長門と赤城
帰国の編成は米軍の俘虜番号等により決定されたため、俘虜収容所での中隊編成やその役職は考慮されなかったが、長く収容所にいる者はだいたいそれなりの役職についていたので、おおむね収容所の編成をなぞった帰国編成になっていた。
柿揚達編集部は桑原(彼は部員ではないのだが)を除いて全員が同じ船を指定された。
「我々は長門ですか。」
神々廻が言う。
輸送艦はそれぞれ名前があったが、俘虜達は「長門」と「赤城」と名付けたのだ。
「聞けば長門の方が先に出港するらしいじゃないか。」
「橘には悪いが一足先に日本に戻ることになるなあ。」
橘達将校の多くは「赤城」が割り当てられていた。
輸送艦は荷物の積み込み日程の関係で長門が先に出港すると俘虜達に知らされた。赤城乗り込みの俘虜達は散々に文句を言ったが、当然受け容れるより他はない。たった1日の違いが俘虜達には絶望だった。
「まあ、とにもかくにも帰られるんだから文句は言うまいよ。」
という意見が大勢を占めるのにしばらくかかった。
米側と艦長の間で調整が済み、乗艦が開始される。
米兵が乗艦タラップまでに等間隔に並ぶ。
列中に収容所でなにくれとなく面倒を見てくれた黒人のプライヴィエット(兵卒)がいて、真っ白い歯を見せて笑っていた。
「よぉ、旦那がた故郷に帰ったら親孝行するんだぜ!」
訛りが酷くて収容所の通訳達は彼の言っていることを半分くらいしか聞き取れないのだが、彼は常々故郷に残した両親の孝行を話題としていたため、この列中から日本兵に投げかける言葉はきっとそうだろうと、俘虜達は思っていた。
ススだらけのような真っ黒な顔、通訳の「あいつの発音は"雅"すぎて聞き取れないよ。」という冗談から彼は煤宮殿下とあだ名されていた。
「煤宮ァ、おめえも元気でな!」
煤宮は笑い返して、またしてもなんと言ってるのかわからない発音で長門を指さす。
「いったいなんて言ってるんだ、やつぁ」
「皆様本日は御機嫌うるわしゅうござぁます。この列は長門行きでござぁます、じゃねえか。」
俘虜が女の声真似をする。
「そりゃ宮様じゃのうて鶴屋(東京市内にあった百貨店)の店員の台詞じゃろうて。」
煤宮は大きく手を振って俘虜達を見送る。
内心うらやましい赤城組の万歳歓呼の中、長門組は陽気な米兵に見送られて乗艦を果たす。
柿揚は甲板に並んでフィリピンの国土を見る。
港湾とそれに続いて市街地があり、その奥には底知れぬ山々と森林が広がっている。南国の植生は最初なじめなかったが、ニッパ椰子に火炎樹がおりなす独特の風景は慣れるにつれ柿揚の原風景に加えられた。
カッと怒ったように暑くなるかと思えば、滝のようなスコール。
マラリヤなどの病苦に苦しめられたとはいえ、いよいよ去るのだと思うと不思議と懐かしくなる。
思えば中隊長を始め、たくさんの日本人がここで死んだ。
その中に名を連ねなかった幸運を改めてかみしめる。
感傷にふけっていると汽笛が鳴り、時間をかけてゆっくりとゆっくりと船は動き出す。
柿揚は港に整列した赤城組の中に橘らしき人影を認める。
「お先になあ!」
「げんきでなあ!」
柿揚の声は他の俘虜達の声にかき消される。
柿揚にしては珍しくまけじと大声を張り上げた。
「お先になぁーーー!お先になぁーーー!」
柿揚は彼らしくもなく力一杯手を振った。
日本まであと6日




