桑原上等兵
時々起こるパンパンドカンという音を聞きながら柿揚は樹木に身を任せて休んでいた。
さて、どうしたものか。
その時、斜め向かいの茂みから兵隊が現れた。
すわ米兵か!と反射的に身構えようとしたが、兵隊は大きく手を振った。
「カキ!俺だ、俺、俺だよ桑原だよ。」
兵隊は一緒に水くみをしていた桑原上等兵だった。
「カキ、おめえ生きてたんか。ゆすってもさすっても動かんかったからてっきり死んじまったと思ってたぞ。」
「桑原上等兵殿、みんなはどうしたんですか。」
「用賀は死んだ。水くみから帰る途中大砲が落ちてきてなあ、あれでおめえもみんなも吹っ飛ばされた。俺と長浜と佐々木、それと高山だけほぼ無傷、用賀の奴は身体が粉々になっちまった。
お前は無傷に見えたけど、どうやっても起きなかったから死んだんだろうと思って先を急ぐから捨てていったんだ。悪ぃな。」
「長浜上等兵殿達はどうしたんですか。」
「あいつらは後方陣地に行っちまったよ。」
「桑原上等兵殿はなぜここに?」
「おめえを探しに来たんだ。」
「先ほど自分を死んだとおっしゃっていましたが。」
ここで桑原はぐいっと柿揚に近寄って耳打ちした。
「おめえ、英語出来るだろ。」
「はい、まあ、少しは。」
桑原はしばし逡巡したのちに意を決して柿揚に再度耳打ちした。
「降参しようぜ。」
「ええ?」
「長浜達は、あいつらは戦意旺盛でなあ、見上げたもんだよ。
さすがは帝国陸軍の歩兵上等兵だ。でも俺は違う。
長浜には柿揚はまだ生きていると主張して食い下がってこっちに戻ってきたんだ。長浜には俺が戦友愛に溢れた帝国陸軍歩兵上等兵に映っただろうなあ。
お前が本当に生きていれば良し、死んでいても良し。
とにかく俺は米軍に降るつもりでこっちに来たんだ。
どうだ、一緒にいかないか。」
柿揚は面食らった。
セーラー服の少女のことしか頭にない、叔父の力で招集を逃れられることを期待していた非国民のような自分でさえ、さっきまで米軍に単身斬り込むか自決か、などと考えていたのに、上等兵に進級した男が降伏を迷わず選択していることは柿揚の想定外も想定外だった。
「カキ、こんなとこで死んだらつまらんぜ。
後方陣地だってあの砲撃だ、めちゃめちゃになってるに違えねえよ。
カンギバルの米軍を見たか。うじゃうじゃいる上に戦車まであった。
到底かないっこねえ。」
「しかし桑原上等兵殿、戦陣訓の例の一節はともかくとしても、降ったことが内地に知れたらひどいことになりはしませんか。」
「そうだなあ、すまんが俺には家族もいねえし、日本に帰っても食う当てはねえんだ。もともと常陸の水飲み百姓だからな。戦争で4年もあけたから俺んちのあばら屋は今頃台風か何かで吹っ飛んでなくなってるだろうな。
俺はいいんだ。でも確かにおめえは嫌だろうな。」
柿揚は迷った。
実に魅力的な提案だ。
しかし受入れるにはなにかひっかかる。
名誉感情だろうか。
案外自分に兵士としての自尊心があったことが意外だった。
いや、名誉の問題もあるが、果たして米軍が我々を生かして捕虜とするだろかという根本的な疑問が晴れないのだ。
「しかし桑原上等兵殿、米軍は日本兵の降伏を受け入れますか。」
「大陸で戦争やってたときはたびたび支那の兵隊が降参してきて、俺の中隊は受け入れてたな。よその部隊は知らねえけど。」
「部隊によって違うんですか?」
「ま、そら状況によるわな。ドンパチ撃ち合ってる最中、直後に降参降参ってやってきてもそのまま撃ち殺すだけだ。
そうだな、じゃあ米軍の飯炊きが炊事でもしてるところに降参するか。
鉄砲持ってる連中に降参降参って躍り出て殺されても損だ。」
桑原は柿揚が降伏仲間になったつもりで話を進めている。
-もし俺がそれでも降伏は出来ないと言えば桑原上等兵は単身で米軍に降るだろう。私はここに捨て置かれ、飢えと渇きを待つばかりだ。
桑原上等兵が無事降伏できて米軍に私の場所を通報すれば米軍が俺を捕らえにくるかもしれない。
その時俺はどうするか、徹底抗戦か。
桑原上等兵の降伏如何に関わらず、米軍はカンギバル周辺の安全化のためにこのあたり一帯を練り歩くだろう。特にこのあたりは水源への通り道だから間違いなく俺は米兵に見つかるだろう-
桑原はどっかと腰を据えて水筒の水を飲んでいる。
「どうする、カキ。俺と行くなら俺が指揮官役で降伏するぜ。
臨時編成の桑原分隊ってわけだ。どうだ。」
「行きましょう。桑原上等兵殿お願いします。」
柿揚は思考半ばで決断した。
まだ色々と考えたかった。
自身の名誉感情、兵士としての義務、内地の家族の処遇、米軍が果たして我々を受け容れるのかどうかなどなど、天秤にかけなければならない要素、さらに検討しなければならない要素がたくさんあったが、あえて思考をやめて降伏に飛び込むことにした。
柿揚は叔父の戦陣訓に従った。




