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隣人中毒  作者: ジャスミン弐式
2/11

妙子

2.

(今回の店は当たりだった)

 

 事前にネット予約しておいたフレンチのレストランで、友人と粘ること3時間。

 仕事のこと、そりの合わないママ友、なかなか宿題をしない我が子の愚痴など、これでもかというほど語り合った。

 週に一度は、女は毒抜きをしないといけない生き物なのだ。

 今日は美容院にも行ってスペシャルケアもできた。

 実家に金も入れている。働いているのだ。自分にご褒美が無ければ馬鹿らしい。


 妙子はアクセルを踏んだ。

 妙子の運転する赤い乗用車が前の車を煽る。

 

(とろとろ運転してんじゃないよ)


 妙子の舌打ちは、車内で鳴り響く爆音のJ-POPに吸い込まれていった。

 

 土曜日のこのひと時だけが自分を解放する。

 自由で全能感に溢れていたあの頃に戻れる気がする。


(あ、セロテープ)


 娘の敏子が、お道具箱の中のセロテープが切れそうだと言っていたのを思い出した。

 妙子は急に現実へ引き戻された。

 帰宅の途についていたが、右折し道を変える。左に膨らんだ危険な曲がり方だった。


 100円ショップに到着した。

 ハンドバッグを取り、車を降りる。

 店に入ったが買い物かごは取らなかった。無駄なものは買わない。セロテープ一つ買って帰るつもりだった。


(あ)


 珍しいものを見つけた。


(綾だ)


 丁度買い物かごを手にした綾が店内を横切るのが見えた。

いつもの事務服姿である。今日は休みであるはずだが。


(こいつ事務服以外の服持ってないの?なんかきも)


 しかし、綾だから、と思えば普通である。


(まあこいつは学生時代からおかしかった)


 向こうはこちらに気づいていない。

 もう10年以上顔を合わせていないのだ。すれ違っても気づかれない自信があった。

 自分は夜勤の日、綾が家を出るころに合わせて庭に出る。

 洗濯物を干しながら垣根の前まで移動する。

 そして、勝手口から家を出る綾を隙間から覗くのだ。だから綾の姿は知っている。


 妙子はさりげなく、物色するふりをして、棚を見ている綾の後ろについた。

 何を買っているのか、かごの中を覗き込む。

 かごの中には山のようにお菓子が入っていた。

 合間に、申し訳程度にペンやルーズリーフが刺さっている。

 妙子は綾の後姿を頭のてっぺんから足の先まで眺めまわす。


(だからあんたそんなに太るのよ)


 妙子はわずかに口元に軽蔑の笑みを浮かべ、さっと文房具売り場へと向かった。

 

 ざっと音を立てながら砂利の敷かれた庭に、妙子の運転する赤い自動車が入る。

 自動車を降りて、とりあえず意味もなく隣家を一瞥した。

 くたびれた色合いの外壁が目に入る。

 野村家は10年ほど前に建て替えられた。

 以前の野村家は、島田家よりずっと古かった。

 弟たちは「綾の家はボロ屋敷」と綾をからかっていたが、綾は特に苦にしている様子もなかった。

 妙子は口にこそ出さなかったが、内心では同じように嘲笑していた。

 そんな中、上場企業に勤めていた綾の父親が大きな新しい家に建て替えた時は、妙子は歯噛みした。

 弟たちもじっとりとした目で野村家を見るようになった。

 窓から二階にロフトのような作りがあるのを見た時は、妙子は悔しさで気がおかしくなるかと思った。

 そんなだから、当然新築パーティなどに呼ばれることもなかった。

 野村家の建て替えによって、島田家は「ここら辺では一番古い家」になった。


 そんな野村家も去年、店舗部分を含めて建て替えをし、「ここら辺では一番新しい家」となった。

 妙子はロフトを付けるように要望したが、予算の関係と、他の家族の希望との兼ね合いもあり、通らなかった。

 店舗部分を含めると、島田家は野村家よりも大きい。

 しかし立地の関係で野村家のほうが大きく見えた。

 妙子は実際には大きくて新しい実家と向き合う。

 目の前には、冬でも夏でも開けっ放しの玄関を見た。

 家が古いときからの習慣であった。

 祖父が常々言っていたのだ。うちは本家だから誰が来てもいいように玄関は開けておかねばならん。

 祖父にとってはこの時期は虫が入るだの、防犯上どうのは関係ないようだった。

 本家だというのなら、名前に負けない暮らしぶりをしてみたかったものだ。

 子供のころ、家に金はなく、なんとか長男は大学に行ったというのに、自分だけ「女が大学に行く必要はない」という祖父の一言で専門学校だった。

 

(大学に行けていれば)


 大学にさえ行けていれば、向上心のない長男と違い、自分なら今頃介護士風情に甘んじていることはなかっただろう。

 そんな思いを振り切るように、妙子は頭を振って開けっ放しの玄関に入った。


 玄関に入ったら娘の敏子が丁度廊下を横切ろうとしていたところだった。

「あ…お母さん。おかえり…」

 この子はなんとなく元気がない。

 生まれた時から大人しい性格だった。

 好きな楽曲のCDを買ってあげると言っても、そんなものは無いから児童書を買って欲しいと言う。

 そしていつの間にか、人の顔色をうかがうような性格になっていた。

 今も、こちらの機嫌があまり良くないのを察知しておどおどとしている。


(そんなだからいじめられるのよ)


 敏子は一度いじめられて小学校を変えている。

 女の子は流行りのものを抑えてテレビを観ておけば滅多に仲間外れにされることはない。

 あとはどんなにつまらない話でも笑って聞いていればいいのだ。

 なのにこいつときたら。

「敏子、ほら。セロテープ」

 妙子はカバンからセロテープを出し、敏子へ渡す。

「うん…」

 そう言って、敏子はセロテープを受け取る。

 

(うん、じゃなくて、ありがとう、でしょ)


 妙子のいら立ちを感じたのか、敏子はさっと目を落としてその場を素早く立ち去った。


(年々あいつに似てくるし、腹立つ)


 敏子の顔立ちは、別れた夫の幸一に似てきていた。

 妙子は専門学校を出てすぐ、見合い結婚をした。

 当時付き合っていた彼氏もいたが、「とても良い家柄の方だから」と両親から強く薦められ、彼氏とは別れた。

 妙子はまんざらでもなかった。初めて「我が家は名家」の肩書が役に立つ瞬間がやってきた。

 妙子の家と違って幸一の家は名実ともに本物の名家であった。

 半年ほどの交際期間を経て、幸一とゴールインした。

 結婚前からの条件で、妙子は幸一の実家で両親と同居することになった。

 建て替えたばかりの幸一の実家は大きく、立派だったが二世帯住宅ではなかった。

 姑と舅はとても厳しい人で、妙子はなんやかんや理由をつけてしょっちゅう実家へ入り浸った。

 そんな中で敏子が生まれる。

 来院した姑と舅から「女の子は要らない」と罵倒を受けるが、そんなことが気にならないほど敏子は可愛かった。

 名家へ嫁ぎ、子供を産む。女の頂点に君臨した気分だった。

 しかしそんな幸せも長く続かなかった。

 まずは「敏子」という名前のこと。

 見舞いに訪れた幸一から「名前は両家で『敏子』と決めたから」と告げられる。

 妙子はお腹の子が女の子だと知った時からいくつも名前の候補を上げ、幸一にも伝えていた。

 そして、生まれた我が子と対面した時「この子の名前は亜梨子ありすだ」と確信した。「敏子」だなんてそんな古臭い名前…。

 両家ということは、祖父も関わっているのか。どこまで自分の邪魔をすれば気が済むのだ。

 幸一にどういうことか聞いても「こういうものだからしょうがない」「どうしようもない」というばかりで、妙子は怒鳴って幸一を病室から追い出した。

 後で知るのだが、このときすでに出生届は出されてしまった後だった。

 名前は残念なことになったが、かわいい我が子であることには変わらない。

 妙子は立ち直って、敏子を立派に育てようと決意する。

 そんな決意もたった1年で挫かれることになる。

 幸一から「実はずっと好きな人がいた。その人と一緒になりたいから別れてほしい」と告げられた。

 妙子は微塵も気づかなかったが、結婚前から関係は続いていて、幸一は相手とコソコソ逢瀬をかさねていたらしい。

 その相手がこの度めでたく妊娠したからと。

 妙子のプライドは大きく傷ついた。

 一も二もなく妙子は敏子を連れて実家へと帰った。

 両親は妙子を慰めることなく、出戻ったことについて「情けない」と泣いていてた。

 話し合えば別の展開もあったかもしれない。

 しかし妙子のプライドが夫を許すことができなかった。

 郵送されてきた離婚届にサインし、妙子は少なくない慰謝料をもらい正式に実家に帰ることになった。

 以来、父は恥ずかしいからと、一切の集まり、行事に参加しなくなった。

 寝たきりの祖父が、寝たまま「言いたいことがあるからそこへ座れ!」と怒鳴ったが「だまれクソじじい!全部お前のせいだ!」と妙子は喚いて部屋を出た。

 祖父の世話だけはしないと母に言った。寝たきりのため、家の中で顔を合わせることもないので、妙子は清々した気持ちだった。


 敏子は二重の意味で妙子にとって過去の汚点なのである。

 思ったような性格に育たなかったのも、妙子をまた苛立たせた。


 夕食のあと、一番に妙子は風呂に入った。

 友達がくれたバスボムを一早く試したかったのである。

 バスボムは湯船に落とすとバラの香りを放ちながら溶けだした。

 バスボムを作る教室があるらしい。休みの合う日に行こうと誘われたが、これはいいかもしれない、行ってみたいと妙子は思った。

 妙子は湯船に浸かり、足を延ばす。

 幸一の家も浴室は広かったが、新築の我が家の風呂もなかなかのものだ。

 前の家は狭かったどころか、湯船も小さく、塗装が剥がれまくっていた。

 妙子は足を組み替える。

 この家に戻ってきて正解だった。

 親に子の面倒は任せられるし、家事も母がやってくれるのでそれほどしなくていい。

 介護の仕事も安定しているし、養育費もある。実家に住むのなら十分子を養っていける上に、自分に金も使える。

 何も恥じることはない。

 女性はこれからも人生で新しい選択肢を選んでいける。

 そういう時代になったのだ。


(そういえば、近所に恥ずかしいやつがいたっけ)


 綾だ。

 小さい頃はあれこれと比べられ腹が立ったが、総合点で綾に劣ったと思ったことは一度もなかった。

 自分と綾ではピラミッドの頂点と底辺ぐらいに違う。そもそも人種が違うのだから比べてはならないのである。

 綾はとにかく「そういう人種」とばかりつるんでいた。

 私服もダサいし、いつも本ばかり読んでいた。

 今も、もうすぐ30になるというのに、休日は家にこもっていて出かけるところは滅多に見ないと母が言っていた。

 そんな綾をたまに話題に出しては、家族で笑っている。

 完全に行き遅れている、孤立している、賞味期限過ぎてる、お父さんとお母さんが可哀想、等々。

 それに比べて私は。


(女として、完全に勝ってて、ごめんなさいね)


 風呂上がりに居間で酵素ドリンクをグラスに注いだ。

 それを炭酸水で割りながら、いい休日であったと妙子は思う。

 明日は日曜日だが出勤である。今日のおかげで、嫌な仕事も頑張れる気がした。

 そこに、

「ちょっと妙子!ちょっと!」

 母が居間に駆け込んでくる。騒々しい。

「どうしたの」

「お父さんが久しぶりに町内会の集まりに出たんだけどね」

 それは珍しい。あれほど頑として参加しないと言っていたのに、どういう風の吹き回しだろうか。

 今思えば、何か虫の知らせのようなものがあったのかもしれない。

「野村さんのお父さんも来てたんだけどね、綾ちゃん、不動産鑑定士に受かったんだって」

 妙子は一瞬その言葉を理解できなかった。

 母に尋ねる。

「それって宅建とかいうやつ?」

「宅建は宅建でしょ。超難関よ。超・難・関!親戚のとこで働きながら、午前中勉強してたんだって。あんたも遊んでる時間あるなら、少し勉強したら?」

 まただ。

 また比べられた。

 見下しているくせに、都合のいいときだけ引き合いに出す。

 母の表情も心なしか悔しそうだった。

 先ほどまでの気分の良さは、どこかに吹き飛んでいた。

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