回帰
新年祝賀の式典を終え、わたくしはラトラムの実家ではなくアカデミーのある聖都のいつもの別邸に戻ってきた。
「俺は今日の神託を報告しなくちゃならんから帰るぞ。ま、神託のことや婚約の調整は父上と兄上がやるだろうから、おまえはゆっくり浸ってろよルティカ。じゃあな」
クロスお兄様はわたくしを邸に送り届けるとそう言ってさっさと帰ってしまわれて。
「お嬢様……! 坊ちゃんから聞きましたよ、式典で倒れられたって。さぁさ、もう今日はおやすみになってくださいまし。すぐ薬湯も用意いたしますからね」
「ばぁや…………えぇ、そうね…………お願い…………」
迎えてくれたばぁやの顔を見ると、わたくしは張り詰めたものがいっきに解けたみたいにドッと疲れてしまって。
「お持ちしますから、寝室でお待ちくださいませ」
そう言って厨房に向かっていくばぁやを見送り、わたくしは寝室に戻ってくる。
思わず、はぁ、と息を吐き出して。
式典用の重たいドレスやアクセサリーを剥ぎ取りながら、一度目を閉じて思い返す。
式典で……ハルロ様を見た時の、強い胸の痛み……胸だけじゃなくて……。
怖い……。
なんだかわからない、わたくしがわたくしでなくなってしまったみたいに、体が制御できないあの感覚。
「…………どこか…………」
悪いのかしら、と思う。
着替えをしながら、目を開けて鏡に映るわたくし自身を見つめてみる。
キラキラ輝く黄金の髪も、宝石のように鮮やかな青い瞳も、今までと変わらない。
「………………変わらない、わよね」
なぜこんな不安を覚えるの。
鏡の中のわたくしは、なんだか、弱々しくてちっぽけで、ひどく情けない顔をしていて。
「でも、今日のお医者様も、特に悪いところは見受けられないって仰っていたし……」
「ほう、私という主治医がありながら……よその医者に浮気ですかお嬢様。哀しいですなぁ――」
「ひっ――――」
唐突に聞こえたその声に、わたくしは絹を裂くような悲鳴をあげた。
「痛っ……いだだ……! ヘアブラシで叩くのはおやめください、お嬢さマ゛っっ――」
「このっ! この無礼者の愚か者! レディの部屋をなんと心得ていて!?」
びっくりした勢いの余り、不審者をわたくしは持っていたヘアブラシでバシバシと叩いてわからせる。
どれほど口が回ろうと嫌味がうまかろうと、純粋な暴力の前では無力なのだわ。
「まぁまぁまぁ! お嬢様! フェルダー先生も! いつまでもそのようにじゃれあっていないで……」
薬湯を運んできたばぁやの仲裁で、わたくしはフェルダーへの折檻を終わらせてあげた。
フェルダーは床に跪いてうげうげと痛みに呻いている。良い気味だわ。
「ふん。これに懲りてもう少し身の程を弁えることね、フェルダー」
「……く、ククッ。……式典で、倒れられたと聞きましたが……思いのほか、お元気……そう……で……ぅぐ」
取り落とした杖を掴んで、フェルダーはよろよろと身を起こしながら、全く懲りず弁えずニヤニヤと笑っている。
度し難いことだわ。
「そうよ。あなたのような胡散臭くて陰気で不気味で無礼で怪しい医者ではなく、礼儀正しく紳士なお医者様に見てもらってよ。そのお医者様から手紙よ」
封書をフェルダーに押し付けて、わたくしはばぁやの入れてくれた薬湯に口を付ける。
一口飲むごとに、ほっと身も心も解れていくような心地。
癪だけれど、この薬湯がなかったらわたくしは今夜眠れず震える夜を過ごしたかもしれない。
「お嬢様……」
「なによ」
「あちらのご医師殿からの勧めですからな、明日から、血を作る薬もお出ししましょう。……今日は、お疲れでしょうからな、戯れはこのくらいにしてお暇致しますぞ」
まぁびっくり。
顔に出たかしら、フェルダーが口端を歪めるような苦笑を浮かべる。
「どうか……何もご心配なさらず……浮気も怒っておりませんからな」
「当たり前ではないの!!!!」
わたくしが思わずカップを持つ手を振り上げると、フェルダーはヒッヒッと悍ましい笑い声を上げながら足が不自由とは思えぬ素早さで出て行った。
扉の向こうからもしばらく汚らしい笑い声は聞こえていて。
「不愉快な男ね……!」
振り上げたカップを、ばぁやがそっと受け取りながらわたくしの手を下ろさせる。
「まぁまぁ。すっかりいつものお嬢様に戻られて……よかったこと。さ、あとはお風呂に入って、ゆっくりおやすみくださいませ」
ばぁやは、わたくしとフェルダーの不快なやりとりを、本当に単なるじゃれあいだと思っているのだわ。
けれど、ばぁやの言うとおりかもしれない。
「…………はぁ。あの男と関わると本当に疲れるわ」
疲れすぎてゆっくり眠れそうよ。




