第一話:夜の支配者
前回までのあらすじ
リア充が忠告を無視してカラオケに行きました。
彼らの気持ちを代弁するのならば「どうしてこうなった。」としか言いようがないだろう。光明たちが夢中でカラオケを満喫しているうちに時刻は七海が絶対に出歩くなと忠告をした夜中の2時になっていた。しかし彼らは完全に浮ついており大吾がこっそりと持ち込んだアルコールのせいもあってそんなことなどすっかり忘れていた。それから俺たちは帰りのタクシーを呼んでカラオケ屋を後にした。そこまではよかった。いや飲酒は良くないのだが。
異変が起こったのはカラオケ屋から足を一歩踏み出した時だった。先ほどまで後ろから聞こえていた賑やかな喧噪が幻だったかのように前触れもなく消え去った。それと同時に凍えるような寒気を感じて後ろを振り返る。24時間営業でずっと明かりを灯しているはずのカラオケ屋は完全に闇に閉ざされていた。商店街は街灯がちらちらと弱弱しい明かりをともすだけで普段は賑やかな居酒屋なども静まり返っている。恐怖を感じているのだろう、香坂は最上に、日向は大吾に、そして朝峰が光明に抱き着くようにしがみ付き、鼬も光明の服の袖を掴んでいる。
「うー、つかまっちゃったー。」
そんな中、カラオケでみんなが歌っている中終始アイスをむさぼっていた、いや正確には今もアイスキャンディーを舐めている雪乃が真っ先に口を開いた。捕まった?誰に?何のために?という疑問が彼らの頭をよぎる。いや、男はともかく香坂や最上、鼬や朝峰は美人だからなんらかの理由で捕まることは考えられる。身代金目的の誘拐も十分あり得る話ではないか。彼らは帝都の治安の良さに胡坐をかいていたことは違いないし、それを認めてはいるがそれと今の状況は全く別のものと考えるほかないだろう。普段の態度を崩さない雪乃、落ち着いてあたりを警戒している最上と鼬。それ以外の若者は明らかに混乱を隠せないでいる。光明が言葉の意味を雪乃に問いただそうとしたその時。それは現れた。
商店街の建物の間から。シャッターの下の僅かな隙間から。側溝やマンホールから。黒くうごめく影、もしくは闇を溶かしたようなものがあふれ出てくる。影は他の影と合流し、あるいは別れ、水の流れるように、あるいはのたうち回るようにじわじわと接近してくる。カラオケ屋の中に戻ろうとするもほんの少し目を離していた間にシャッターが閉じられてしまったようで逃げ場は失われている。
「おい!雪乃!なんなんだこれはよ!」
「うー?ぼく言ったよ?来ないほうがいいって。」
「あぁもうやっぱり!こんなことになるなら無理やりにでも帰らせればよかった!」
雪乃は態度を崩さず相変わらず平気な様子で影を見ている。鼬も何か知っているようでもう過ぎたことを後悔しているのか半分八つ当たりのように声を荒げている。香坂は首にかけたネックレスのロザリオを握りしめており、それを庇うように最上が香坂と影の間に入っている形だ。大吾は女性がいる前で恐怖を表に出すほどプライドがないわけではなく、後ろに隠れている日向を庇う形ではあるが足がすくんでいるのが見て取れる。光明は鼬と朝峰を庇うように影の前に立つ。
影はやがて歪な人の形を取る細い手足、突き出た腹、緑色の肌にまばらに生えた頭髪、黄色く濁った眼は純粋な本能から獲物を見定めている。それは子鬼、ゴブリンなどと呼ばれる低級の怪異。低い知能と頼りない矮躯ではあるが醜悪な外見と暴力的な数が本能的な恐怖を思い起こさせるようだ。
状況は最悪といっていいだろう。若者たちの背後は閉じられたシャッターが退路を奪い、醜悪な怪物どもが半円状に取り囲んでいる。子鬼は汚い爪や牙を月光にぎらつかせ、今にもとびかからんとしている。鼬が何かを決心したように普段から持ち歩いている和傘に手をかけようとしたその時。子鬼の一部が大きく奇声を上げ、爪や牙をむき出しにして集団でとびかかる。その目標は、食欲を満たせるであろう大柄な大吾でも、性欲も満たせるであろう女性でもなく、その集団の中では平凡行ってもいい光明であった。
その瞬間、光明は周囲の景色がスローモーションのように動き出したように感じる。それは所謂走馬燈というものであり、光明がこれまで経験してきた全ての記憶がはっきりと浮かんでくる。そして光明は現在感じている違和感の正体に気が付いた。回想される思い出が”一つではない”ことに。その走馬灯の主体となっているものは光明自身としての記憶。この【大和皇国に生まれ育った十宮光明】としての記憶である。他愛のない日常の会話、幼馴染との日常。その中に明らかに光明のものではない記憶がまるでサブリミナル効果を与える映像のように一瞬だけ過ぎ去るように挟み込まれている。その記憶は徐々に光明の脳内に肥大化していき、一部の連続した映像が光明の脳内に流れ込んでくる。
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「退避ーっ!退避ーっ!この×××とて、もう長くは持たん!」
「火の手が火薬庫に向かっている!消火急げ!」
「被害甚大!早く逃げろ!」
光明は狭い通路を走っている。周囲からは耳をつんざくような爆音が聞こえる。混乱する仲間たちの声、怒号を飛ばす上官の声、へたり込み絶望した部下の声あらゆる情報が耳から流れ込んでくる。これ以上海水が流れ込まないように光明は隔壁を閉鎖する。それでも足首まで海水が流れ込んでおり、転ばないように他の区画へ移るだけでも手いっぱいだ。
「隔壁閉鎖!ダメコン急げ!何としてでも一人でも多く逃がすんだ!」
光明は混乱する部下に命令を飛ばす。混乱した状況を打開するためには何をしていいかわからない状況から少なくとも何をすべきかを最低限理解させることだ。他の損傷個所へ応援に行こうとした。その時、大きすぎてもはや聞こえない音と視界を埋め尽くす光。それが最後の記憶なのだろうか、挟み込まれた記憶はそれ以来出現しなかった。
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違和感の正体は現在の記憶と前世のものと思われる記憶の混在によるものだったのだろうか。しかしそんなことを考えている暇は微塵もない。目の前には醜悪な死がすぐそこまで迫っているのだから。
しかし体を動かそうにも知覚している速度には全く追いつかない。鼬が何か叫んでいるがあまりにもゆっくり過ぎて何を言っているのかわからない。最上や香坂、大吾はどうしているのか、視界の外にいるために把握できない。雪乃はただ突っ立っているだけのようにも見える。光明が死を覚悟したその時。その走馬灯の中で加速された意識でもはっきりとした速度で黒い影が子鬼の集団との間に割り込む姿を見た。
闇夜に残像を残す赤い瞳。
翻る赤いマフラー。
その手に持つのは月明かりに煌く日本刀。
それを確認した瞬間。走馬燈は消え去り、代わりにこの中の誰でもない世にもおぞましい悲鳴が周囲に響き渡る。その悲鳴の発生元を確認しようと周囲を見渡すと、先ほどまで醜悪な笑みと恐怖をミキサーでかき混ぜたような子鬼の集団が胴体から真っ二つに切断されている様子が見て取れた。きれいに上下で両断された子鬼は期待が霧散するかのように最初の黒い液体がはじけ飛ぶかのようにしてゆっくりと消滅した。しかしそんなことよりも、彼らはとてつもない速度で割り込んできた目の前の人物に驚愕していた。
「……七海、先輩……?」
それは紛れもなくよく知った黒峰七海の姿だった。しかしその姿は平生とは明らかに異なっており、爛々と輝く赤い瞳、犬と思われる獣の耳と尻尾、分かりづらいが口元にも牙と思しきものが見て取れる。服装も赤いマフラーを除けば軽装の鎧武者を連想させる和服で、黒い装束と袴に落ち着いた赤色の陣羽織。防具として籠手と脚絆を装備し、手には先ほど子鬼を切った日本刀が握られている。七海先輩はこちらをうかがうと普段の少々気の抜けた顔で困ったような笑みを浮かべている。
「……ったく、夜出歩くなって言ったじゃねぇか。」
「……す、すみません。」
「まぁ過ぎたことは仕方ねぇ、我妻、雪乃、お前ら戦えるんだろ?手を貸してくれ。」
「黒峰先輩、助けに来てくれたんですね……」
「うー!やだ!ぼくはアイス貰わないと何もしないからね!」
「言ってろ雪童!」
光明や大吾たちには全く話が見えてこない。今まで常識だったはずのものが次から次へと崩れ去っていく。前世なんて迷信だと思っていた。妖怪や幽霊の類なんて存在しないと思っていた。しかしそれを覆す現実が今、目の前にある。よく知った学校の先輩という見間違うことのない常識を伴って。
光明たちの目から見れば七海は変なコスプレと思い込みたいような格好をしている、しかし先ほどの一撃でそれは変なコスプレではなく正しい戦装束なのだと本能が、いや、”魂”が理解している。光明がふと鼬の方を見てみると、いつも持ち歩いている和傘の柄を引き抜いている。それは和傘の形状をした仕込み杖であり、引き抜かれたそこには白銀に輝く刃があった。雪乃は雪童と呼ばれているが元来のマイペースな性格が仇となり行動するつもりは全くないといっても過言ではないだろう。
「七海先輩!いったいこれはなんなんすか!」
「説明は後だ、今はこの状況を何とかしなきゃな。ったく、ひでぇ量の魍魎だな……」
七海先輩と鼬が子鬼に向かって刀を構える。子鬼は先ほど仲間が切られたことを少ない知性で理解しているようで、隙を窺っているのかただ怯えているだけなのか、これ以上包囲の輪を縮めてこようとはしていない。しかし撤退も考えていないようで。いい加減しびれを切らした様子の七海が子鬼の群れへと切りかかっていく。魍魎はそれに対応すべく子鬼たちは何とかして迫りくる刃を受け止めようと、或いは避けようとするもののなすすべなく切り裂かれていく。それを切欠として今までは動こうともしなかった子鬼が仲間の報復をしたいがためか襲い掛かってくるが、それは鼬の剣の前に一刀両断されていく。
一見七海と鼬は善戦しているように見えるが、いや、実際善戦しているのだろうがいかんせん子鬼どもは数が多い。時間が増えるごとに闇からあふれ出した黒い何かが数を増やすばかりで一向に引く気配を見せない。それどころか子鬼よりも一回り大きい犬のような影まだ立体化し始めた。
「……ッチ、野良の犬神かよ。厄介な野郎どもだ」
七海と鼬の合間を縫って、犬神と呼ばれた犬の影の様な怪異は仲間であるはずの子鬼を踏み台にし、雪乃へと襲い掛かろうとしている。雪乃はそれを見てあからさまに面倒くさそうな、或いはイラついたような表情を見せると襲い掛かる犬神に向けて手のひらをかざした。
「うーっ、雑魚のくせにうざいなあ……!」
その瞬間、犬神の動きが止まった。そこだけ完全に時間が停止したのかと錯覚するほどに、犬神は空中に固定され、完全に身動きを封じられている。その理由ははっきり見て取れた。犬神は踏み台にした子鬼やその周囲の空気ごと凍結させられていた。先ほど七海が雪乃に向かって雪童といっていた通り、雪乃は氷に関する、或いは冷気に関する能力を持っているようだ。雪乃は面倒くさそうに怪異の氷漬けをけ飛ばすと、それはダイヤモンドダストとなって内部の怪異とともに消滅した。ともかく自衛だけとはいえ雪乃が参戦したことで七海と鼬の負担は少なくなった。それでも……
「くっそ、数が多い!」
次から次へと襲い掛かる怪異。七海は流れるような太刀筋で襲い掛かるそれを次々と切り捨てていくがそれでも一向に終わりを見せない。それをフォローする鼬の表情には若干疲労の表情が浮かんでいるのがわかる。手伝ってやりたいが光明たちは武器も知識も、恥ずかしいことに勇気も持ち合わせていなかった。せめてどれか一つでもあるなら打開できそうなものなのに何一つ持ち合わせていない自分を情けなく思い、光明は血がにじむほどに拳を強く握りしめる。
「きゃあっ!」
「鼬っ!」
対応が遅れ、犬神の爪が鼬の肩が大きく切り裂いた。その衝撃で仕込み杖が弾かれ、俺に戦えとでも言うかのように、ちょうど光明の前に転がってきた。もう迷っている暇はない。鼬は魍魎の攻撃を受けそこなった反動で地面に倒れている。光明は仕込み杖をひっつかむと慣れない動作で鼬に襲い掛かろうとしている犬神に切りかかった。
「おい光明!無理すんじゃねぇ!」
七海の声がはるか遠くにあるように聞こえる。力のままに刃を振り下ろそうとしたそその時、光明の中にある何かがかみ合ったように、あるいは膨れ上がったのを感じた。振り下ろす仕込み杖の刃が輝きを増し、その斬撃は光明の中の何かを載せて、まるで鎌鼬のように直線上の犬神や子鬼を纏めて真っ二つに切り裂いた。光明だけでない、その場にいたすべてのものが、一瞬唖然とした表情を見せる。あの雪乃でさえも驚きを隠せないようで目を見開いている。光明は柄を握り直し、自分でも力になれることを確信し、気合を込める。
「いける!」
光明はそう確信すると素人目にも下手な動きではあるが、先ほどと同じように真空刃を飛ばす。すべては友人を幼馴染をクラスメートを守るために。光明には七海の声が聞こえるが、聞こえるだけで何を言っているかは理解できてない。今は俺にできることをやるしかないと脳が命令を発している。魍魎が固まっている場所へ真空刃を飛ばす。光明にはそれしかできない。いや、できること自体がおかしいが今はそんなことを考えている暇はなかった。
「まずいな。あのままじゃ自滅しちまう……!」
七海はそれを危険だと判断している。今の光明の状態は極限状態からの半トランス状態である。極限までに高められた集中力はある意味狂気に等しい。しかし光明は仲間を守るために力を使っていると信じ込んでいるため、無暗矢鱈に我武者羅にただ自身の”力”を消費し真空刃を放つ。
「だめっ!そんな無理に力を使っちゃ!」
「奏琉ちゃん!?」
咎めるような声に光明は集中という名の狂気から解き放たれた。光明を現実へと引き戻したその声の主は香坂だった。光明はその瞬間、抑え込まれていた疲労が決壊したダムのように押し寄せるのを感じ、足元がふらついている。香坂は意を決したように首からかけているロザリオを強く握ると、小さく呪文のようなものを口にする。すると香坂と光明の体が淡い光に包まれ、真空刃を放つたびに消耗していた光明のの中の何かと、肉体の疲労が回復するのがわかる。
「その子の言う通り、そのままじゃあ霊子切れになる。あんだけ制御も覚束ない攻撃しまくってりゃあな。しっかし、数が減らねぇな。君は十宮のサポートをしてくれ。十宮、我妻をしっかり守ってやれよ。」
香坂は無言で肯定する。それを見た最上は仕方ないといった様子で香坂の前に立つとポケットから香坂のものと同じロザリオを取り出した。
「奏琉ちゃん、いいの?」
「困っている人は助けなさいって神父様言ってたもん。私、このまま見ているなんてできない。」
「そっか、しょうがないね。」
最上はロザリオを胸に抱くように握りしめると、周囲に光が集い始める。それは瞬く間に剣と盾の形となり、最上は手慣れた様子でそれを装備した。七海は驚いた様子でそれを見ているが、よそ見しながらも魍魎をさばいているのはさすがとしか言いようがない。
「こりゃあ驚いた、【教会】の聖騎士だったのか。」
「ほんとは【学園】のあなたたちに力を見せるべきじゃないんだけどね。奏琉ちゃんが力を貸すっていうならもう仕方ないよ。」
最上は困ったような表情でため息をつくと右手に盾を、左手に剣を装備して怪異に向き直る。最上は魍魎の攻撃を盾で受け止め、あるいは反らし、攻撃の隙をついて切り倒していく。本人は無我夢中で気づかなかったが、光明の攻撃で魍魎の数は大きく減っていたようだ。しかし魍魎はあとからあとから湧いてきているようで、このままではせっかく減らした意味がなくなる。光明は落ち着きを取り戻して切り裂かれた方を抑えて蹲る鼬を守るように、壁役を買って出てる最上をすり抜けてきた魍魎に切りかかっていく。香坂が力の制御をしてくれているらしく、俺は必要最低限の力で真空刃を放つことができていた。
この調子ならば勝てる!そう確信したその時だった。
周囲を今周囲に漂っているものとは比較することすら烏滸がましい、超弩級の悪寒が周囲を包み込んだ。光明たちだけではない、鼬も、香坂も、最上も、それどころか飄々と怪異を凍結させていた雪乃や終始優勢だった七海までもが動きを止めた。
時間が止まったわけではない。待ったがかけられたというのは冗談もいいところだ。実際には彼等は恐怖で動けなかったのだ。彼等だけでなく。知能があると思しき子鬼や知能ががあるかどうかでさえあいまいな犬神も動きを止めている。あれだけ頼もしかった七海も、平然としていた雪乃までも額から冷や汗を流している。
それから数秒だったのだろうが実際には数時間、時が止まったようにも思えるような、長いようで短い時間がたった。周囲は静寂に包まれている。いや、何かが聞こえてくる。
チリーン……、チリーン……、
闇夜に響く鈴のような音。闇に閉ざされた商店街の影から発生するようにその集団は現れた。
それはすべて同じ背格好の少女だった。肩回りで切りそろえられた黒髪、服装は同一の巫女装束。しかしその白衣はその名前とは裏腹に朱色に染め上げられており。緋袴もより濃い赤色に染められている。その顔は全て紫色の八芒星が書かれた紙で隠されており表情を伺うことはできない。それを見た七海が絞り出すような声を上げる。
「嘘、だろ……?雨宮派の……式神……!」
闇を跋扈する恐怖の具現化である魑魅魍魎ですらもが恐れる。夜の支配者の使いが列をなして現れた。
魍魎と呼ばれる謎の存在に襲われる光明。魂は覚醒し、少年に戦う力を与える。
果たしてその力は正か邪か。
次回、第二話:魂の器
魍魎が恐れる存在は、果たして神か人間か。