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目はクリクリと大きく頬は朱で  作者: 路傍工芸
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目はクリクリと大きく頬は朱で

「あら、あらあら、トクジさんのご友人でいらっしゃるんですか。」

 玄関に出て対応してくれた夫人は、電話であらかじめ伝えていた内容に再び驚いてくれた。


 ここは埼玉県所沢市の郊外住宅地にある伊藤家である。

 蒸し暑い8月、橘は阿佐ヶ谷の自宅から電車を乗り継いでやってきた。

 短いが老体には厳しい旅程だった。


 家をひっくり返す勢いで昔のアルバムや復員資料を捜索し、出てきた連絡先を調べてはあたり調べてはあたり、ようやく柿揚の妹夫妻が埼玉県所沢市に落ち着いたことをつきとめたのだ。


「はい、柿揚とは大学の同期で、その後お恥ずかしい話ですが、捕虜になりまして、収容所でしばらく一緒に過ごさせていただきました。」

「い~え、いえいえ、恥ずかしいだなんて、お世話様でした。」

 夫人は汗をかきかき橘にねぎらいの言葉をかけ、クーラーの効いた応接室に案内した。


 応接室には介護用ベッドに横たわった老人(と言っても橘と同年代である)がいた。


 橘が入室すると老人が話しかけてきた。

 寝たきりのようだが、口調はしっかりしている。


「貴公が橘大尉か。」


 橘は面食らった。

 寝たきり老人ながら大本営参謀中佐は健在であるようだった。


 60年も70年も前の軍隊風の呼びかけにどう応じたものか、と一瞬躊躇したのちに再び話しかけられる。

「冗談じゃ、冗談、橘さん、冗談じゃ、ああっはっはっは!」

「もう、おじいちゃん、人が悪いわぁ!お客さんなのよ!」


 この老人は柿揚の妹の旦那さんである。

 終戦時に大本営参謀、第二部第七課で大陸の動向を探っていた中佐、という話は復員してから柿揚家を訪ねた際に話で聞いている。


「お初にお目にかかります。」

「こちらこそお初です。橘さん、あんたが復員して柿揚さんとこに行ったとき、まだわしぁ市ヶ谷で色々と後片付けしよって会わずじまいじゃった。

 東京裁判の判決後もいろいろ呼ばれてなぁ。」


「存じております。」

「倫さん、倫子さん、いや、妻も10年も前に死んでしまったし、今じゃ義兄の事を知っとるのは橘さん、アンタだけじゃ。」

「そうなりますかねえ。」

 

 所沢の郊外は公園も多く、特にこの住宅街は未整備の藪や雑木林があちこちにあり、蝉がうるさく鳴いている。


「お茶をどうぞ。」

 夫人が麦茶を入れて持ってきた。


「橘さん、あんたに見てもらいたいものがある。」

「なんでしょうか。」

 夫人が応接室の隅においていた段ボール箱をあけた。

 中からは書類と、木箱が出てきた。かすかに石けんのにおいもした。


「これなんですけどねぇ。徳治さんの遺品なんですよぉ。」

 書類は柿揚の遺書で、木箱の方は中を覗くと木像が入っている。

 

 これが柿揚の嫁さんか。

 収容所で話は聞いていたが・・・


「他人様の遺書を覗くのも品がない話だが、わしぁこの遺書をなぁ、読んで涙がとまらんかった。

 倫さん、いや妻の兄貴だから親近感があったちゅうのもあるが、とにかくとまらんかった。」

「そうですか。私も読むのは初めてなのですが・・・」


 柿揚は恥ずかしいものを残してきてしまった、と言っていた。

 確かに、美文調で悲壮な事を書いてはいるが、ところどころ趣味の心配をしていたり、最後の結びに木像を自分の妻だと書くなど気恥ずかしい部分はある。が、やはり20代の青年が死を覚悟して残した文章というのは心に迫るものがある。


「その女の子の木像がトクジさんのお嫁さんなんですのよ。

 普段は押し入れの段ボールに入れっぱなしって、扱いが雑でねぇ。

 なんだか悪い気がしてきちゃったわぁ。」


「大本営で気まま、いや、気ままでもなかろうが、端から見ると気ままに、参謀どもが、いや、わしも参謀じゃったが、まあ、その参謀どもが地図に色鉛筆で落書きをしおってな、その運筆、落書きの具合で部隊が動き、船が動き、それはたくさんの兵隊を死なせてしまった。」

「それは仕方のないことです。誰がやってもどうしてもああはなったでしょうから・・・」


「ワシは支那課じゃったからフィリピンにはかかわっておらんかったが、配属がちがっておってフィリピン担当じゃったら義兄の命をこの手で左右しとったんだ。そう思うといまだにゾッとする。」


 ふと、橘は復員船上で受けた岩田曹長の恣意的な優しさを思い出した。

 

「まあ、それはそうと、その木像じゃがな、照子さんのライバルの。」

「ああ、この木像、確か名前が平田とかいう・・・」


「そうそう、そうなのよ、平田エツさんって言うんですよ。」

 橘は遺書の中から名前を探した。確かに平田エツだ。


「調べたら松久海洋っちゅう、高名な仏師さんの作品じゃった。

 沖縄で亡くなったそうじゃけども、相模原あたりの仏さんはこの松久海洋さんがほとんど手がけとるらしい。」

「ところで照子さんというのは、柿揚の婚約者でいらっしゃいましたか。」


「そうそう、テルコさん。テルコさんよぉ。トクジさんのお見合い相手だったのに残念なことしましたわぁ。いえ、私はその時はまだ全然産まれてなかったんですけど、話を聞いて私も泣いちゃって。」

 夫人は照子と聞いただけで涙ぐんだようだ。


「照子さんは戦後しばらく時折柿揚家を訪ねては、この木像に「アンタには負けちゃったワ。トクジさんは掃除も洗濯も不得手だからアンタ楽器なんか振り回してないでちゃんと面倒見るのよ。」なぞと言ってたそうじゃ。

 ワシも何度か柿揚さん宅で照子さんに会ったなぁ。

 美人と言うよりは可愛い感じの娘さんじゃった。はっはっは。

 その照子さんももう何年も前に亡くなったのう。」

「おじいちゃん、お葬式に行ったじゃないの、駒込まで行くってきかなくて。

 でも、ホントこの女の子の木像、最近のアニメのキャラクターそっくりなのよねえ。信じらんない。」


「ワシも倫さん、いや、妻が、いや、いいわい、倫さんに昔、見せてもらったときは「ケッタイな」と思っておったが、見ているうちに不思議と慣れてきて、可愛くなってきたもんじゃ。」

「おめめが大きくて、塗ってないのにほっぺが赤いんでしょうね、わかる気がするのよねえ。トクジさんのお嫁さん。」


 橘は木像をあらためて見た。


 大きい目が特徴で、孫の持っているアニメ雑誌に載っているような、写実主義からかけ離れた輪郭ながら、決して不自然には見えない顔の造形

 こういうのを柿揚はなんて言っていたっけな・・・

 そうだ、思い出した。




「ワシ、描けるで、それ。」


 水戸市内の介護老人ホームで桑原老人は最近ちょっとした有名人だった。

「桑原のおじいちゃんったらねえ、あのアニメのキャラクターそっくりな女の子描けるのよォ。」

「だってもう90歳だっけ、おじいちゃんでしょぉ?」

「それがね、広場のテレビでアニメが流れてたときにね、ワシ、描けるで、とか言うのよ。

 あら、桑原さん漫画が描けるの?って

 そしたらメモ帳にサラサラって鉛筆で描くのよ。」


「へえ、漫画かアニメーターでもやってたの?」

「いいえ桑原さんは東京の会社の役員よ。

 それでね、それがフィリピンで習ったんだって。戦争中に。」


「戦争中に?」

「同じ部隊にいた後輩から捕虜になってから習ったって。」

「へえ、人は見かけによらないってことねえ。」

「それでね、私が、うまいわねえ、なにかコツでもあるの?って聞いたら」




 玉田老人の最近の趣味は2歳のひ孫を膝において、孫の趣味のアニメを見ることだった。

「まさかじいちゃんがアニメを見るとは思わんかったよ。」

 孫は両親と妻にはなかなか理解を得られない自分の趣味を祖父と子供の三人で一緒に楽しむのだった


 玉田軍曹は帰国時の船の事故で九死に一生を得て無事に復員した。

 舞鶴から乗り継ぎ乗り継ぎ、大分の実家に帰ったのだが、7月の空襲で家と両親を失った玉田軍曹は別府の開拓団に参加することになる。


 しばらくして宇佐から流れてきた子持ちの未亡人と結婚し、昭和の半ばには開拓団住宅街に一軒家を建てて養鶏を始め、平成の始め頃に隠居をして今に至る。


「じいちゃん、ようこげなアニメを見るなあ。」

「こういう絵が好きなんじゃあ、わしゃ。」

 玉田老人はでっぷり肥えた身体を揺するように笑い、答えた。


「爺さんの見る趣味やねえで。」

「いんや、昔フィリピンで見よったんじゃ。こげん絵の漫画があったんじゃわ。懐かしゅうてのう。」

「こげな絵柄の?」

「そうじゃ、目が大きゅうてほっぺが赤ぅて、柿揚っちゅうのが描きよってのう、なんち言いよったか、そうそう、思い出した」




 日本は今、リングに崩れ落ちた拳闘士だ。

 それを相手拳士、審判、観客、セコンドまでが寄ってたかって詰っているという状況に等しく、ひたすら耐えるより他はない。


 敗れたりといえど日本にも理はあるが、これを交渉にあたる専門家がなすことはともかく、日本国民が総意として「いや、日本にはかくかくしかじかこういう理由があり、連合国にも非があるではないか。」などと一致して反論するということはない。


 耐えるのみだ。

 米国本土に召還された野間中佐は米国士官学校の一室でそう考える。


 それよりも

 「進駐軍」の兵力が少なすぎる。


 大陸はいまやソ連、国府軍、中共のゲリラが思うさま跋扈する、日本にとって悪夢のような暗黒地帯となっている。


 かつてその地獄の釜の蓋を押さえていたのは大日本帝国だったが、いまや帝国はない。代わりに押さえにかかっているのが米国なのだが、これが心許ないことこの上ない。


 満州で研究をしていた旧軍人はおそらくみな同じ思いであろう。

 米国は大陸を甘く見すぎている。

 いずれソ連はなんらかの形で南下をする。今考えられるのは北鮮を手先にしたやり方だ。そしていずれ大陸を制した国府軍か中共軍も一枚噛むだろう。こいつらは敵であればもちろん面倒だが、もし味方にでもなればそっちのほうがいっそうやっかいだ。


 とにかく、それまでにはなんとしても米国議会に通じる要路を押さえ、日本を守らなければならないが、今俺が押さえている要路は・・・

 ここで野間中佐は頭を抱える。




 ファックファック!ファッーーーック!

 下品な罵声がトイレから聞こえる。

 誰にも聞かれないように気を遣っているが、たまに聞かれることもある。


 部下がこっそり数えたところ、だいたい毎度三回果てるようなので、今や大佐のあだ名はColonel.Three Times(3回大佐)だ。


 収容所管理中、補給品を日本俘虜に与えすぎたことを帰国後に問題視されたものの、なんとかやりすごした大佐だったが、高まるストレス発散は脳内で平田エツを抱くことよりほかなかった。病人である。


 ノマめ!

 石鹸と缶詰を俺から巻き上げたのに飽きたらず、今度は米兵をもう10万日本に派兵しろだと!?トルーマン大統領でも不可能だろう!


 なんてことをいいやがる!


 しかし、まあ、奴にもいろいろ世話になった。米兵10万はともかくとして、そうだな、リッジウェイあたりに話をつけておいてやるのはいいかもしれない。奴も今は将軍だが、教官だった俺に恩義を感じている。

 リッジウェイは頭の回転が速い使える奴だ。


 ノマをリッジウェイに会わせてやり、ノマの大陸の情報を流せばリッジウェイの役にも立つだろう。ノマは特に満州から朝鮮にかけての研究をしていた。合衆国は今後の脅威であるソ連と、西欧及び極東で対峙することになる。


 それを考慮すればその対峙の一方である極東の情勢をリッジウェイが知ることは合衆国全体の利益にもかなう。


 そうだ、ノマに会わせよう!


 大佐は迂闊にもノマの顔を思い描いたところで果てる。

 ファック!ファーーーック!

 エツ・・・お前を抱いていたはずなのになぜノマが!


 まあ、いい・・・ノマ経由でまたあのカートゥーンを仕入れよう。

 あの俘虜ども帰国したらまたホウジョウを作ると言っていたしな。

 あの、目が大きくて、そうだ、日本語で言うと確か・・・




「カキよぉ、こんなもんでどうだ。」

「桑原上等兵殿、そうです。基本はそうです。

 じゃあ次は私の作品の絵柄をいきますか。」

「よし、じゃあこんな感じで行くか。」

 フィリピン特有の熱暑の中を爽やかな風が吹き抜ける。

「そうです、そう。桑原上等兵殿、そうです。

 目はクリクリと大きく、頬は朱に、お願いしますね。」

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