――第6話 爆音――
ドォン――!
腹の底を叩くような重低音が、夜の空気を引き裂いた。
一瞬遅れて、
ズゥン……
と、世界そのものが揺れたような感覚が走る。
悠斗と祈が屋上のテラスで向かい合っていた、その瞬間だった。
「……っ!」
衝撃波が、遅れて二人を包み込む。
乾いた風が吹き抜け、次の瞬間、
バリィン!
ホテルの壁面に並ぶ窓ガラスが、連鎖的に砕け散った。
透明な破片が、星屑のように夜空へ舞う。
「これは……!」
祈が反射的に身構える。
間を置かず、さらに――
ドォンッ!!
今度は、より近い。
方向も、はっきりしていた。
「……大浴場の方角だ」
悠斗は、即座に判断する。
「悠斗様、これは……!」
「ああ。
あの方向には、TIMMAの本部もある」
一瞬だけ、視線を走らせる。
「でも、今はそれどころじゃない」
拳を握る。
「大浴場の爆発の方が、嫌な予感がする。
結乃とエウラのもとへ行くぞ」
「……はい!」
祈も迷わなかった。
二人が駆け出そうとした、その瞬間。
――影が、落ちた。
屋上の出入口と通路を塞ぐように、
黒い服に身を包んだ男たちが、四人。
音もなく現れ、
完全に、行く手を遮断している。
「……っ」
祈が、息を呑む。
「これは……!」
即座に、スティレットを引き抜く。
刃が、月明かりを反射した。
悠斗は、歯を食いしばる。
(まずい……)
体内を巡る感覚が、はっきりと告げていた。
(虚数エネルギーが……足りない)
先ほどの連続使用。
未来転写、拘束、結果干渉。
これ以上――
大規模なリネアは使えない。
「……祈さん」
悠斗は、短く声をかける。
「いける?」
一瞬の沈黙。
「サポートは、するよ」
祈は、振り返らずに答えた。
「……任せてください、真神様」
その声に、迷いはない。
次の瞬間。
祈は、風のように踏み込んだ。
カンッ!
最初の男の剣を、スティレットで弾く。
金属音が、夜に鋭く響く。
その動きは、速い。
いや、流れるという表現の方が正しかった。
重心が低く、
一切の無駄がない。
床を蹴り、
風に乗るように、次の間合いへ。
キィン!
二人目の剣と、刃が噛み合う。
そのまま、
カンッ!
と力を逃がし、男の手から剣を弾き飛ばした。
「……っ!」
だが。
その直後。
三人目の男が、後方で足を止める。
空間に、幾何学模様が浮かび上がった。
――術式陣。
「祈さん――!」
悠斗が叫ぶ。
「……っく!」
祈も気づいている。
だが、距離が近すぎる。
ゴォッ!!
術理陣から、炎が噴き上がった。
避けきれない。
祈は、直撃だけは免れた。
だが、余波が――
(――来る!)
……はずだった。
だが。
祈の腕に、
焼ける感覚は、なかった。
「……?」
一瞬の違和感。
次の瞬間、祈は気づく。
「……まさか」
振り返る。
「真神様!」
悠斗の腕に、
赤黒い火傷の跡が、くっきりと浮かんでいた。
「……リネアを、解いてください!」
祈の声が、震える。
「いいんだ、祈」
悠斗は、歯を食いしばりながら笑った。
「僕には……
こんなことしか、できないから」
それは、
代償転写。
祈が受けるはずだった結果を、
自分の身体へ引き受けている。
「気にせず、戦闘に集中してくれ!」
「……っ」
祈は、一瞬だけ唇を噛み、
「……早めに、決着をつけます!」
踏み込む。
ガンッ!
ガンッ!
四対一。
それでも、祈は善戦していた。
だが――
(……くそ)
悠斗は、焦りを覚える。
(このままだと……)
祈の動きが、わずかに読まれ始めている。
数の不利は、確実に効いてくる。
(……そうだ)
悠斗の脳裏に、ひとつの解が浮かぶ。
(相手が“避ける瞬間”……
そこに、結果を合わせる)
回避行動。
それは、
「避ける」という結果を、
必ず選び取る未来。
ならば。
(――避けられない)
(“当たる”という結果に、
書き換える)
小規模。
一点集中。
今の自分に、使える限界。
「……祈さん!」
声を絞り出す。
「次、相手が避ける瞬間――
そこに、合わせる!」
祈は、理解した。
一歩、深く踏み込む。
黒服の男が、反射的に身を引く。
――その瞬間。
リネア発動
“フィクスト・アウトカム・シフト”
世界が、わずかに歪んだ。
黒いイバラのような虚像が、
一瞬、相手の輪郭を覆う。
「……?」
男が、疑問を浮かべた、その刹那。
避けるという結果が、
当たるという結果に、置き換わる。
――必然。
ザクッ。
スティレットが、喉元に深々と突き刺さった。
男は、声も出せず崩れ落ちる。
「……っ!」
一人が、倒れた。
その瞬間。
残る三人が、はっきりと怯えた。
「……撤退!」
誰かが、叫ぶ。
次の瞬間、黒服たちは一斉に距離を取り、
夜の闇へと溶けるように消えていった。
屋上に残ったのは、
荒い呼吸と、
割れたガラスの音だけ。
「……」
祈は、スティレットを下ろす。
「……真神様」
悠斗は、深く息を吐いた。
「ああ、とりあえず大浴場へ向かう」
※※※※※
爆発の余韻が、まだ空気に残っていた。
焦げた匂いと、湿った木材の香りが混じり合い、
夜の廊下に不快な層を作っている。
床には細かなガラス片が散乱し、
踏み出すたびに、かすかな音が足元で鳴った。
悠斗と祈が大浴場の前へ辿り着いた時、
すでに――戦闘は終わっていた。
「……」
悠斗は、思わず足を止める。
浴場の入口付近から廊下にかけて、
黒い服に身を包んだ男たちが、
六人ほど、無造作に倒れていた。
誰も動かない。
(……やっぱり、か)
悠斗は、胸の奥でそう呟いた。
この数。
この倒れ方。
そして、壁や柱に残る、あまりにも整いすぎた破壊痕。
「おそらく……」
祈が、慎重に周囲を確認しながら言う。
「結乃様が……」
「ああ」
悠斗は、短く頷いた。
「間違いないだろうな」
結乃の戦い方は、
無駄がなく、
そして容赦がない。
相手が何人であろうと、
“倒す”と決めた瞬間から、
そこに迷いは存在しない。
そして、その結果だけが、静かに残る。
「……先生!」
少し離れた場所から、声が飛んできた。
結乃だった。
浴衣の上に羽織った上着が乱れているが、
怪我の様子はない。
「ご無事でしたか!」
その声には、はっきりとした安堵が混じっていた。
「結乃こそ」
悠斗は、歩み寄りながら言う。
「エウラも……無事みたいだな」
視線の先で、
エウラが腕を組み、倒れた男たちを見下ろしている。
「当たり前でしょ」
鼻で笑うような声。
「この程度で、どうにかなるとでも思ってたの?」
言葉は軽いが、
その足元には、戦闘の痕跡が確かに残っていた。
床に刻まれた、
一瞬で放たれた術理の焦げ跡。
壁に走る、
不可視の衝撃が叩きつけられた跡。
「……これは」
祈が、低い声で言った。
「いったい、どういうことでしょうか」
誰も、即答できない。
ただ一つ確かなのは、
これは偶発的な襲撃ではない、ということだ。
「分からない」
悠斗は、正直に言った。
「でも……」
視線を上げる。
遠く、夜の向こう側。
爆発があった方向。
「TIMMAの本部が、襲われているみたいだ」
その言葉に、
結乃と祈の表情が、はっきりと引き締まる。
「……同時、ですか」
祈が、即座に理解する。
「ここだけじゃない、ということですね」
「たぶんね」
悠斗は、静かに息を吐いた。
「陽動か、
それとも……全部、本命か」
結乃が、一歩前に出る。
「……すぐ、向かいましょう」
その声には、迷いがなかった。
「ええ」
祈も、即座に頷く。
「今すぐ、行きましょう」




