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勝負の神様

作者:カム
 いつの世も勝者になれるのはほんの一握りの人間である。されど勝つ者は皆もれなく勝負に打って出ている。昔々のご先祖の時代から争いは繰り返され、今ここに生きていることがそもそも勝者の証。そのメンタルは我々の遺伝子にまで組み込まれているに違いない。

 さて、ここで現在のわたしの状況を説明しておこう。まず居場所はトイレの中である。大の方を済ませて綺麗に拭き取った後、おもむろに洋式便器の中を確認したところ、流すのを躊躇う量のトイレットペーパーがそこにあったのである。周囲の時間は止まり、鼓動だけが速まるのが分かる。こめかみからは冷や汗が流れている。これは大勝負になるぞ、と心の中で感じる。

「ふう……」

 わざと声に出して息を吐いたものの、何の落ち着きも得られぬまま、ただ時間だけが過ぎていく。どうしたものか。歴戦のご先祖達は如何なる術を用いてこのような危機を乗り越えたのだろうか……と遠い過去に思いを馳せる。

 考えられる選択肢は2つ。このまま一思いに水を流して、何も無い平穏な便器に戻ることを願うか、または便器の中から流れそうにない分のトイレットペーパーを取り出すかだ。安全策をとるならば後者だろう。手間は掛かるが元通りになる確率は非常に高い。では前者はどうだろう。綺麗さっぱり流れてしまえば最速で問題が解決することは間違いない。だが、もし流れなかったらどうなる? 運良く詰まらなければ、2回流せば流れきるだろう。ただし詰まってしまったら最悪で、想像するのもおぞましい結果が待っている。

 わたしは目を瞑り、天を仰ぐ。呼吸を整え、脳内でシミュレーションを繰り返す。今までの経験上、1回で流れるか流れないかは全くの五分五分。そして悪夢のシナリオを辿る確率は恐らく2割。

「あ……」

 わたしの中で天啓が閃いた。1回で流れる確率が5割、2回で流れきる確率が3割、詰まる確率が2割ということは、結局流れる確率は8割であり、詰まる確率を大幅に上回っているではないか。

 ここまでの考えを整理してみよう。水を流す前にトイレットペーパーを取り出せば、ほぼ勝利は確定するが、いかんせん面倒である。何もせずに水を流した場合の勝率は8割で、2割の確率でトイレは詰まることになる。

 いつの世も勝者になれるのはほんの一握りの人間である。されど勝つ者は皆もれなく勝負に打って出ている。つまり勝利が確定している勝負はもはや勝負ではない。なぜならば敗者が存在しないからだ。敗者がいなければ勝者も生まれない。わたしが水を流しきって勝者となるには、必然的に勝率8割の勝負をするしかないのだ。トイレットペーパーを取り出してから水を流すという行為自体、便器を詰まらせないための選択肢となり得なかったのだ。

 わたしは意を決してレバーに手を伸ばす。指先は極度の緊張で震えている。これこそが勝負の中でしか味わえない感覚であり、今を生きる我々の遺伝子に刻まれていく記憶なのだろう。いつかの未来で子孫達が似たような危機に陥ったとき、思いを馳せるべき過去となるはずだ。

「でぃやっ」

 言葉にならない掛け声とともに、わたしは大と書いてある方へ勢い良くレバーを回す。と同時に退路を確保すべく、素早く一歩下がる。自然と祈るように手を組んでいる自分に少し笑いながら、念仏を唱えるように呟く。

「頼む頼む頼む頼む頼む頼む」

 嫌な色を保ったままではあるが、順調に水は流れていくように見えた……のも束の間、突如として逆流し始めたではないか。ごぼごぼと湧き出る温泉のように、濁ったまま水かさが増していく。もうこうなれば誰も止めることはできない。汚水は程なく便器から氾濫した。

 勝負の神様がわたしに微笑むことはなかったが、後悔はしていない。大抵の人間は勝率10割の愚者になることを選び、勝率8割の敗者にはならない。だが勝負の場に立たない限り、永遠に勝者になることはないのだ。

 わたしは泣きながらラバーカップを上下に動かし続けた。

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