死体、あるいは新人
新人ポインターのシマノは、その初ミッションでいきなり窮地に立たされていた。
目の前には、ビルの廊下を埋め尽くす無数の怪物たち。
それに対峙しながら、シマノは彼女の武器である日本刀を構え、必死に戦う意志を奮い立たせる。
彼女を囲む怪物の見格好は、まさに人間そのもので、大きさもほとんど人間と変わらない。
だが、その頭部があるべき部分に乗せられた無機質な薄型のテレビが、怪物の異様さを際立たせている。
頭部の薄さからして、ソレは間違いなく人間ではない。
顔の部分にあたるテレビの画面はずっと砂嵐を映しており、胴体を包む真新しい薄緑色の作業服と相成って、感情が存在しないことを強調する。
それらの怪物が、ゆっくりと、ただ機械のように画一的な殺意を滲ませながらシマノへと向かってくる。
その圧力に押され、一歩ずつ後退するシマノ。
しかし、既に背後の階段からも十数匹ほど怪物が出現しており、逃げ切れる見込みは薄くなる一方である。
「どうして、こんなことに……」
後悔と、それ以上に目の前の危機に対する恐怖に駆られながら、シマノはなんとか打開策を見つけられないかと一から状況を整理する。
【廃墟地域北ビル跡地のフライネスト駆除】
それが、シマノがデビュー戦に選んだミッションだった。
ミッションの内容は、門津市北部に広がる旧市街地廃墟地域、そこにある廃ビルに出現したフライの巣を駆除すること。
ポインターの華とも呼ばれる大型のフライ討伐に対して、ネスト駆逐型ミッションは実入りが悪いがその分フライも弱く、ルーキーでも充分戦えるという話であった。
確かにこのミッションでも、フライの質自体は大したことはなかった。
実際、ビルの周辺にいたテレビ頭のフライは、これがポインターとして初めての戦闘であったシマノでもあっさりと倒すことができたのである。
情報としては聞いていたものの、倒したフライが本当に赤い塵となって消滅したのはさすがに驚きだった。
(行ける……!)
その時のシマノは、確かな手応えを感じていた。
生まれ変わったかのような今の自分の力なら、この力があれば、あの兄の仇にも立ち向かえる。
既にそんなことさえ考えていた。
だが、思えばそれが間違いの元だったのだ。
勝てるという余裕は慢心に変わり、ミッション全体への視野がなくなった。
個々の戦闘能力だけで物事を考え、敵の戦力そのものを見誤った。
さらに経験の無さが、それを修正する事を不可能にした。
立ち塞がるフライたちをなぎ倒しながら、シマノは一気に上を奥を目指し、そして、飽和した怪物に取り囲まれた。
確実にとどめを刺さずに、ひたすら突破していったことが裏目に出たのだ。
倒しても赤い塵になるだけという手応えのなさもそれに拍車をかけた。
シマノが倒しきらず生き残ったフライは、他の階段から上の階へと先回りし、反撃の機会を待ち構えていたのである。
その結果、三階に異常なまでのフライが密集することになり、もはやシマノの力では手のつけようがないレベルまで膨れ上がってしまった。
薄暗い廊下を、テレビの頭をした怪物が埋め尽くす。
そこに映る砂嵐が、まさに砂塵のようにシマノを取り囲む。
一匹二匹倒したところで状況はなにも変わらず、フライの波状攻撃に対して、壁を背にしてなんとか致命傷を避けるのが精一杯だ。
しかしそれも長くは持ちそうにない。
一撃、また一撃と、受け流しきれない攻撃のダメージが蓄積していく。
ポインターとなった肉体の感覚のおかげなのか、痛みはそれほどでもないが、それでも、身体の動きが鈍くなっているのは強く感じる。
(結局、私はお兄ちゃんの仇も取れず、ここで死ぬのか……)
肉体の停止という緩やかな死が、諦めとなってシマノを押しつぶそうとする。
その時だった。
「まったく、世話が焼けるルーキーだな……」
そんな声が聞こえたかと思うと、入口の階段にの後ろのほうで、フライが数匹、次々に赤い塵へと変わって消え去っていく。
ゆっくりと、フライをかき分けながら進んでくる一人の少年の姿が見える。
灰色の古ぼけたジャージに、あらゆる意味でそのジャージに不釣り合いな、両腕を覆う真っ青な小手。
全てが色褪たかのような中、その小手だけが異様な存在感を示している。
その姿を一目入れば、彼が尋常でないことがわかる。
「こういう仕事は本来なら俺向きじゃはないんだが、仕事は仕事だ」
少年はそう言いながら小手に包まれた拳を振るい、一匹、また一匹とフライを確実に粉砕していく。
シマノの目から見ても、その戦いぶりのすざましさは明白だ。
この少年は尋常ではなく強い。
自分とはレベルが違いすぎる。
ただ小手を身に着けているだけで、武器らしい武器も持たず、彼自身の肉体のみで、テレビ頭のフライを屠っていく。
手刀がまさに刃のごとくフライを切り裂き、貫き、粉砕する。
もちろんシマノのような倒し残しなどなく、確実に一匹一匹を葬り去る。
一撃で倒せない場合でも、確実にとどめとなる二撃目を打ち込んでいく。
「まあ、これだけお膳立てしてやればなんとかなるだろう。よし、ルーキー、こっちに突破してこい!」
フライの向こうで、今度はその少年はシマノに向かってそう叫んだ。
その声に従い、シマノも気力を振り絞って目の前のフライを突破する。
希望が見えたことで、なんとか足がまだ動く。
「一気に下まで突き進む、一旦外に出て状況を立て直すぞ!」
合流すると、少年は有無を言わさずそれだけ言って走り出す。
なにを答えていいのかわからず、ただ頷き返して、シマノはその少年とともに階段を駆け下りていく。
とはいえシマノは、少年がフライの集団を蹴散らしていく後ろを、ただ必死についていくだけだ。
「間一髪、といったところか……」
ビルを脱出し、立ち尽くすシマノを一瞥した後、少年は小さく息を吐いてそう漏らす。
その息も、疲れではなく、シマノを見ての安堵と呆れのようであった。
一方のシマノはなにも答えられぬまま、その場で息を整えるのに精一杯だ。
ポインターとして身体能力が向上しているはずなのだが、それまでの戦闘もあって、限界にかなり近付いてしまっていた。
だがそれでも、そんな荒い呼吸の中で、ひとまず、シマノは自分がまだ生きているのだと実感する。
それは、兄を失ったあの日からずっと、失っていた感覚でもあった。