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弁護士は、現代社会に生きる、辛い過去を持つ魔女達を自己犠牲も問わず救いたい。  作者: れさ
第4章 旅先で待つもの

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――第12話 時間稼ぎ――


「――だぁっ!」


 結乃は吠えるように踏み込み、

 術理で加速させた拳を叩き込んだ。


 狙いは、脇腹。

 急所。

 寸分の迷いもない、最短距離。


 ――どん。


 鈍い衝撃音。


 確かな手応えが、拳から肩へと返ってくる。

 骨に当たった感触。

 内側に、力が届いた感覚。


(……入った)


 だが。


 コルソンは、顔色一つ変えなかった。


「……速度は、悪くない」


 淡々とした声。


「だが――重さが足りんな」


 まるで、稽古の講評のように。


「発想も、気概も悪くない。だからこそ、惜しい」


 一歩、間合いに入る。


「藍様に刃向かいさえしなければ……

 同胞として、迎え入れられたろうに」


 その言葉が終わる前に。


 裏拳。


 容赦のない軌道が、結乃のこめかみを捉える。


「……っ、ぐ――!」


 衝撃が、頭蓋の内側で弾ける。


 すでに揺れていた視界が、さらに掻き回される。

 焦点が合わない。

 音が、遠い。


 そして――

 上下が、逆さまになる感覚。


 身体が宙を舞い、

 そのまま――


 ずざぁっ!


 フロアの床を、激しく滑る。


 摩擦音。

 皮膚が削れる感触。

 止まったときには、息がうまく吸えなかった。


 視界の端で、

 コルソンが静かにこちらを見下ろしている。


(……まだ、だ)


 結乃は、震える指で床を掴む。


 倒れても。

 叩き伏せられても。


 ――まだ、終わっていない。


 は……はぁ……


 結乃は、床に伏したまま、必死に息を整えようとした。

 吸っているつもりなのに、肺が思うように膨らまない。


(……落ち着け)


 そう思うほど、思考は散っていく。

 頭の内側を、内側からトンカチで叩かれているような鈍痛。

 視界が揺れ、音が遅れて届く。


 ――足音。


 一定のリズムで近づいてくる。


 コルソンは、無表情のまま結乃の前に立ち、

 見下ろして言った。


「……黒涙を、渡すか?」


 感情のない声。

 問いかけというより、確認だ。


「藍様も……それさえあれば、君を狙う理由は消える」


 一拍。


「君も、生きられるぞ?」


 黒涙――。


 その言葉が、胸の奥を冷たく撫でる。


(……渡せば)


 この痛みは終わる。

 この恐怖も、絶望も、ここで終わる。


 立ち上がらなくていい。

 殴られなくていい。

 死ななくていい。


 だが。


 それは、終わりではない。


 黒涙は、久我家が代々守ってきたもの。

 受け継がれてきた、呪いのような遺産。


 父も、母も――

 それを守るために、殺されると分かっていても、渡さなかった。


(……この世に、あってはいけないもの)


 だからこそ、

 自分の代で終わらせなければならないもの。


 それを、ここで渡すということは。


 ――逃げることじゃない。


 裏切ることだ。


(……それだけは)


 結乃は、歯を食いしばる。


 喉に血の味が込み上げる。

 それでも、目だけは逸らさない。


 たとえ、この場で死ぬことになっても。


(……渡さない)


 その結論だけは、

 最初から、決まっていた。


 結乃は、震える身体で、

 ゆっくりと――顔を上げた。


 その目には、

 恐怖ではなく、拒絶が宿っていた。


「……できるわけ、ないでしょ」


 結乃は、はっきりと言った。


「あんなもの、誰が持っていても危険なのよ。

 あんたたちみたいな人間に、渡せるわけないじゃない」


 声は掠れていたが、言葉は揺れていなかった。


 コルソンは、しばらく黙っていた。


 怒りはない。

 苛立ちもない。


 ただ――

 ほんの少しだけ、残念そうな表情。


 それは演技ではなかった。


 コルソンは殺すと決めたものは殺す。

 だが、無駄な殺しはしない。


 自分の中に、明確な線を引いている。

 殺すべきものと、そうでないものを。


 そして。


 こんな――

 自分の娘よりも、ずっと幼い少女を殺すことを、

 本心では望んでいない。


 それでも。


「……残念だ」


 コルソンは、静かに告げた。


「ならば、もう殺すしかない」


 言葉に、ためらいはない。

 決定事項を述べる、事務的な声音。


「悪いが……それが、君の天命だ」


 そう言って、

 大鎌を、ゆっくりと振り上げる。


 刃が、照明を反射して鈍く光る。

 空気が、冷える。


 結乃は、目を閉じなかった。


(……ここまでか)


 それでも、後悔はなかった。


 黒涙を渡さなかった。

 逃げなかった。


 それだけで、十分だと――

 思えた、その瞬間。


 ――だが。


 大鎌が、振り下ろされようとした、その刹那。



 ――賦律ハイペリオン



 その魔法が完全に展開された瞬間、

 フロアそのものが、別の法則に書き換えられた。


 空間は、半球状のドームに覆われる。

 天井。

 壁。

 床の縁に至るまで――


 無数の術式陣が、びっしりと貼り付けられていた。


 円環、直線、神聖幾何学。

 重なり合い、干渉し、共鳴する光の紋様。


 だが、それらは無秩序ではない。


 すべてが、同じ方向を向いている。


 ――コルソン。


 まるで、

 何百、何千という“目”が、

 彼一人を見つめているかのように。


 空気が、重く沈む。

 音が、吸い取られる。


 呼吸をするたびに、

 肺の奥に圧がかかる感覚。


「――バインド。

 アルカナロック。

 エーテルチェイン」


 三つの短い呪文。


 それだけで、世界が応えた。


 振り下ろされかけていたコルソンの大鎌が、

 ぴたりと止まる。


 手首。

 肘。

 肩。

 関節という関節が、見えない拘束に絡め取られる。


「……なん、だ……これは……」


 コルソンの低い声に、初めて困惑が混じる。


「――ヒール」


 重ねて唱えられた、その一言。


 柔らかな光が、結乃を包み込んだ。


 割れるように痛んでいた頭が、

 締めつけられていた視界が、

 嘘のように、すっと晴れていく。


 眩暈が引き、

 呼吸が、正常に戻る。


(……これは)


 自分でも信じられないほど、

 身体が言うことを聞く。


「お待たせ、結乃」


 エウラが、にこっと笑った。


 片目を閉じて、軽くウインク。

 年相応の、可愛らしい仕草。


 ――だが。


 彼女が展開している魔法は、

 そんな生やさしいものではない。


 ドームを覆う無数の術式陣が、

 詠唱不要の術理を次々と吐き出す。


 神速。

 間断なく。

 しかも――無限に。


 プロテクト。

 エンハンス。


 すべてが、

 エウラが「そうしよう」と思った瞬間に発動する。


 思考が、

 そのまま魔法になる領域。


 コルソンは理解する。


 この空間で、

 エウラを殺すことはできない。


 結乃は、立ち上がりながら、

 その光景を見据えた。


 時間を稼ぐと決めた判断は、正しかった。

 信じたことも、間違っていなかった。


 コルソンは、拘束されたまま、

 静かに息を吐く。


「……幕を締めましょう、結乃。反撃よ」


 エウラの声は、静かだった。

 だが、その一言には、この場のすべてを終わらせる決意が込められている。


「ええ……そうね」


 結乃は、ゆっくりと頷いた。


「……正直、癪に障るけど。ここからよ――コルソン」


 名前を呼ぶ。


 それは、挑発でも罵倒でもない。

 結乃なりの敬意だった。


 敵として。

 命を懸けてぶつかる相手として。


 コルソンは、その呼びかけに――笑った。


「……ふん」


 次の瞬間。


 ぎしりと、空気が軋む。


 拘束されていたはずの腕に、

 コルソンが力を込める。


 筋肉が膨張し、

 関節が鳴り、

 見えない鎖が――


 簡単に、引きちぎられた。


 エウラの拘束が、霧散する。


 それは、

 人間にできる動作ではない。


「……なるほど」


 エウラは、表情を変えずに言った。


「あなた――キメラでしょ?

藍と同じ……かしら」


 エウラは、ひとつの結論に辿り着いていた。


 藍はキメラだ。

 元の肉体は、とうの昔に滅んでいる。


 さまざまな生物の肉体を媒介に、

 反魂の術理によって蘇った――化け物。


 そして。


(……この男も)


 コルソンという存在も、

 その系譜に連なるもの。


 人間の皮を被った、

 別の何か。


 エウラは、そう判断した。


 コルソンは、否定しない。

 肯定もしない。


 ただ、静かに――

 楽しそうに、口角を上げた。


「……エウラ。あなたは、さすが“五百年は生きている”と言われるだけある」


 コルソンは、感心したように言った。


「魔法やリネアだけじゃない。その観察眼――

 それもまた、ここまで生き延びてきた理由というわけか」


「ま、そんなところよ」


 エウラは肩をすくめ、淡々と答える。


「悪いけど……もう決着はついたわ」


 ドームの内側を、ちらりと見回す。


「魔法を完全に展開した以上、あなたに勝ち目はない。

 ――諦めなさい」


 それは、事実だった。


 このドームの中では、

 エウラは無限に術理を発動できる。


 詠唱は不要。

 思考が、そのまま魔法になる。


 術理士が、この魔法を正面から攻略することは不可能。

 理屈の上では、完全な詰みだ。


「……悪いが」


 コルソンは、低く息を吐いた。


「こちらも、諦めが悪くてね」


 大鎌を、構え直す。


「藍様のためだ。

 ――やれるだけ、やらせてもらう」


 その瞬間。


 エウラは、軽く嘆息した。


「はぁ……やっぱり、こうなるわよね」


 振り返り、背後にいる結乃へ声をかける。


「結乃? いける?」


 結乃は、すでに構えを取っていた。

 魔法を発動する準備は、万全だ。


「ええ。おかげさまで……いつでも行けるわ」


「じゃあ、行くわよ」


 エウラが、短く告げる。


「――エンチャント。

 ファスト。

 ブースト」


 カン、カン、カン。


 澄んだ金属音のような共鳴とともに、

 結乃の身体に、連続して術理が刻まれる。


 術式陣付与。

 術理速度上昇。

 出力上昇。


 すべてが、一段階――いや、それ以上に引き上げられる。


「……っ!」


 その変化を見て、

 初めてコルソンの顔に、明確な困惑が走った。


(まずい)


 理解する。


 エウラは、止められない。

 このドームの中では、絶対だ。


 ならば――


(止めるべきは、結乃)


 判断は早かった。


 コルソンは、迷わず地を蹴る。

 殺気を一点に集中させ、一直線に――


 結乃へと襲いかかった。


 空気が裂ける。


 最終局面。

 勝敗を分ける一瞬が、迫っていた。


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