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黄泉渡り伊織 ーー関ヶ原で滅した六千の魂を抱く巫女ーー  作者: 結城謙三


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宮本村

慶長五年九月五日。


朝靄の残る宮本村の外れで、新免二無斉は上機嫌だった。


「見よ。これが宇喜多様の御旗よ」

染み一つ無い白地の布が広げられる。黒く染め抜かれた巴紋が、朝の風に小さく波打った。


新免流の弟子たち――

年嵩としかさの順に、庄吉、弥八、又兵衛、源三、喜助。

二十から二十五、いずれも血の気盛んな若者たちが、どよめきと共に旗を囲む。


「これで俺たちも西軍だな」


「天下分け目ってやつだ!」

浮き立つ声を背に、ムサシは一歩引いた場所に立っていた。

村の外れでは、農夫たちが黙々と稲を刈っている。鎌が稲を倒し、束ね、また次へ。

誰に見られるでもなく、誰に褒められるでもなく。


『……世のために働いているのは、あちらだ。』

旗は軽い……だが、あの稲束の重さは、村の冬を支える。

父と弟子たちの背中を、ムサシは横目で見た。

浮かれ騒ぐ声と、稲を刈る音。どちらがこの国を生かしているのか――

答えは、言うまでもなかった。


普段より熱の入った稽古のあと、並んだ弟子たちの肩を一人一人叩いていく。

満足そうに頷くと木刀を高く掲げる。


「明日に出立だ!」

夕暮れの村に、新免二無斉の声が響いた。


「此度の戦で結果を残せば、宮本村から初の士官が出るやもしれぬ。

石を頂けることもあろう!各々、武具の手入れを怠るでないぞ!」

弟子たちは声を揃えて応え、各々の持ち場へ散っていく。

砥石に刃を当てる音が、夜気に混じった。


その夜、二無斉は宇喜多の軍旗を丁寧に畳み、枕元に置いた。

布の端を揃え、皺を伸ばし、何度も確かめるように撫でてから、ようやく横になる。

それを、ムサシは黙って見ていた。

——母は、ああいう布を好まなかった。

灯りの下で針を動かしながら、

「腹は剣では満たされぬ」と、静かに言った人だ。

冬の前には米を量り、

畑の出来を気にし、

父の剣より、家の屋根を心配していた。


『母上なら、あの旗をどう見ただろう?誉れだと称えただろうか?』

ムサシは目を閉じる。

亡き母の面影は、声もなく、責めることもなく、ただそこにある。

——父を死なせてはならぬ。

それは、誰に聞かせる誓いでもない。

胸の奥に置き、刃のように静める誓いだった。

父が無事であればよい。

勝ち負けでも、石でも、名でもない。ムサシは闇の中で、そっと息を整える。

『生きて帰る……必ず宮本村へ……』

外では、刈り残された稲が、夜風にわずかに揺れていた。


翌朝、村長が訪ねて来た。


「今日経つと聞いたのでな……お前たちが行ってくれるおかげで、村からはこれ以上の男手を

差し出さずにすんだこと礼を言わせてもらう。生きて帰って来るのだぞ……」

竹の葉で包んだ握り飯を弟子の庄吉に渡す。

「道中に食うといい。」


「村長、心配するな!新免流の名を天下に轟かせて帰ってくるからな、土産も期待していいぞ!」

真剣な表情で頷く弟子たち……少し遅れてきた源三に蹴りを入れると、村長に手を振り村を出立する。


村を出ると道の両側には、頭を垂れた稲穂が風に揺れ、まるで金色の鯉のぼりのように泳ぐ。

その上を竹竿に括られた白地に黒の軍旗が誇らしげにはためく。

簡素な具足を着けた新免二無斉が、胸を張り村人たちに手を振る。


戦場へと旅立つ、武のみに生きた男の最後の晴れ舞台となるかもしれない……

息子であるムサシの目からは、あの旗が父の血を吸わないことを願うばかりだった。

そんなムサシの横に兄弟子の弥八が並ぶ。粗末な槍を担ぎ似合わない髭を蓄えた男だ。


「ムサシ!木刀と実戦の違いをお前に見せてやるからな!稽古とは違うんだ……」

自分に言い聞かせるように布に包まれた槍の穂先を見る。


「弥八さん……死なないでくれよ、お袋さんが悲しむ。」

この1年の間に弥八がムサシから一本を取ることは皆無だった。


「死ぬもんか!この村には戻らないかもしれないがな、俺は百姓は嫌いだ。

活躍して士官先を探してやる!」

この日のために伸ばしてきた髭を手のひらで確かめる。


「どっちでもいいさ、死なずに戻れるなら百姓でも士官でもな!」

一番弟子の庄吉が二人の背を叩くのだった。



そんな7人の背を見送る村長と村人たち

「無事に帰ると良いんだけどな〜」


「ムサシなんぞ、まだ16になったばかりだろう?賢くて良い子なのに……」

横に並んだ新免流の中でも頭一つ大きなムサシの背に村人の視線が集まる。




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