農夫ゴーダと羊飼いマリオ④
ベニートと会話ができたことに気をよくしていたら、入口の方から視線を感じアデリーは振り向いた。するとそこにはモフモフとした羊がアデリーを見つめたまま、口を動かしていた。
「羊……なぜ、羊がここに」
羊は野生のものなどおらず、必ず誰かの所有物だ。驚いているアデリーの視界に、一匹また一匹と姿を現し押し込まれるように部屋へと侵入してきた。
「あ、ダメよ! 部屋に入らないで」
入口まで駆け寄ってなんとか羊の向きを変えようと背を押してみたりするが、マイペースな羊たちはのんびり口をモゴモゴさせているだけで動こうとしない。
「こら、みんなこっちだ!」
聞いたことのない男性の声がしたと思ったら、羊たちが回れ右して部屋から出ていく。アデリーは羊たちについていく形で部屋の外へと出ていった。
「あ、これは失礼した。慣れない場所でいつもより言うことを聞かなくてね」
アデリーが姿を現すと、羊飼いらしき若い男性が被っていた帽子を持ち上げて軽く挨拶をしてきた。アデリーもつられる形でペコリと頭を下げた。
「えっと、この子らに草を食べさせたいんだけど、下の畑に入れても構わないかい?」
イントネーションがアデリーと少し違うところをみると、この辺りの人ではなさそうだ。それはいいとして、アデリーは返事に困っていた。
「あー、えっとわからないわ。聞いてきます。一度川の向こう側に移動させて貰えますか?」
「悪いね。俺は羊飼いのマリオっていうんだ。兄のゴーダは畑を見てるよ。農夫なんだ」
アデリーはそこでピンと背筋が伸びた。
「農夫! もしかしてここに来たのは移住ですか?」
「ああ、誘われたらしいけど……」
ダグマがこの前話していた人に違いない。アデリーは嬉しくなって羊飼いのマリオの手を取って両手でブンブン振りながら握手をした。
「お待ちしてました! 今、ダグマさんを探していますから待っていてください」
あまりの歓迎ぶりに戸惑ったようなマリオの手を離すと、アデリーは貯蔵庫へと駆け出していった。畑に居ない時のダグマは、狩りか貯蔵庫のどちらかだ。今日は狩りに行くとは話してなかったのできっと貯蔵庫だろう。
(これでダグマさんが少し楽になるわ)
厨房の横を駆け抜けて貯蔵庫の戸を押し開くと、ダグマが天井付近に渡してある木に玉ねぎを吊るしているところだった。もちろん足場用に樽があり、アデリーは思いっきり見上げなければならない。
「ダグマさん! 来ました、来ましたよ!」
興奮し過ぎで説明になってなかったからか、ダグマは動きを止めてアデリーを見つめてから表情を和らげた。
「まるで子供だな」
再び顔を上げて途中になっていた玉ねぎを吊るすために手を動かし始める。アデリーはダグマの優雅な動きを焦れったく思いながら続ける。
「笑ってる場合でも、玉ねぎと戯れてる場合でもありません! 農夫が来たんです!」
「そりゃ、確かに一大事だな」
ダグマはそう言うが一向に樽から下りてくる気配がない。
「移住するつもりで来てるみたいです。だから、早く、早く行ってください」
玉ねぎの皮を髪のように結ってぶら下げていたダグマがやっと手を止め、樽から下りてきた。
「やれやれ……移住するつもりなら逃げやしないだろうに」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないですよ」
「わかった、わかった」
のんびり歩くダグマがもどかしくて仕方がない。あれほど望んでいた農夫が来たというのに。
部屋を出て畑の方を覗き込んだダグマが「羊飼いじゃないのか?」と、わらわらと移動している羊を眺めながら言う。
「羊飼いは弟さんのマリオさんだそうです。農夫はお兄さんの──」
慌てて来たので聞いた名前を忘れてしまい、言葉に詰まり思わず顔に力が入る。
「なんだその顔は。美人が台無しだぞ」
ダグマから美人と言われて頬がサッと染まったことを感じつつ、ツンと顔を明後日の方へと向けた。
「やっと農夫が来たから必死だったんです! だから聞いたはずの名前が出てこなかっただけです」
「そうか? なんにせよ、農夫と羊飼いなら悪くない。挨拶してこよう」
「部屋はどうしますか?」
宿屋の準備は出来ているので寝泊まりする場所は問題ない。ただ、定住するなら部屋を決めなければならないだろう。
「それもそうだが家畜小屋だな。ほら見てみろ」
ダグマは川の向こう側に荷車につけたままの牛を指さした。
「牛と羊、それからカルロの馬とニコラスの馬。家畜小屋が超満員状態だ」
そこでダグマはアデリーに大工のカルロを連れてくるように言った。
「羊は別に小屋を建てるべきだが、場所がな……下で待ってるからとカルロに伝えてくれ」
アデリーは崖の所々に生えている果樹を剪定しに行ったカルロを探しに行くことになった。
廃城に人が増えていくのは単純に喜ばしいが、どうやらそれに伴い解決しなければなら問題もない生じるらしい。アデリーは領主であった父が多くの問題に頭を悩ませ、領地を飛び回っていたのを思い出した。皆に慕われる領主だったのは、忙しく駆け巡って人々の問題に耳を傾けていたからに違いない。父の偉大さに胸が熱くなると同時に込み上げる淋しさに目を擦りながらカルロを探しに行くのだった。




