幹線駅が発着した東京駅、品川駅、上野駅、そして銀座の治安はかろうじて維持されていた。しかし、それが東京警察庁の限界だった。歌舞伎町、池袋、大塚、新橋、五反田、鶯谷、吉原の風俗街は、事実上ヤクザに治安を嘱託せざるをえなかった。
元々アウトロー化していた日暮里から山谷、高石、錦糸町、小岩にかけての地域には、高齢の外国人やホームレスが集まって、戦後のバラック外街にタイムスリップしたようだった。彼らは空きビルという空きビルを不法占拠していた。その中には機能を停止して放棄されたスカイツリーも含まれていた。ただし電波塔本体は厳重に封鎖されていた。
戦後の闇市さながら、都内のそれぞれの地域に、それぞれの出自から成り上がったボスが頭角を現していた。外国人(不法滞在者)のボス、ホームレスのボス、風俗街のボス、暴走族のボスである。それぞれのボスは都内各所に、都庁と東京警察庁の監視の及ばない新天地を形成していった。




