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黄泉渡り伊織 ーー関ヶ原で滅した六千の魂を抱く巫女ーー  作者: 結城謙三


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5/14

瓦解

そのまま仰向けに寝転び空を見る……父との稽古でのどこか心地のよい疲労ではなく……

戦場を駆け回り、立ちはだかる敵に刀を振り続けた腕や足が悲鳴を上げていた。

そして見たもの、これまでムサシが生まれてから昨日までに出会った人を凌駕する数の人間が

物言わぬ肉塊となりムサシの周囲に散乱していた。


その目から入ってくる情報に頭が追いつかず、身体からの警告に抗うことを諦めたムサシ。


「寝るか……」

大の字となり重くなった瞼を閉じる瞬間、いつの間にか晴れ渡った空の雲の切れ間に一点

魚の鱗が貼り付いたような歪みを見た……

しかし思考を放棄したムサシは、意識の糸までもを手放していった。


「人間どもめ!性懲りもなく殺し合いを続けおって!!」

それは歪みなどではなく、関ヶ原上空を遊弋する。背に御左口神である伊織を乗せた八岐大蛇であった。

八岐大蛇の八つの首が、それぞれ別の方向へとゆるやかに動く。

一つの首が見下ろす先では、旗印を失った兵たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、

また別の首の下では、密集した槍衾が崩れ、押し倒され、踏み潰されていく様が見えた。

鉄と鉄が打ち合わされる音。

甲冑が砕け、骨が折れ、肉が裂ける鈍い響き。

それらが一つの濁流となり、大地を震わせている。


「伊織よ、一つ残らず取り込むのだぞ。」


「……はい」

伊織の低い声が、八岐大蛇の背で漏れた。


西軍の中央では、すでに秩序というものが失われつつあった。

隊列は歪み、援軍を待つはずの部隊は孤立し、周囲には、まるで収穫を終えた田のように人の屍が折り重なっている。

一方、東軍の陣地にも決して余裕はない。

勝ちを確信した者たちの動きは前のめりで、突出した部隊は返り血にまみれ、もはや敵味方の区別すら曖昧だ。

八岐大蛇の視線が地を這うたび、その下にいる人間たちは、無意識のうちに身を強張らせる。

だが、誰一人として天を仰ぐ余裕はない。


「人間とは、かくも狭い視界で生きるものか……」


その八岐大蛇の呟きを無言で聞いている伊織の額に一筋の汗が流れる。

その目は、屍が折り重なる丘で唯一人、手足を広げ眠る少年に注がれていた。

命知らずの愚か者なのか?

あるいは屍の中に紛れることが、この場では最も安全に回復ができると判断した大物なのか?

その少年の上を一騎の早馬が駆け抜けていった。御左口神の伊織の部分が”ひっ!”と声を上げる。

しかし何事もなかったかのように起き上がる少年を見て胸を撫で下ろす。

できることなら……あの少年の魂は送りたくはないと伊織は思った。


自分の頭のすぐ横を重量物が土を抉る感触と、両足の内腿を何かが掠る感触で目を覚ましたムサシ

首だけを上げ、その正体を確かめる……「あの馬が俺の上を通り過ぎたのか?……」

上半身だけを起こし首を巡らす。死肉目当てのカラスが群がり、糞尿の匂いと血肉の匂いが混ざり合い

例えようのない悪臭に顔を歪める。

『ここを離れよう』右手の横に投げ捨てていた刀を拾い、握りしめると力が戻っていることを確かめ立ち上がる。

屍で埋まった丘を下りながら『親父殿を探そう……』そう独り言ちる。


若いムサシの身体はわずかながらの眠りをとったことで驚くほどに回復していた。

もし父がまだ生きているなら……関ヶ原までの道中で父から聞いた話を思い出す。

壊滅した宇喜多隊を離れ、近くの西軍へと向かったはずだ。

“パーーーン!パーーーン!パーーーン!”鉄砲の乾いた音が響く。

左前方の山から白地に赤の三つ鱗と違い鎌の組み合わさった旗指物を持った一団が駆け下りてくる。

まるで地滑りを起こしたような圧倒的な物量が麓の一団へと襲いかかる。


「裏切りだっーーーー!!!」

声のした方向を見ると、白地に黒の”対い蝶”の旗指物を掲げた隊が迎え撃とうと横に広がる。

父から習っていた”対い蝶”の大谷吉継隊が、東軍へと寝返った小早川秀秋隊の急襲を受けようとしていた。

父の言葉を思い出す……「俺は敦賀の大谷吉継に士官したかった。」

足元に落ちていた槍を拾い上げ、考える前に足が駆け出していた。

父があそこに居るのではないかと……


まるで小早川隊の裏切りを予想していたかのように、地滑りの勢いそのままの小早川隊を

待ち構えていた大谷隊が正面から受け止めると、圧倒的な数の差にもかかわらずに踏みとどまる。

駆けながらムサシは父より託された宇喜多秀家の軍旗を襷たすきに掛け、大谷隊の最前列へと乱入する。

首を巡らせ父を捜しながら、槍を振るい続け敵の懐へと飛び込み肩で押し返す。

すぐ耳の横で敵の息遣いを感じる。自分の振るった槍が敵の喉を突き刺し“ひゅーっ”という息が漏れる。

命令でも自分を守るためでもなく、自分の意志で初めて人の命を奪ったのだ。

ムサシの中で一つの箍たがが外れた。

獣のように目を血走らせ、倒れた敵を足場にして飛び回る、左手の槍で首を薙き゚、右手の刀で防御に徹する。

身体はどこまでも熱く、頭は氷のように冷たく……父から叩き込まれた新免流の極意“密息”丹田に息を溜め

力の源へと換え、横隔膜の上下だけで細く長い息を鼻から吐く。

体幹を極限まで安定させることで、足場の悪い中でもムサシの人外の膂力が光るのだった。


「脇坂隊!朽木隊!裏切りだーーー!!」


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