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フェルダー




 足元には、気を失って転がっている店主。

 目の前には、白髪の目立つ黒尽くめ。

 少し息が上がっていて、ゼェゼェと荒い呼吸が聞こえる。


「ど……どうしてあなたが……」


 わたくしは混乱して。

 フェルダーの濁った血の色みたいな目がわたくしを見つめる。

 思わず後退ったら、床の店主に躓いて転びそうになって。


「ひっ――!」


 あの小屋で。

 血塗れで倒れていたみすぼらしい男の姿が脳裏に蘇る。


「ぉ……嬢……さ、ま」


 カランと転がる硬質な音と。

 フェルダーの息も絶え絶えな声。

 コートの袖越しにもわかる骨張った腕が、わたくしの体を支えて。


「ぐ、ぁ――」


 どちゃり、とフェルダーがわたくしの代わりに床に落ちていった。


「………………な、なんて無様なの」


 おかげで転ばずには済んだけれど。


「――クッ、クク。――そう……あまり……無茶の利かぬ身でしてね……」


 転がった杖を拾いそれを支えに身を起こすフェルダー。


「そう。…………無様だけれど、助かったわ。お礼を言ってあげてもよくってよ」

「…………ククッ。…………光栄です、な。…………お嬢様」


 店主をちらりと見る。 

 すっかり昏倒して、しばらく起きそうにはないけれど。

 いつまでもここに居るわけにはいかない。


「ちょうどよかったわフェルダー、わたくし急いでラトリーナに行かないと……いえ、それよりラトラムのお父様の所かしら。ねえ大変なのよ、新聞は見たわよね? どうかしてるわ。わたくし抜きで式典が終わっていてわたくしが死んだことになっていて」


 声に出したら止まらなかった。

 全然何が起きているのかわからなくて。

 怖くて。

 この際フェルダーだって構わなかった。

 わたくしを知っていて、わたくしの知っているひと……。


「存じております。……存じておりますとも……えぇ……お嬢様」


 フェルダーが頷く。

 いつもよりずっと口数が少ない。

 杖に体を預けながら、体が小刻みに震えているように見える。

 白髪頭が少し赤黒く染まっている。


 なんだか。


「…………フェ、フェルダー?」

「…………はい、お嬢様」


 ゴト。


 杖が床を打つ。


 この音。


 あの小屋でも、聞いた気が……して……。


「…………うそ。うそよね、フェルダー」


 心臓がドキドキとうるさい。

 フェルダーの手が伸びて来る。


「い、いや……」


 手袋に包まれた手のひらが開かれて、わたくしが店主にスープとドレスの対価に渡した指輪が差し出される。


「どうぞ……お嬢様にずいぶんと非道な真似をした男には……勿体無いものですからな」


 床で気を失っている店主を見る。

 生きているの?

 あの小屋の男は死んでいたわ。


 いいえ、そもそもあの小屋に居たのがフェルダーのわけ……。


「…………お嬢様」

「や、やめて。答えて……わ、わたくしを、攫ったのは…………あなたなの…………?」


 フェルダーは、片頬を引き攣らせて。

 口端を歪めて。

 わたくしを見つめて。


「――――クッ! 足が……お速い……ことです……なぁ……お嬢様……」


 ◇◇◇


 ぐにゃりと足元が揺れて沈むみたいに、わたくしはへたり込みそうになった。

 それをどうにか堪えたのは、淑女としての矜持だったかもしれないわ。


 いつまでも差し出されたままの指輪と、フェルダーの手。

 この手が、あの小屋の男を殺した。

 わたくしを攫った。


「どうして……」

「…………」

「どうしてなの。なぜ何も言わないの。いつもの嫌味な口数はどうしたの。なぜあの男を殺したの、仲間だったのではないの? わたくしを攫ったのはなぜ。何が目的? フェルダー、答えなさい!」


 フェルダーは尚も指輪を差し出したまま。


「…………港から、船に乗る予定でしてな。お嬢様。お目覚めが予定より早く…………まさか…………ここまできて、あんなしくじりを……するとは……」

「何を言っているの……」


 まるでずっと前から計画していたみたいに。

 

「どうして……まさかずっと……騙していたの……わたくしを……」


 嫌味でも無礼でも弁えはなくても、それでもこんなことをする男だとは思っていなかった。


「お嬢様――私は――……、…………」


 ゴト。

 フェルダーの杖が床を打つ。

 距離が詰められる。

 わたくしを、再び捕えようとしている。


「お、お父様に言うわ……! わたくしが生きているとわかれば、戦争だって起きないし、おまえは捕まって牢屋入りよ……!」


 フェルダーから逃げるように身を翻し、わたくしは勢いつけて扉を開けて外に飛び出た。


「お嬢さ――……!」


 フェルダーが追いかけて来ようとした気配と。

 勢いよく戻っていく扉に打ちのめされたか杖を落としたか、呻くような声が聞こえた。

 あのボロボロの体では、フェルダーはきっとわたくしに追いつけない。


「――ひっ……ぅっ……ぅうっ……ひっ」


 走って。

 走って。

 走りながら。


 どうしてかしら。


 ずっと涙が止められなかった……。

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