中隊長の趣味
「柿さんよォ、あン一本は真剣にすごかったなァ!」
と、話しながら手当をしてくれているのは衛生兵の玉田軍曹だ。
年は柿揚より5~6歳上くらいだろう。戦時中にもかかわらずでっぷりと肥えた男だが、案外小食だという。どうやってこの巨体を維持しているのだろうか。
「めくらめっぽうに突いたらたまたま当たっただけですよ。」
柿揚のこの言葉は謙遜でも何でもない。
篠原軍曹どころか出てくる二等兵二等兵全部に負けた柿揚だったが、最後の一戦で当たった大野上等兵にはなぜか勝ってしまったのだ。
原田伍長曰く、錬士の突きを見た、だそうである。
大野上等兵は最近進級した新進気鋭の若者なのだが、柿揚に負けたことで小隊内で株を下げたらしく、柿揚はなんだか申し訳ない気持になった。
どうせ負けるんだ、と、デタラメに突いた木銃と身体の軌跡がたまたま達人の動作をうまくなぞっただけなのだろうが、勝ちは勝ちである。
「柿さん、ほら、終わりや。今日は一日「よこい」じゃ。寝ちょけ。」
「ありがとうございます。」
「来る来るちゅうていっこうに来ん米軍が、今度こそ来るちゅう話じゃ。今んうちによう休むこっちゃ。」
「いい加減来てくれませんかねえ。」
「バカ言え、来たらワシらなんかイチコロじゃ。」
適当な事を言っているだけで、柿揚ももちろん米軍には来て欲しくない。
最近薬が底をつき始めたらしく、マラリヤ患者が増え始めてゲリラ討伐もギリギリの状態で行っている。こんな状況で米軍に大挙してやってこられては玉田軍曹の言うようにイチコロである。
陣地構築も途中から海岸を狙う物から奥地に複数の線をなすものに変更されてしまい、工事は突貫、中隊の疲労はたまりにたまっていた。
「ま、アメリカもルソンやレイテは狙っても、こげなつまらん島にわざわざ兵隊は割かんじゃろ。当の日本軍からしてわしらのことを覚えているのかどうか怪しいかぎりやけんなあ。」
パウドロ駐屯の柿揚の中隊はポアックカサン(パウドロ島から北2kmに位置するルソン島の地名)の大隊本部から忘れられているのではないかと思われるほどたびたび命令が届かなかった。
忘れられた戦場、というと第1次世界大戦を描いた戦記小説を思い出す。
アフリカの戦場で、ドイツと同盟をしている武装部族に襲われる英軍の小部隊の活躍に小学生の頃の柿揚は興奮したものである。
本国はもちろん上級部隊にも忘れられていた英軍部隊は奮戦敢闘してイギリスの権益を守り抜くのであるが、我々はパウドロ島を守り抜けるだろうか。(そもそも日本のパウドロ島における権益がなんなのかわからない。)
ゲリラからくらいなら守り抜けそうではあるが、太平洋の諸島を制した日本軍を駆逐しつつある強大な米軍から守れるかというとはなはだあやしい。
その駆逐されたという、太平洋の島々に展開した友軍は我々と違って全員が徴兵も甲種合格、数年にわたり大陸を転戦した経験豊富な精鋭だったはずである。
彼らが追い払われたのである。我々が太刀打ちできるわけがない。
「柿さん、知っちょんかい。」
玉田軍曹は誰彼なしサン付けで話しかけてくる。
「なんでしょうか。」
「中隊長の趣味じゃ。」
「いや、知りませんが。いや、囲碁が好きだとか以前」
玉田軍曹は柿揚に近寄ってそっと言った。
「男が好きっちゅうこっちゃ。」
「へえ」
「こないだの当番兵が中隊長の行李の中に野郎が裸で交わる漫画を見つけたらしいんじゃ。」
「はあ」
「まあ、一応こうやってひそひそ話しちょるが、これはもう中隊でもちきりの話なんじゃ。今更知らんのは柿さん、アンタくらいかもしれん。」
暇をもてあます狭い世界らしいつまらない話であるが、柿揚もまた好奇心が刺激されたことは否めない。
「海軍の青年将校がのう、軍艦の一室で衆道趣味の毛むくじゃらの水兵に犯される話なんじゃと!」
玉田軍曹はクックックと笑いをこらえて説明する。
柿揚もまたクックックと笑いをこらえるが、はて、その話は知っているぞ・・・と何か思い当たる。
「軍隊にはいるいるとはきいちょったが、長年おる俺も今まで見んかった。それがいよいよのところで我が中隊長が男趣味じゃったとはのう。
毛むくじゃらの水兵がまた、乱暴な奴かと思うとこれが事を始め出すと真剣紳士的で、丁寧な口調で将校に命令するんじゃと!」
玉田軍曹は笑い転げるのを必死に抑えながら説明する。
柿揚は確信した。
中隊長は京都の梓氏の同人誌を持っている。
萌星の読者かどうかはわからないが、その可能性は高い!
玉田軍曹はクックックと笑いをこらえて説明を続けてた。




