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黄泉渡り伊織 ーー関ヶ原で滅した六千の魂を抱く巫女ーー  作者: 結城謙三


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6/15

大谷吉継

正面だけでなく、側面からも敵が押し寄せてくる。

津波のように襲い掛かる圧は、細い綱の上を渡るように均衡を保っていた大谷隊を消滅させるには十分過ぎた。


「退けーーーー!退くんだーーーーっ!!」

大声で叫ぶムサシは騎乗した武将に槍を投擲すると、その軌道を見ることもなくすでに踵を返し

大谷隊の本陣へと駆けていた。

”前線に親父殿はいなかった”……“もしかしたら大谷の殿様を守るために!?”

敵も味方も関係なく目の前の人間に手を伸ばし、後ろへと放りながら自分の身体を前へ前へと押し出す。

波を掻き分け、人海を突き進む飛び魚のように息継ぎをする間さえ惜しんで……


そのころの本陣では、そこはすでに死を迎えるための場へと姿を変えていた。

乱戦の只中にありながら、張られた陣幕の内側だけが、異様なほどに静かだ……

床几しょうぎの前に低く据えられた机。その上には、硯と筆、そして白い短冊が一枚。

脇には、布で丁寧に拭われた脇差が伏せられている。

大谷吉継は床几に腰を下ろし、浅く息をついていた。

包帯に覆われた顔の隙間から覗く眼は、もはや戦場を見ていない。


「……ここまでだ」

その声は驚くほど穏やかだった。

背後では、湯浅五助をはじめ数名の家臣が膝をつき、歯を食いしばっている。

誰一人として、主の前に進み出ることができずにいた。


「殿! まだ退けます!島左近様の隊も――」


「よい」

吉継は、わずかに手を上げてそれを制した。


「もはや勝ち負けではない。平塚為広も討たれ裏切りは決した。……ここまでだ」

そのとき、陣幕が乱暴に掻き分けられる。血と泥にまみれた若武者が、転がりながら入ってくる。


「大谷のお殿様!」

家臣たちが振り返る。見知らぬ顔。だが、その背には――宇喜多秀家の軍旗。

吉継の眉が、ほんの僅かに動いた。


「……名は?」


「新免武蔵守が倅。ムサシといいます」

短い沈黙。


「……辞世の句を読む時間は、あるだろうか?」

その問いは、家臣たちではなく、ムサシに向けられていた。ムサシは一歩進み、膝を突く。


「俺が、その時間を作ります」

ざわっ、と空気が揺れた。



「小僧! 無茶だ!」


「殿の前で何を――!」

家臣の一人が叫ぶが、ムサシは振り返らない。


「俺の親父殿があなたの役にたてと言っています。」

吉継は、しばしムサシを見つめ――やがて、静かに笑った。


「……若いな、これを持っていけ」

そう言って、脇に置いた打刀を小姓に差し出し硯の方へと顔を向ける。


「その若さに免じて、少しだけ……時間をもらおう」

家臣たちが、ゆっくりと頭を下げる。

ムサシは打刀を受け取ると立ち上がり、踵を返す。陣幕の外へ向かう背に、吉継の声が届いた。


「名を、忘れぬ。また逢おう若武者!」

ムサシは答えなかった。

陣幕を背に右手に父·新免二無斉から授かった打刀を、左手には大谷吉継より授かった打刀を両手に広げ持ち

宇喜多秀家の軍旗を襷に掛け、高波のように押し寄せる裏切り者たちを睨みつけるのだった。


いつしか高天に張り付いていた鱗がその数を増やし、はっきりとした歪みが広がる。


「……古竜様……これ以上は補完しきれません黄泉へと渡らせる許しを」

御左口神の表情が苦痛に歪んでいる。


「どのくらいの魂を補完しているのだ?」

それを見ている八岐大蛇は愉悦の念を押し殺し平静を装う。


「……六千に届こうかと……」


『それほどの魂をアヌビスの門に送れるはずがなかろう!?神龍のしたり顔が目に浮かぶわ!!』


「伊織よ、六千となったら申すのだ。それ以上の補完はお前の身体にも触るのでな」

背に乗る伊織の目前に中央の首をもたげさせ、内心を隠し優しく言い放つ。


伊織が全身を震わせながら下界へと目をやる……気になっていた少年をすぐに探し当て目を凝らす。

丘の上の陣幕を守るように両手を広げた少年は、たった一人で迫りくる無数の敵に挑んでいた。

陣幕の中では、自害を選んだのであろう……袂を開いた武将が短刀を腹にあてている。

介錯の者が高く掲げた刀が振り下ろされる。 

御左口神の中にまた一つの魂が保管され、味わったことのない圧迫感が伊織の胸を襲う。

霞のかかった目で少年を見ると、その身体には数本もの槍が突き立ち、それでも前へと出ながら

二刀を振り回していた。


「……古竜様……もう駄目です。」

唇を噛み締め、圧し殺すようにそれだけを告げる。


「そうか、我のために無理をさせたようだな……しかしそれほどの魂を黄泉へと送らせるわけにはいかん!

代わりに我の統べる異なる世界へと送ってやろう!!」


「……なにを仰っているのですか?そのようなことが許されるはずが……!?」

すでに八岐大蛇の念力に縛られた御左口神が言葉をのみ込む。


「伊織よ、心配するな……お前がいなくなっても百年は誰も気づかぬ。そして人間どもよ愚かな戦いを続けおって!!

それほどまでに戦いたいのであれば、魔獣に飲み込まれようとしている異世界で好きなだけ戦うがいい!

“因果流転·時空転移!!”」


空を覆っていた歪みが音を立てて割れ落ち、六千もの魂を抱いた伊織とともに落下していく。

眼下には赤く裂けた地面が口を開け、六千の魂と伊織をも飲み込もうと待ち構えていた。


地表に到達しようかという、その刹那……

伊織の手が、血塗れでそれでもまだ戦おうとするムサシの手を掴む。


「……あなたが守っていた者は、わたしの中にいます。あなたは責を果たしたのですよ……

今度はわたしを守ってくださいませんか?」

神として、あまりにも無責任な行動だと理解していた。まだ死していない人間の魂に干渉するなど

それでも御左口神の中の伊織は手を伸ばさずにはいられなかったのだ。


赤く裂けた地面がゆっくりとその口を閉めるのを見届けた八岐大蛇が“ふぅ~”とため息を吐く。

「これでひとまず肩の荷が下りた……我も鬼ではないのでな、六千の魂に戦うすべを与えてやろう

“聞こえるか八百万の野良神どもよ!我の名の下、異世界へ渡ろうとしている魂どもにお前らの加護を与えよ!!”」



日ノ本編 完



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