俺の嫁
柿揚は山中を彷徨していた。
一緒にいた兵隊達とははぐれてしまった。
爆発なのかなんなのかわからないが轟音と衝撃に巻き込まれて意識を失い、気がついたら山中で一人倒れていたのだ。
木に登ってカンギバル方向を見ると明らかに日本軍ではない軍隊がいる。
「おめこぼしなしか・・・」
柿揚は中隊を探して後方陣地に向かうが、米軍の攻撃で著名な樹木がなぎはらわれてしまい、今向かっている方向が正しいのか自信はなかった。
米兵に撃ち殺される恐怖を背にして、柿揚は痛めた右足をひきずりながら山中を彷徨する。
3日前、ついに米軍がやってきたのだ。
最初はゲリラによる総攻撃かと思われたが、ゲリラのものとは到底思われない破壊力の砲弾が落下し、誰が説明するともなく皆これが米軍であると察したのだ。
後日柿揚は当時中隊本部にいた橋本曹長からあれは艦砲だったのだろうと教えてもらった。
米軍が野砲をパウドロに上陸させたわけはないから、艦砲、それも威力からして戦艦のものだというのだ。
しかし、雨あられと降り続く砲弾を前にしてはそれが戦艦のものだろうが駆逐艦のものだろうが柿揚にも中隊にも関係なかった。
カンギバルはただちに放棄され中隊長の指揮で後方の陣地へ下がることになったが、中隊はてんでばらばらのちりぢりになり、後方の陣地に中隊長が連れて行けたのは10数名だったようだ。
(「ようだ」というのは、柿揚はそれを後日俘虜収容所で橋本曹長から聞いたからである。)
米軍の攻撃が始まった頃、柿揚はいつもの場所で長浜上等兵以下6名で水くみ作業をしていた。
「米さん来てみぃ~ろ~ ソイ 米さんケツ穴見せてみぃ~ろ~ ソイ」
などと故郷の唄を替えて歌っていたら本当にやってきたのである。
ゲリラの攻撃ではない。とどろく爆発音、もうもうとあがる土煙。
ゲリラの攻撃はせいぜいが迫撃砲程度なので、これは間違いなく米軍の仕業と知れた。
「野郎、本当に来やがった!てめえ、クワ!縁起でもねえ唄なんざうたいやがるから来たんだぞ!」
長浜上等兵は同期の桑原上等兵に毒づきながらも作業を中止して小隊長位置まで皆を下げるべく指示をした。
柿揚はなんにも実感が湧かなかった。
我々が水くみをやめて戻ったとしても、あの圧倒的な破壊力にどう対処するのか全く見当がつかなかった。
あの煙の下で中隊はどうなっているのか。
沖を見張っていた歩哨は何をしていたのか。気付かなかったのか。
平穏な生活は今終わりを告げた。
ここで冒頭に戻るのである。
突如轟音に包まれ、人事不省となった柿揚は気がついたら一人だった。
中隊を求めて後方陣地に向かう柿揚であったが、1時間も歩くと右足の痛みがひどくなり、一旦休憩を取らざるを得なくなった。
鮫革の軍靴を脱ぐと右足は腫れ上がっていた。
吹き飛ばされた際にひどく打ち付けたのだろう。
しかしあれだけの爆発に巻き込まれて右足が腫れ上がっただけですんだのだから僥倖と言わざるを得ない。
一緒にいた兵隊達はどこに消えたのだろうか。
俺だけが偶然足の捻挫ですんだだけで、残りの連中は消し飛んだのか。
足を揉んだりひねったりするが痛みがひくことはなかった。
途方に暮れる。
カンギバルには米軍がひしめいている。
後方陣地に向かうべきだが方向は定かではない。
足が痛く、長い時間は歩けない。
銃はあるが弾薬は10発程度しかもっていない。手榴弾は2個持っているが、不発が多いとかねて聞いている欠陥品だ。
食糧はない。水は腰の水筒が満水であるだけだ。
さて、どうしたものか。
衆道趣味の中隊長は今はどこだろうか。
玉田軍曹は生きているだろうか。
あの猛烈な砲撃だ、生きているとは限らない。
落ち着け、落ち着け。
こういうときこそ考えるんだ。
しばらく考えて柿揚は処置なし、と地面に大の字で寝ころんだ。
どうしようもない。
カンギバルに単身斬り込むか。いや、流石に無謀だ。
自決するか。いやいや、まだやれる。生きていける。
こういう発想が出てくることに柿揚は驚いた。
自分にも帝国陸軍の兵士の教えが生きていたのか。
しかし流石に平田エツと結婚するのはもう少し後でいい。
東京の実家にある自室の物置に鳳氏が作ってくれた平田エツの木像をしまってある。両親と叔父に宛てて書き置きは残している。
「もし私が戦死したらこの木像を仏壇に置いて下さい、これが私の嫁平田エツです。楽器が好きな女学生で私の恋人です云々」
などと今にして思えば軽率な事を書き置いた。
軽率すぎた・・・!
これは軽率だった・・・!
招集されてきっと死ぬのだ、と自分の命が鴻毛のごとく軽く感じられたあの夜、平田エツの木像を四周様々な角度から鑑賞して感極まっていたあの夜!気分が昂ぶって余計なことをしてくれた!あの夜の俺!
柿揚は意地でも死ねなくなってしまった。
平田エツとは生きて再会せねばならない、絶対にだ!




