弓師トニ③
ニコラスと話すのは時間を忘れてしまうという言葉と同義なのかもしれない。いくらでも話していられるのはニコラスの性格と持って生まれた素晴らしい話術のお陰だろう。
しかしながら、いつまでも話し込んでいるわけにはいかない。それじゃなくても怪我をしてしまって、皆の寛容さに甘えて仕事量を減らしているというのに。
「そろそろ仕事をしなきゃ」
アデリーが藁を抱えると、ニコラスも同じ場所から藁を取り上げた。
「どうせ下へ行くんだ。運ぶよ。家畜小屋だろ?」
「ええ、助かるわ」
二人で目一杯藁を抱えると、ニコラスが先に、アデリーがその後に続いた。
「もう鉱石は馬車から下ろしました?」
「ああ、男たちに頼んで一気にね。俺はこのあと貯蔵庫の確認をしてから、ダグマと相談して必要なものをピックアップしなきゃならないんだ。それなのに、ダグマは大門の方にかかりきりで困ったものだよ」
ダグマは狩りに行かない時はとにかくずっと大門用の扉製作に携わっていた。厚みと強度と大きさを兼ね揃えた板を調達するのも大変だが、カンナをかけたり防腐処理用のオイルを刷り込んでいたり、とにかくかかりっきりなのだ。
「あ、そうだわ。ニコラスさんは『アンナ』さんって方をご存知ですか?」
そこまで、弾んでいた会話に妙な間が生まれた。直ぐにニコラスは「どこにでも居る名前だからなぁ」と、答えた。
「確かにそうですね」
アンナという名前は珍しくない。アデリーも人生で三人は出会っている。ただ、ニコラスがその名前を耳にした時に明らかに通常とは違う反応をしたのも事実。
「ただ、ダグマさんが私をアンナと呼んだらしいので心当たりがないかと思ったんです」
階段を下りる足を止めて、ニコラスは首を軽く揺すってから口を開く。
「それは君が怪我をした時ってことだね。心当たりは……あるけどさ、これはダグマに聞いたほうがいい。とはいえ、人は話したくない過去もあったりするから──」
そこでやっと振り向いたニコラスは真面目な顔でアデリーを見上げた。
「俺はなんとも言えないな。一つ言えるのは俺達は戦いに明け暮れていた時期があって、その頃、心にも体にも深い傷を負ったんだ。だから今ある平和な日々が尊いんだよ。君とこうしてのんびり藁を運んでいる時間なんて、昔の俺からしたら天国にいるようなもんだ」
なんとなくだが、初めから二人が単なる村人や街の人ではないことは勘付いていた。雰囲気が違うのだ。そこに驚きはないが、心にも体にも傷を負っているという言葉にショックを受けていた。
「だから、湯に浸かりたかったのですね。ただ疲れている訳じゃなく、薬湯で古傷の痛みを緩和させるために……」
そこでニッコリいつもの笑顔を取り戻すと「正解! 傷口は治っていても冷えてくると内側からなんとなく痛みを感じたりするもんなのさ」と、言うとまた体をもとに戻して階段をを下りる。
「血を見ると昔の記憶も蘇る。そんなとこだよ」
家畜小屋のドアを開けると端の方へと藁を投げ入れ、アデリーも同じ場所に藁を置いた。
「嫌なことを思い出させてしまいました。ごめんなさい」
特にダグマはアデリーの傷口も出血も目の当たりにしている。思い出したくないことが蘇ってきたに違いない。本当は『アンナ』という女性がどんな関係の人だったのか知りたかった。けれどニコラスははっきり言わないが、きっとそれはダグマにとって思い出したくない過去の一部だということなのだと理解した。
「平和な日々は私も尊いと思います」
今も、領主館にいた時も、アデリーは幸せだった。家族の行方がわからないことや、リルの凶行に遭ったが、それでも日々飢えることがなく笑って生活できるのはありがたかった。
「そうそう、ここののんびりした感じは最高だよ。冬は皆で酒を飲んだり、喋ったり、歌うのもいいよな」
「歌を! なんだか楽しい冬になりそう」
アデリーの服に刺さっていた藁を一本摘むと、他の藁の元へと放ってから、ニコラスは笑みをたたえて頷いた。
「そうやってアデリーが楽しそうにしていれば、俺は幸せだし、ダグマもそう思うさ」
まだアンナのことを気にはなっているが、アデリーもニコラスと同じように頷いた。
確かに、皆が楽しそうにしている姿を想像するたけで幸せな気持ちになれるのだった。




