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三年契約の妻が出て行った。  作者: 紡里


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8/8

先を見る話

 すぐに「お飾りの妻」だと噂になり、屋敷の中での立場が無くなった。

 使用人たちは、ご主人の意向に敏感なのである。


 それでも、使用人たちとは違って個室だ。食事も使用人と同じもので、ときどき忘れられたが、飢えることはなかった。

 なにより、眠ることができる。

 私は部屋で眠り続けた。


 実家から、手伝いに来いという手紙が届いた。

 執事に何が書かれていたかと探りが入ったので、実家で執務をしていたことを説明した。

「当家に嫁いでいただいたので、そのようなことをされたら困ります」


「そうですよね……」

「行きたいとは思っていないのですね。断りにくいですか?」

 執事は、私の態度から何かを察したようだ。


「実家と縁が切れるのが嬉しかったくらいです。ですが、あの人たちの命令は絶対だったので……断るのは怖いです」

「では、旦那様から断りの手紙を出していただきましょう」

「よろしいのですか?」

「その代わり、当家の女主人の仕事をしていただけますか?」

「お飾りの妻なのに、やっていいのですか?」

 嫌味を言おうと思ったわけではない。許されるのかと気になっただけだ。


「……大変申し訳ありません。使用人たちの態度を改めさせますので」

 あなたもその一人でしたよね、という言葉は言えなかった。


 執事から少しずつ仕事をもらう。

 これで無駄飯食らいと言われずにすむと、ほっとした。


 執事の態度が変わり、他の使用人たちも少しずつ変わってきた。

 奥様と言うより、上級使用人に対する態度のようだったけれど。



 欠席できない夜会には、夫婦で参加する。

 私はとくに友達もいないので、夫の隣にいる。

 彼がどんな事業をしているのか、そこで初めて知ることもあった。


 実家でも婚家でも家に閉じこもっているので、私の世界は狭い。わからないなりに単語を覚えて、後で執事に質問する。

 少しずつ世界が広がるのが楽しみで、旦那様の隣にいるのは苦痛ではなかった。


 それが、従順でいい妻という評判になったらしい。


 ご褒美に、旦那様が観劇に連れて行ってくれた。

 初めての経験に、どきどきが止まらなかった。

「こんなものも観たことがないのか」

 と、旦那様は自慢げに上から目線だ。


 仕事ばかりの日々だったので、仕方ないじゃないですか。

 少々ムッとしましたが、観たことがないのは事実だ。

「お恥ずかしながら、初めてです。旦那様、ありがとうございます」

 連れてきてくれた出資者に対して、喜んでみせるのも礼儀のうちだろう。

 そう考えて、自分にできる最高の笑顔を作った。


 それに気を良くしたのか、旦那様はいろいろな場所に連れて行ってくれるようになった。

 ものを知らない田舎者の反応が、新鮮だったのだろう。

「これは知っているか」「そんなことも、したことがないのか」

 言われるたびに、恥ずかしくて顔が赤くなる。


 旦那様は、夜会やお茶会で私の無知を喜ぶ意地悪な人たちと、同じ顔をしていた。

 ――優越感。


 優しくされるのに慣れていないので、すぐ顔が赤くなる。どこかむず痒く、嬉しくなって、心臓がうるさく脈を打つ。

 そんなときは、「お腹が空いていると何でも美味しく感じるのと同じ。勘違いするな」と自分に言い聞かせた。

 違う、違う。恋じゃない。

 実家への援助を切られるのは構わないけれど、この家を追い出されたら困る。絶対に、旦那様を好きになってはいけない。

 夜、ベッドの中で「いかに自分が好かれるはずがないか」を自分に言い聞かせる。

 あまりに情けなく、恥ずかしく、泣いてしまう日もあった。



 結婚生活も二年目に入った。

 旦那様が、私の部屋を女主人の部屋に変えようと言い出した。

 とんでもないことですと、声を荒げて反対したら、旦那様は目を丸くして驚いていた。


 愛していないけれど、欲望だけは満たしたいのだろうか。

 貴族の結婚はそういうものだと諦めて嫁いだが、夜のお勤めを免除されるならその方がいい。

 契約の三年間、なんとか逃げ切らなければ。


 そう考えて、そのあとどうすればいいのか心配になった。

 実家には戻りたくない。

 一年目は夜会で実家の人たちに絡まれることがあったけれど、旦那様に言い返されてから、接触するのを諦めたようだ。

 私は旦那様の側にいるし、お化粧室に行くときは侍女を連れているから。


 旦那様以外で頼れそうなのは、弁護士だ。旦那様の友人だという。

 その人に、「私の故郷に避難すればいい」と提案された。

 慰謝料をもらえたら、そこから弁護士費用を払える。いい取引ができそうだ。



 結婚三年目も、終わりに近づいた。

 最後に旦那様に挨拶するときに贈り物をした方がいいだろうか。それを弁護士に相談したら、やめた方がいいと言われる。


 ああ、やはり、私の存在はそんな程度のものなのだ。

 上級使用人なら、主人に挨拶をすることもある。

 ただの使用人なら挨拶せずに、ひっそりと消える。


 私の顔色が悪くなっていたのだろうか。

 弁護士は「挨拶をして、引き留められたら困るでしょう」とフォローしてくれた。


 引き留める?

 愛していなくても、女主人の仕事はやらせたいのだろうか。

 まさか。

 それでは実家と同じだ。

 境遇は比べものにならないほど快適だったけれど、もう、そんな人生は嫌だ。



 そうやって、流されるように田舎まで来た。

 もう貴族じゃないのね、私。

 いつまでも弁護士さんのお世話になるわけにはいかない。

 もう、守られているだけの貴族女性ではないのだもの。


 弁護士さんの家の雑用を任されて、市場に行くこともある。

 そこで、もっと山の方で牧畜をやっている青年からチーズを買った。

「見ない顔だね」

 と話しかけられ、ざっと身の上話をした。

 仕事先の当てがないか、訊こうと思ったのだ。


 そうしたら、「帳簿を付けられるなら、ぜひ来てほしい」と言われた。

 貴族のように難しい言い回しをしないので、最初は戸惑った。

 けれど、わかりやすくていいかもしれない。


「郵便配達も来ないから、町に降りたときにまとめて受け取るんだ。そんなところだけど、よかったら来てくれ」

 日に焼けた顔で、ニッと歯を見せて笑う青年。


 ああ、こんな私でも必要とされるだろうか。

 子牛を撫でることが許されるだろうか。

 彼は一度山に帰り、準備ができたら迎えに来てくれるという。


 その時は、また、さっと静かに消えましょう。


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― 新着の感想 ―
弁護士、最初はエドワードのクズさ紹介のための狂言回し的な立ち位置なのかと思っていたら、進むごとに「あれ?…あれ??」となっていって (^_^;) ジュリアンの自己肯定感の低さがそういう人を呼び寄せやす…
オチが全く分かりませんでした。。 弁護士がヒーローかと思ったら違う? 最後のポッと出の男がヒーロー??
元旦那はいろいろあったからしょうがないにしても弁護士はな……。 弁護士から逃げられてよかった。
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