2 再臨界事故終息
2038年12月26日午前9時、NFN(日本フェイクニュース社)のスタッフ全員に総務省から出されていた職務放棄命令が解除されたので、サイバーQの配信を再開します。
福島第一原発再臨界による東京の放射能汚染は回避される見通しとなりました。兎見遙東京都知事は屋内退避勧告を解除し、都民に平静を呼びかけています。関東の各県知事も同様です。
へりが墜落して脊椎損傷の重傷を負った波風首相は病床から政務に復帰し、再臨界は事故であり、WRAの声明はデマだという談話を発表しました。また、自衛隊の放射線防除プログラム「ホワイトアウト作戦」が速やかに発動され、事態は収束されたと断言しました。
交通機関は正常化し、東京行きの航空便、新幹線、リニア新幹線は運行を再開しました。海外や西日本に避難していた都民も都内に戻り始めています。小中高校は登校を再開、企業やショッピングモールも営業を再開しています。
たった一晩で12月25日の東京放射能パニックはなかったことにされたのです。しかし、パニックは確かにありました。すくなくとも政治家も、高級官僚も、大企業経営者も、在日外交官も、テレビタレントも、東京から密かに避難しようとし、実際にも避難していたことは隠せない事実です。政府庁舎にも、大企業本社にも、大使館にも、国立病院でさえ、生身の職員は一人も居なくなり、ロボットばかりになってしまいました。
東京から逃げず、この緊急事態に立ち向かった生身のリーダーは天皇陛下と波風首相だけでした。しかし勇敢な首相もへりが墜落し、重傷を負って病院に収容されました。リーダー不在の中、それでも緊急事態は見事に収束され、首都の治安は完全に維持されたのです。これは明治維新(1868年)以来170年間の日本の官僚の事なかれ主義(最初から何もなかったことにする主義)の知見を集約した人工知能のなせる神業といえましょう。
日本の官僚は、戦災であろうと、震災であろうと、風水土砂災害であろうと、すべての災禍をなかったことにしてきました。官僚機構は常に完璧であり、まれに起こる不祥事は、戦争であれ、災害であれ、汚職であれ、文書の改竄であれ、不祥事の隠蔽であれ、ごく一部の異分子があくまでも個人的な判断で勝手なことをしただけのことであり、この異分子を排除することで、官僚機構の完璧さはたちどころに修復されたとしてきました。これを官僚組織の無謬無責任原則と言います。
1945年8月15日の敗戦はなかったことにされ(終戦にされ)、天皇陛下は占領軍司令官(マッカーサー元帥)をまんまと手玉に取り(戦争責任は不問にされ)、内務省が解体されても官僚は生き残り、国民は軍国主義教育を一日で忘れ、アメリカ民主主義(その実は社会進化論に基づくアメリカ帝国主義)の優等生を演じ切り、幣原首相は日本に都合のいい憲法をアメリカから押し付けられたことにし、日本の恩恵だけを定めた世界に類例のない片務軍事条約(日米安保条約)を締結するのと引き替えに、在日米軍の費用を丸抱えする(日米地位協定により)事実上の朝貢国(属国)となりながら、軍事費をGDPの1%以内(NATO加盟国の半分)に抑え、朝鮮戦争と対米貿易の恩恵で見事な経済復興を遂げてみせました。2011年3月11日の福島第一原発事故もなかったことにされ、放射性物質を見事に除染したことにしてみせました。人工知能化された官僚の手際はそれ以上であり、2038年12月25日のサイバーテロによる福島第一原発再臨界は、たった一晩でなかったことにされたのです。
日本はまさに奇跡の国、日本人はまさに奇跡の民族です。都市を無差別爆撃され、逃げ惑う市民を機銃掃射し、洞窟に逃げた避難民を手榴弾や火炎放射器で焼き殺され、原発まで落とされたというのに、残虐なアメリカを恨むどころか、寛容なアメリカを賛美し、豊穣なアメリカを憧憬した日本人、震災で肉親と財産のすべてを失い、今日生きていく糧すらもないというのに、テレビカメラの前で涙一つ見せず、愚痴一つこぼさず、暴動も起こさず、静かに配給の順番を待ち、自らの命を省みずに見ず知らずの隣人を助けようとした日本人、国外には福島第一原発事故(2011年事故)による重大な放射能汚染を正直に配信しながら、国民には事態はコントロールされていると嘘をつき続け、その嘘をジャーナリストも学者も官僚も誰一人告発しなかった日本人、原発事故の危険性を目の当たりにし、日本社会と日本経済が崩壊するほどの未曽有の危機を経験したというのに、総選挙で原発推進政党を大勝させ、原発反対派に冷笑を浴びせた日本人が、またしても奇跡を起こしたのです。
でも、実際にはこの一晩で日本は決定的に違ってしまったのかもしれません。はっきりと根拠は示せませんが、そんな気がするのです。この一晩のうちに何か起こったかは、これからの歴史が明らかにしていくことでしょう。




