悪魔的閃き
フェルダーを振り切って走っていたわたくしは、けれどとうとう足の痛みに止まってしまった。
山の中で挫いた足がズキズキと熱と痛みをぶり返しているみたい。
ひとけのない道を通るのが怖くて、ひとの多い大通りを歩く。
けれど落ち着かない。
店の窓ガラスに映るわたくしの姿は、古くて粗末なエプロンドレスに、ぐちゃぐちゃになった髪。わたくしを見る人々の目が、まるで嘲笑ってきているよう。
わたくしは立派な淑女だったのに……。
本当ならハルロ様との婚礼を終えて……。
終えて……、
「………………だれが、死んだの……」
新聞記事には、確かにルティカが死んだのだと報じられていた。
「なぜ………………?」
だれが。
なぜ?
わたくしが婚礼の式典に出ていたら、わたくしは本当に死んでいたの……?
「でも……おかしい、わ……そんなこと……」
神託が告げた神聖な式よ。
そんな日に……。
フェルダーの愚かな真似がなかったら、わたくしはどうなっていたの……?
「――――――っ」
ゾッとする。
死んでいたかもしれない。
「早く……し、しらせなくちゃ……」
わたくしの無事を。
お父様たちに。
◇◇◇
わたくしは途方に暮れていた。
馬車も鉄道も、乗るのにはお金が必要だった。
身分を証しだてるものもなく、もう売れるものもないわたくしは、この国境間際の街からラトラムの王都に行く手立てがなかった。
お父様たちはきっと王都のお屋敷にいるのに。
フェルダーが取り返したあの指輪、受け取っておけばよかったのかしら。
そう一瞬後悔がよぎる。
「ばかなことを……ルティカ。あれは正当な対価としてお支払いしたものだわ」
たとえその後にひどく裏切られた事実はあっても。
わたくし自身が誇りを捨ててよい理由にはならないのだわ。
「……でも」
ここから歩いて、王都まで……?
それはどれだけかかるの。
「おぉいおぉい、もう乗るやつぁいねえか~! 乗り合い馬車そろそろ出るぞ~」
停留広場で御者が大声で確認している。
いまのわたくしには、あんな大衆馬車に乗れるだけの力すら……ない……。
「ジャーコン商会が疎開の準備だとよ」
「あぁ、ここらの倉庫のモン全部引き揚げて王都に逃げるつもりらしいな。いいご身分だ」
「だが賢いよ。戦争が始まりゃ一番はじめに巻き込まれるのはココなんだから」
「おれらも逃げ出してぇな……」
「逃げ出せる先がありゃあな」
煙草を吸いながら男たちが話している。
わたくしにはまだ信じられないのに、この街の人たちはもう戦争が起こることを確信しているよう。
確信して。
途方に暮れているんだわ……。
「………………ジャーコン商会」
聞こえたその名前を小さく呟く。
聞いたことがあるようなないような名前。
ふいに、わたくしの内に悪魔的閃きが降りてくる。
もし、大きな商会のたくさんの荷物の中に紛れ込めたら……。
心臓が強く打つ。
深呼吸する。
「そうだわ……あの男も、そうやってわたくしを攫ったのね」
不愉快なことだけれど。
フェルダーがわたくしに教えてくれたこと。
「やるしか……」
わたくしは、優しげな老婦人を選んで声を掛け、ジャーコン商会の場所を聞き出すことに成功した。




