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隣人中毒  作者: ジャスミン弐式
1/11

智佐子

1.

 鏡の中の女がそっと頬へ手を滑らせた。

 早朝に塗ったばかりのファンデーションはすでに浮いてきていて、相貌をくすませていた。


(海外製の化粧品がほしい)

 

 海外製の化粧品が手に入ったところで、もはや衰えた容色はどのようにもならなかった。


(もうどれくらい買っていないのだろう)

 

 溜息さえ出なかった。

 

 女子短大を卒業後、商社につとめ25歳で寿退社するまで、智佐子は給料の大半を海外製の化粧品に注ぎ込んでいた。

「あなたたちもいいものを揃えないとだめよ。私、化粧品はすべて海外製でないと肌に合わないの」

 智佐子はトイレで後輩や同僚と出くわすと、そう言って自慢のコレクションがびっしりと並んだ化粧ポーチをこれ見よがしに開き、海外ブランドの口紅をつまみ出して見せていた。

 隣で化粧直しする者がいれば、

「パウダーだけでもブランド品にしたほうがいいわよ。持ちがずっと違うから。私はこれをつかってるけど」

 そう言って自分のブランド製パウダーを見せる。

 皆は一様に困ったように笑い、

「余裕がなくて」「私肌が弱いから」

 そう言って逃げるように去っていく。

(親切で言ってやってるのに、迷惑そうに。自分の容姿に自信がないから金をかけたくても、そこまで投資できないのだろう。本当に悲しい奴ら)

 よそよそしくするのは、化粧品や洋服にたっぷりと金をかける自分に嫉妬しているのだとすら思った。

(貯金なんてしてどうするのだ。女は容姿で男を捕まえ、男の稼ぎで養われるのが当たり前)

 そう言って惜しげもなく口紅を唇へ乗せ、鏡に向かい智佐子はニンマリとほほ笑む。


 記憶の中でほほ笑む智佐子の若い美しさは、もはや一欠けらも残されていなかった。


 貧しい家庭に生まれた智佐子は高級品への執着心が凄まじかった。

 実家の四畳半の狭い自室へ置かれた、ビニル製の洋服掛けにはぎっしりとこれまた海外製のブランド品がかけられていた。

 ボーナスで買い替えた豪奢なドレッサーには、ブランドの基礎化粧品がいくつも並べられていた。

 ドレッサーは嫁入り道具に、この洋服達が似合う洋服箪笥が用意された広い新築一戸建てが建てられるような男のもとへ嫁ぐのだ。

 漠然と智佐子はそう考えていた。

 わりと整った顔立ちをしていた智佐子は、学生時代から多くの男にいいよられていたが、どの男も智佐子のお眼鏡にはかなわなかった。

 決して自分を安売りすることはなかった。

 男たちは智佐子に適度にからかわれ、ぽいと捨てられた。


 運命の出会いがやってきたのは23のときだった。

 まさに運命なのだ。このしょぼくれた人生を送る運命の切っ掛けとなった出会いだ。

 

 島田英太は鼻筋が通り、俳優のような甘いマスクをしていた。

 会社でのお花見会で智佐子と英太は出会った。

 英太はこの年会社に入ったばかりであった。

 周りの女子の目の色が変わるのが判る。智佐子は牽制しながらも慎重だった。

 料理を取り分け、英太に勧めながらさりげなく隣に陣取った。

 そして智佐子は言葉巧みに英太から個人的なことを聞き出していく。

 酒が入り、口が軽くなった英太は、会社には親に命じられて社会勉強で入ったこと、家は老舗の酒屋であること、いずれはそれを継ぐこと、祖父は地元の名士で地主であることを語った。

 英太も智佐子にちやほやとされまんざらでもない様子だった。

 老舗、名家、地元の名士、話しながら智佐子は半ば夢見心地であった。

 智佐子は半ば確信していた。必ずやこの男を手に入れる。

 そして名家の奥様の座を手に入れるのはこの智佐子であると。


 智佐子の猛烈なアタックに英太が屈する形となって、二人の付き合いは始まった。

 二年の交際を経て婚約へとこぎつけた。

 婚約後初めて、英太の実家へと招かれたのだが、そこは老舗とは名ばかりの古びた木造家屋だった。

 度々智佐子は英太に実家へ挨拶に行きたいと言っていたのだが、のらりくらりと躱されていた理由がわかった気がした。

 24までには一人、女の子を産みたいと願っていた智佐子にはタイムオーバーだった。

 地元の名士のところへ嫁ぐ、それに賭けて智佐子は結婚を決意した。


 ところが蓋を開けてみれば、地元の名士も、戦争時の地位をいつまでも引きずって威張り散らしているただの困った爺さんだった。

 持っている土地も大半が山林など、どうにもならないものばかりだった。

 商売はすでに傾きかけていたが、自称名士が酒屋を続けることにこだわった。

 英太は商社をやめ、智佐子は、もっとも専業主婦となることが目的だったのだが、商社を続けることは許されず家に入ることとなった。

 智佐子は家事は全部任され、店番と配達もさせられた。

 家計はいつでも逼迫し、化粧品は最低限のものをドラッグストアで買った。

 舅は子供が中学に上がるころ、地元の集まりで酒を飲み倒れた。

 脳梗塞だった。

 そこから智佐子の仕事に介護が加わった。


 まるで嵐のようだった。と智佐子は振り返る。

子供は医者にも弁護士にもパイロットにもならず、この片田舎で普通の職に就いた。次男に至ってはまだ定職が見つかっていない。

 智佐子が得たのは、たるんだ皮膚と深い皺。同じ年代の誰よりも老けているのではないだろうか。


 智佐子は庭に出る。

 初夏の日差しが容赦なく照り付け、智佐子はより一層老化が進んだのを感じた気がした。

 庭の砂場に薄汚れた、幼児が乗って遊ぶプラスチックの車がタイヤをこちらに向けて倒れている。


(あの子にもっと堪え性があれば…。私に恥をかかせて)


 その時、

 キィ、と音を立てて背丈を越える大きな垣根を挟んで目の前にある隣家の勝手口が開いた。

 智佐子は足を止め、気配を殺す。

 垣根越しに凝視すると、隣人がカバンについたキーホルダを伸ばして鍵をかけている後姿が見える。


 野村綾。この家の一人娘だ。

 自分の娘、妙子と同学年である。

 妙子は出産してもスリムな体型を保っている。

 が、この娘はどうだ。子供を産んだわけでもないのに、その体格は年々存在感を増している。

 智佐子は綾のずんぐりとした尻を見て失笑するのを堪えた。

 

(事務服以外見たことないわね)


 平日、地味な事務服で勝手口から出ていく以外に綾を見ることがない。

 土日はどこへも出かけず、家にこもっているようだ。

 比べて妙子は、大して家事をするわけでもないのに「育児から解放されたい」と、智佐子に子供を預けて一人で出かけてゆく。

 智佐子は未だに家の家事を一手にい引き受けていた。

 当然、店番、配達、くたばりぞこないの舅の介護もである。

 それに加えて孫の世話。

 しかし、隣の家にはまだ孫は居ない。そう思うと面倒な孫の相手でもわずかに自尊心が満たされるのであった。

 智佐子がろくに使わなくなったドレッサーは、今は妙子が使っている。その妙子は子を産んだ。

 自分の人生は成功している。


(遊びに行く友達もいないのかしら)


 子供時代の綾は足が遅く、運動神経の悪い子であった。

 要領が悪く、いつも取り残される。妙子は気の毒に思っていたのか、しょっちゅう相手をしてやっていたようだった。

 しかし妙子はカースト上位に君臨すべき子なのだ。ある程度の年齢で、友達としてふさわしくない、プライベートであまり関わるなと釘を刺した。


 ぼーっとしていてトロい綾を、長男の誠也と次男の和正は馬鹿にしていた。当然恋愛対象になどなりえない。

 当然だ。嫁に来てもらっては困る。劣った遺伝子など入ってもらっては困るのだ。

 だが綾にも得意とすることがあった。

 絵と作文である。

 絵のコンクールがあれば、その度に入賞し表彰された。

 作文があれば学年代表として選ばれた。

 妙子をはじめとする智佐子の子供たちには、こういった突出したものは無かった。

 妙子は漫画を見ながら女の子の絵を真似て描く程度で、賞を取れるような絵は描けなかった。

 全員、落ちぶれない程度には勉強していたが、智佐子はそれでは満足できなかった。

 智佐子は綾を馬鹿にしつつも、度々引き合いに出しては子供たちの自尊心を刺激した。


 時刻は午後1時を回っている。

 噂では綾は親戚の税理士事務所に勤めていると聞いている。


(重役出勤ですこと。この子、どっか悪いんじゃないの)


 例えば精神とか。

 きっと親戚の税理士事務所に仕方なく御厄介になっているのだ。

 

 垣根の向こうを歩いていく綾を、垣根越しに見つめる。

 少しアデノイド気味の横顔が見えた。


(うちの子と違って、この子は容姿に恵まれていない)


 智佐子の子供は皆、目が大きく鼻筋が通っている。どちらかといえば綾はその逆だ。


(色々と可哀想な子)


 しかし智佐子は見る。

 半袖の事務服から伸びた手足の白さが、夏の日差しを受けて輝いているのを。

 野暮ったく見える黒髪のセミロングが、つやつやと太陽の光を反射しているのを。

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