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弁護士は、救いのない魔女たちを自己犠牲すら問わず救いたい  作者: れさ
第4章 旅先で待つもの

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――第14話 走馬灯――



 ――ばあんッ!!




 引き金を引く音の代わりに、

 数十の術式陣が同時に唸りを上げた。


 ごうっ、

 どどどどど――!!


 火球、衝撃波、光弾。

 性質の異なるシングル術理が、雨のように、壁のように悠斗たちへ叩きつけられる。


 単体なら脅威ではない。

 だが、この数だ。


 空気が引き裂かれ、

 地面が震え、

 地下駐車場全体が一つの爆心地になったかのようだった。


 ――普通なら、トリオクラスのプロテクトでも耐え切れない。


 爆炎が、すべてを呑み込む。


 轟音。

 衝撃。

 視界は完全に塞がれ、

 熱と煙が肺を焼く。


 ……だが。


 ぶんっ!!


 強引に、煙が振り払われた。


 悠斗が、そこに立っている。


 着弾した術理は、すべて――存在しなかったことになっていた。


 否。

 正確には、すべて未来へと送りだされている。


 結果は分解され、

 術理は虚数エネルギーへと変換される。


 残ったのは、

 視界を遮る、黒く重たい煙だけ。


 それすらも、悠斗は腕を振るって追い払った。


 ――ざあっ。


 煙が散り、

 再び現れる光景。


 そこに立つ悠斗は、

 まるで最初から攻撃など受けていなかったかのようだった。


 祈の姿は、すでにそこになかった。


 爆炎が収まり、煙が薄く引いていく。


「……」


 悠斗は無言のまま、周囲を見渡す。

 地下駐車場に並ぶ柱。

 破壊された床。

 術式陣を維持したまま立ち尽くす人影たち。


 そのどこにも、祈はいなかった。


「おや」


 穏やかな声が、静寂を裂く。


「さきほどの娘が、いませんね」


 ガブリエルは、困惑でも警戒でもなく、

 まるで茶会の席で話題を切り替えるかのような調子でそう言った。


 口元には、薄い笑み。

 慈愛とも皮肉とも取れる、曖昧な表情。


 悠斗は動かない。

 踏み出す気配も、構える素振りもない。


 周囲に立つ人影――死者たちも同様だった。

 術式陣を展開したまま、主の命令を待つ人形のように、完全に静止している。


 その均衡が、ほんのわずかに歪んだ。


 ――きいん。


 澄んだ金属音が、ガブリエルの背後で鳴る。


 黒い光が、闇を切り裂いた。


 スティレット。

 細く、短く、殺すためだけに存在する刃。


 握っているのは、祈だ。


 完全に気配を断っている。

 呼吸は落とされ、心拍は抑え込まれ、

 感情の揺らぎすら沈め切っている。


 ――朽木家の技。


 爆炎の残り香に紛れ、

 術理の残響に身を溶かし、

 対象の死角、そのさらに奥へ。


 暗殺に必要な距離は、すでにゼロだった。


(――こいつを仕留めれば、終わる)


 祈はそう判断していた。


 この男さえ倒せば、

 術式を維持している死者たちは制御を失う。

 指揮系統は崩れ、戦況は一気に傾く。


 大げさな術理など、必要ない。

 細工も、詠唱も、時間稼ぎもいらない。


 刃を喉元へ。

 頸椎を断つ。


 それだけで、すべては終わる。


 祈の手に、力が込められる。


 ――ずぶり。


 確かな感触。

 だが、その瞬間。


 があん。


 鈍く、嫌な反響が、腕に返ってきた。


 おかしい。


 肉を裂いた感触ではない。

 骨を砕いた手応えでもない。


 刺さったはずなのに、

 途中で、刃が“止められている”。


 理解が追いつくよりも早く、

 祈の背筋を、氷のような感覚が走った。


 ――危険。


 理由は分からない。

 理屈も、解析も、間に合わない。


 だが、はっきりと分かる。


 ここにいてはいけない。


 離れろ。

 危ない。

 逃げろ。


 その警告は、思考ではなく、

 音として、祈の耳に叩き込まれた。


「祈!! 離れろ!!」


悠斗の声だった。

――祈!!

その叫びは、祈の鼓膜を直接叩くように鋭く、空気を裂いて届いた。


いつもは冷静で、感情を声に乗せることのない人だ。その彼が、はっきりと分かるほど焦っている。その事実だけで、胸の奥をぎゅっと掴まれたように痛みが走る。息が詰まり、心臓が一拍、遅れて跳ねた。


珍しい。

こんな声を聞いたことは、今まで一度もなかった。


怒鳴るでもなく、叱るでもなく、ただ必死に名前を呼ぶ声。命令というより、懇願に近い響きだった。それが、なぜか胸の奥に深く染み込んでくる。


それなのに、不思議と怖くはなかった。

迫りくる危険よりも、その声のほうが、ずっと確かで、現実だった。


むしろ――

その声を聞けてよかった、と。


そんなふうに思ってしまった自分がいる。

この状況で、それはきっと、間違っている。けれど、祈にとっては、それでも十分だった。彼が本気で自分を想ってくれていると分かった、それだけで。


最近、話すのが楽しかった。

理由は、よく分からない。何気ない報告。業務連絡。資料の確認。ただそれだけのやり取りなのに、会話が終わるまでの時間が、少しずつ、確実に長くなっていった。


祈自身、その変化に気づいていないふりをしていた。

胸の奥で、静かに芽を出し始めている感情を、見ないように、触れないようにしてきた。それが何なのかを考えてしまえば、きっと後戻りできなくなる気がしたからだ。


それでも、その彼の声を聞くのが、好きだった。

屋敷で、真神様の仕事を手伝う時間が、好きだった。忙しなく資料を広げ、机に向かい合って過ごす、ただそれだけの時間が、不思議と落ち着いた。


いつもは祈が引き受けていた雑務を、

「僕がやるから、いいよ」

そう言って、彼は自然に引き取ってくれた。そこには、気遣いを誇示するような様子も、恩着せがましさも、微塵もなかった。ただ当然のことのように、手を伸ばしてくる。


自分が頭を抱え、

「どうすればいいんでしょうか」

と相談した仕事を、真神様は淡々と、しかし驚くほど迅速に処理していった。迷いも、躊躇もなく、必要な情報を拾い上げ、最短の手順で片づけていく。


書類の見方。

申請書の作り方。

役所との対応。


どれも、祈が苦手としていた分野だった。分からないことを分からないままにしてしまいがちな、自分の弱い部分。そのすべてを、彼は責めることなく、

「こうすればいい」

と、まるで呼吸をするかのように示してくれた。


――すごい。


心の底から、そう思った。

同時に、その背中が、少しだけ遠く感じられてしまうこともあった。それでも、その距離を埋めたいと願ってしまう自分がいることに、祈はまだ、気づかないふりを続けていた。


尊敬している。

その気持ちは、嘘ではない。


真神様のおかげで、祈の仕事は大幅に減った。

追われるように処理していた雑務は整理され、判断に迷う場面も少なくなった。何より、心に余裕が生まれたことが大きい。焦らず、怯えず、落ち着いて物事を考えられる時間が戻ってきた。


真神様がいてくれてよかった。

それは社交辞令でも、感謝を誇張した言葉でもない。心から、そう思った。


いつまでも、いてほしい。

そんなことまで、考えてしまった自分に、あとから気づいて、少しだけ戸惑った。


……それは、いったい何なのだろう。


胸の奥に、静かに広がっていく感覚。

温かくて、安心するのに、同時に、ほんの少しだけ苦しい。触れれば壊れてしまいそうで、けれど放っておくには存在感がありすぎる。


好き、とは違う。

そう、思っている。


真神様を好きだと思う資格があるのは、結乃様だけだ。

結乃様は、何年も想い続けてきた。長い時間、彼を見続け、同じ時間を過ごし、同じ危険を乗り越え、互いの背中を預け合う関係になった。その重さを、祈は知っている。


私は、違う。


真神様と出会って、まだ三か月しか経っていない。

共に過ごした時間も、覚悟の深さも、比べるべくもない。命を懸けた場面がなかったわけではないが、それを理由に並び立てるほど、厚い関係ではない。


そんな感情を抱いてはいけない。

抱く資格など、あるはずがない。


ずっと、そう思っていた。

そう思い続けることで、この胸の奥の感覚に名前を与えずに済ませてきた。尊敬という言葉の中に、すべてを押し込めてきた。


それでも、ときどき。

その整理された言葉では、収まりきらない何かが、確かに、そこにあることだけは否定できなかった。


なのに。


なぜ今、この瞬間に、こんなことを考えているのだろう。

命と命がぶつかり合い、息をすることすら苦しいこの状況で、どうして、取るに足らないはずの感情が、頭の中を占領しているのだろう。


――なぜ、いま。


問いが形になる前に、祈の視界は、唐突に闇で塗り潰された。

光が消えたのではない。闇が、覆いかぶさってきたのだ。


視界いっぱいに広がる、真っ黒な瞳。

底の見えない深淵のようで、どれだけ見つめても、何ひとつ映り返さない。


ガブリエル。

その背後に、異形の赤子が浮かんでいる。歪みきった身体。不自然に捻じれた四肢。そこにだけ、不釣り合いなほど白く、美しい翼が生えていた。その光景は、聖と冒涜が無理やり縫い合わされたようで、見ているだけで思考が軋む。


その眼には、感情がない。

怒りも、慈悲も、喜びも、哀れみもない。


ただ、見ている。

観察するように、測るように。


逃がさない。

抗わせない。

選択肢は、すでに奪われている。


そう告げるかのように、その視線は、祈を正確に捉えていた。


――ああ。


ここで、終わるのかもしれない。

祈は、ぼんやりとそう思った。恐怖がないわけではない。ただ、それ以上に、奇妙な静けさがあった。死がすぐそこにあると理解した瞬間、感情が追いつかなくなる、その感覚。


だが、不思議と後悔はなかった。


最後に、真神様の声を聞けた。

自分の名前を、あんなふうに、必死に、感情を乗せて呼んでもらえた。それは、ずっと胸の奥に溜め込んできた何かを、一気に揺さぶるほどの力を持っていた。


それだけで。

それだけで、よかったのかもしれない。


胸の奥に残っていた何かが、静かに、満たされていく。

温かくて、やさしくて、それでいて、少しだけ切ない感覚。


それが何なのか。

最後まで、分からないままだったとしても。


それでも――。


祈は、目を逸らさなかった。

迫り来る死からも、救いのない現実からも、逃げなかった。


真っ黒な大天使の瞳を。

その底知れぬ闇を。


真正面から、見返していた。


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