火中の栗 上
神が人々から如何に慕われているかを彼は再認識せざるを得なかった。
もう何年続いているか数えてもきりのないこの時代、海に面したエリアは戦火によって焦土と化した場所も少なくない。だが、今いる場所は入り組んだ湾のなかにあるとはいえ、多くの自然が残っていた。
このすぐ近くに太古の昔からこの国の人々が信仰していた神社の総本山があり、絶対的な防衛ラインが存在しているからだろう。その結果多くの人命以外にも、多くのものが守られた。
リアス式によって少し隠れた場所にある旅館のなかを仲居さんに案内されながら歩いていた男は外に見える自然を見ながらそんなことを考えていた。
戦争の最中だからか、それとも真っ昼間でほかに客もいないからか、ほとんど電気が点けられていない薄暗い廊下を歩いているので、必然的に明かりが入ってくる窓へと目が向けられるわけだが、窓の外には多くの花や草が風にそよいでいるだけではなく、鳥のさえずりや蝶が自由に飛んでいる様を見ると、確かに神というものの加護があるようにさえ思えてくる。
「こちらです」
前を歩いていた仲居さんが止まり、部屋のドアにノックをしていた。どうやら考え事している間に目的の部屋に到着したようだ。
部屋の中へと通され、奥に進むと窓際の椅子にスーツ姿の男が座っていた。
「君が園田緋月君だね?」
スーツ姿の男はおもむろに立ち上がると、緋月と呼ばれた男は男に向けて一礼した。
「この度はご依頼いただきありがとうございます。園田緋月です。お互いにとって良いビジネスになるように努力させていただきたいと考えています」
「ビジネスか。まさにその通りだ。こちらとしてもそれを願いたいね」
男は薄く笑みを浮かべながら名刺を取りだし、
「海軍省情報部次官の沼津だ。よろしく」
と、名乗りながら名刺を緋月に渡した。
緋月は名刺をジッと見つめ、海軍省のマークが本物であると確認すると、すすめられた座布団に腰を下ろした。
沼津も緋月の向かいに座り、仲居さんが姿を消したタイミングで緋月も口を開いた。
「陸軍省の方が俺になんの御用でしょうか? また、本省ではなく何故このような場所に?」
「警戒されるのは仕方ないが、刀狩や軍人として強制徴兵するつもりはないから安心したまえ」
唐突に向けられた警戒の眼差しに沼津は飄々と答えた。
「では、何故?」
その言葉に沼津は少し暗い表情を見せてから、緋月の問いに答えた。
「君も知っているだろうが、我が国……いや、この世界全てが戦争を続けて長い時が経っている。特にタイタンという大型人型兵器が登場してからはいつ終わるか分からないというレベルにまでなってしまった」
「……」
「戦争に終わりが見えないことによって大きな問題がいくつもある。例えば軍備だ。現在のところ資金はあるが、物資や兵士がかなり不足している」
「つまり、余剰の金で俺達傭兵を雇い、不足分の兵士を補おうと?」
沼津が言わんとすることが予測できた緋月は厳しい面差しを見せた。
「本来ならばそうしたい所だが、そこまで我々は傲慢ではないさ。だが、問題を解決するために送れる戦力が現状軍部にないのは事実だ」
沼津は厳しい面差しを向けられても飄々としたままだった。
「そこで、軍部は一ヵ月君と契約して、現在抱える問題の解決に尽力してほしいと考えている」
その言葉に緋月の顔は驚きものに変わった。
「一ヵ月ですか?」
「ああ、一ヵ月だ。それ以降は作戦の状況次第で延長するかを改めて話し合いたいと考えている」
「報酬を伺っても?」
「一ヵ月で佐官クラスの三か月分の給料を支払う準備がある。また、同期間中の補給も軍部が担う」
「動くのは俺一人ですか?」
「流石に主力を出すわけには行かないが、旧型の空母艦隊を派遣するつもりだ。だが、新兵や前線を退いた者が中心の部隊であるため、タイタンでの主戦力は君になる」
そこまで聞くと緋月は考える仕草を見せた。正直なところこのご時世では好条件な仕事であったからだ。
とっさに判断出来なかった緋月は覚悟して、一番気になっていたことを聞くことにした。
「その作戦の詳細は教えていただいても?」
その問いに沼津は戸惑いを見せたがすぐに開口した。
「さっき話した問題だが、最も問題となるものは何か分かるかね?」
やや趣旨と異なる言葉に緋月は怪訝な顔をするが、なんとか答えを紡いだ。
「現場の兵士の士気……ですか?」
「それもそうなんだが、現状我々が危険視しているのは国民の不満だ」
「不満……?」
「ああ、幸いにも他国と陸地で繋がっていないことや我ら帝国海軍がなんとか敵の侵略を防いでいること国民への被害は他国に比べて比較的永微であると言える。だが、こうも終わりの見えない戦争が続けば戦争を終わらせない政府……世界への不満が積み上げられていく」
「政府は政府で終わらすことはできない……ですね?」
「その通り。何かしらこちらに有利な状況までもっていかねば降伏も同然だ。だが、膠着状態を打開できていない」
「エンドレスであると」
「それでも政府への不満を高めることやエンドレスの戦争に嫌気が指すだけならまだしも、どういったことかこの世界そのもの終焉に導こうとしている者たちが現れた」
沼津の正気とも思えない言葉に緋月は目を細めた。
「冗談でしょう?」
「部下の連中が狂った情報を流してるなら、言い出した本人を病院で養生させたいがね。だが、あながち外れてもいないのが現実だ」
「どうやって……!?」
「人類を皆殺しにでもしなければ達成しえないものだがね、ご丁寧にそれを成しえる軍備を整えている組織がいてね。その組織を制圧するのが契約したい内容だ」
それで一通り言い終えたのだろう、沼津は試すような目で見つめた。
「その組織は……?」
「綾瀬財団は知ってるかね?」
綾瀬財団とはかつては貿易において大きな利益を上げ、経済界にその名を轟かせた綾瀬商会を中心とした財閥である。特に戦前から軍部と蜜な関係となり、多くの武器の製造し納品したことからより多くの財を成すことに成功している。
また、軍需工場の守護や納品のための船舶や飛行機の護衛の名目の元に私設軍も保有していることでも有名である。
そんな財団の所有する邸宅が山名湖という湖のほとりにあった。
太陽が沈んでまもなく経った頃、一見西洋の城かと思えるような建築物の一角で、テラスに出て月を見上げる少女の姿があった。
「マリ様、夏場と言えどまだ夜は冷えます」
少女が外に出ていることに気づいたのか、中から軍服を着た銀髪の男が出てきた。
マリと呼ばれた少女は振り向くことなく口を開いた。
「今宵は月が綺麗だわ。せっかくの月夜ですもの、もう少し見上げていたいわ」
男は不服そうな顔をするが、マリは全く男の方を振り向こうとはしなかった。
「そうね、せっかくならこの月夜の絵でも書きましょう。豊川、キャンパスを用意してくれないかしら?」
それだけ聞くと豊川と呼ばれた男は、すぐさまテラスを後にした。
自分以外の人の気配がないことを確認したマリは、
「美しい月の夜なのに、なにかおぞましい感じがするのは何故かしらね」
と、静かに呟いた。
「ええ、問題なく契約を交わすことができました」
月明かりの光しかない部屋で、沼津は昼間交わした契約書を見ながら満足そうな面差しで電話をしていた。
「予定では明朝に空母知名と合流させ、その夜に山名湖の財団施設を強襲してもらう手筈です。はい、彼ならば問題なく成功させてくれるでしょう」
それだけ言うと、受話器をおいて机の上においてある日本酒を手に取り呟いた。
「しっかり火中の栗を拾ってもらわねばな」
沼津は意地の悪い顔を一瞬してから、盃を煽った。