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弁護士は、現代社会に生きる、辛い過去を持つ魔女達を自己犠牲も問わず救いたい。  作者: れさ
第4章 旅先で待つもの

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――第5話 暗殺未遂――


夜。

宿の大浴場から上がった直後だった。


湯で火照った身体に、廊下の冷気がじわりと染み込んでくる。

木張りの床はまだ湿っていて、裸足の裏に冷たい感触が残った。

浴衣の襟元から、わずかに湯気が抜けていく。


――静かすぎる。


遠くで誰かが戸を閉めたような音がした気がしたが、

それ以外に、人の気配がない。

深夜特有の、世界から音だけが抜け落ちたような静寂。


その違和感に、足を止めかけた瞬間だった。


背後の空気が、歪む。


「……なんだ?」


振り返ろうとした、その刹那。


視界が、弾けた。


ザリッ。


肩口から、何かが削ぎ落とされる感覚。

次の瞬間、身体の内側でギチッと嫌な音が鳴った。


骨だ、と理解した時には遅い。


ドン。


腹の奥を、巨大な槌で叩き潰されたような衝撃。

内臓が、上下の区別を失って暴れ回る。


息が――出ない。


さらに。


ジュッ。


皮膚の表面を、焼けた鉄がなぞったような熱。

遅れて、激痛が神経を焼き切る。


切る。

潰す。

焼く。


順序も、間もない。

殺すために最短距離をなぞる、純粋な暴力。


――ああ。


これは。


死ぬ。


そう思った。


肺は潰れ、

喉の奥に血の味が広がり、

視界が、端から黒く染まっていく。


音が遠ざかる。

身体の輪郭が溶けていく。


確信があった。


今、死んだ。


だが。


次の瞬間。


世界が、ずれた。


時間が巻き戻ったわけではない。

痛みも、破壊も、確かに起きている。


ただ――

「死に至る」という結果だけが、

この瞬間から、すり抜けていった。


紙一重で、

“死の結果”だけが、未来へと押し出される。


「……っ、は……!」


肺が、強引に空気を吸い込む。

喉が、再び動く。


床に崩れ落ちながら、

悠斗は荒い息を吐いた。


生きている。


砕けたはずの骨が、形を保っている。

潰れたはずの内臓が、痛みを残しながらも機能している。


ただ、

「死んだ感覚」だけが、

身体の奥に、重く沈殿していた。


「……それが」


低い声が、頭上から落ちてくる。


「それが、貴様のリネアか?」


視線を上げる。


浴場の明かりの届かない場所に、男が立っていた。

闇に溶け込むような衣服。

顔は見えないが、そこから向けられる視線だけが、異様に鋭い。


「藍様のために」


男は、淡々と言った。


「これ以上、邪魔になる者は殺す」


再び、殺意が膨れ上がる。


ザリッ。

ドン。

ジュッ。


――同じだ。


同じ攻撃。

同じ結果。


なのに。


死なない。


「……な」


男の声が、初めて揺れた。


「き、貴様……」


一歩、後ずさる気配。


「不死身、か……?」


「いやいや」


悠斗は、ゆっくりと立ち上がりながら、頭をかいた。

足元が、少しだけふらつく。


「それはさすがに、勘弁してほしいんだけど」


自分の掌を見る。

指先が、微かに震えていた。


「この力ね。手加減ができなくてさ」


軽口のつもりだった。

だが、その声は、思った以上に乾いていた。


「だから……」


一歩、踏み出す。


「大人しく捕まってくれると、正直ありがたい」


男の殺意が、一気に濁る。


「それと」


悠斗は、ふと思い出したように言った。


「さっき、藍って言ったよな?」


一瞬の沈黙。

その反応だけで、十分だった。


「やっぱりか。

 お前、ネザーヴェイルの術理士か」


声音が、わずかに変わる。


「それなら――

 TIMMAとして、見過ごすわけにはいかない」


「……ほざくな」


男の声が、怒りに歪む。


「ヴォルクハルトの犬め」


吐き捨てるように、続けた。


「真実を知らぬ愚か者が!

 貴様に、藍様の思想など分かりはせん!」


殺意が、刃のように研ぎ澄まされる。


「――死ね」


……だめだな。


悠斗は、内心で判断した。


気にはなる。

何を信じ、何を見ているのか。


だが。


「話は、できなさそうだ」


静かに、息を整える。


「悪いけど」


視線を据える。


「――殺されるわけには、いかないからね」


その言葉と同時に、

体内の奥で、確かに“起動”する感覚があった。


脈打つ血流の裏側。

理の樹と繋がる回路が、静かに開く。

冷たくも熱くもない――

数として存在しないはずの力が、世界の裏面から滲み出す。


色欲監禁罪ルスト・ディテンション


虚数エネルギーを媒介に、

対象の“行動可能性”そのものを縛り上げるリネア。


術式が展開された瞬間、

男の身体が、ぴたりと止まった。


踏み出しかけた足も、

振り上げられた刃も、

意志だけを残して、完全に凍りつく。


「……っ、こ、これは……!」


声に混じるのは、驚愕と焦り。

筋肉は生きている。

神経も死んでいない。

それでも、動けない。


「まあ、とりあえず――」


悠斗は距離を保ったまま、淡々と言った。


「動くな」


縛られているのは肉体ではない。

“次の行動へ移る可能性”そのものだ。


「それで……藍はどこにいる?」


問いかけた、その瞬間。


男の周囲の空間が、

ぐにゃりと歪んだ。


空気が沈み、

輪郭が引き伸ばされる。

まるで、存在そのものが、

別の面へ引きずり込まれるように。


「……なに?」


次の瞬間。


音もなく、

悲鳴すら上げる暇もなく。


男の姿は、

空間ごと、掻き消えた。


拘束は、虚しく宙を縛る。

そこにあったはずの“存在”だけが、

最初からいなかったかのように消失していた。


「……」



「――真神様!」


切迫した声が、夜気を裂いた。


廊下の奥から駆け寄ってくる足音。

その規則正しさに、聞き覚えがあった。


「大丈夫ですか!」


祈だった。

湯上がりの浴衣姿のまま、息を切らし、こちらへ駆け寄ってくる。

視線はまず悠斗の身体を一瞥し、次に床へ――

乱れた空気と、微かに残る術理の痕跡を読み取る。


「ああ……」


悠斗は短く息を吐いた。


「ネザーヴェイルの一員に襲われたみたいだ」


言葉にした途端、身体の奥で、

“死んだはずの感覚”が、じわりと疼いた。


「どうやら……僕たちを狙っているらしい」


祈の表情が、僅かに硬くなる。


「そう、ですか……」


一歩、距離を詰め、声を落とす。


「ロンドンに滞在中は……

 大浴場の使用は控えましょう」


視線を巡らせながら、冷静に続ける。


「できるだけ、皆さまで一緒に行動された方がよろしいかと」


「だろうね」


悠斗は苦笑した。


「無防備すぎた。

 油断してたよ」


一瞬、祈は何か言いかけて、

しかしそれを飲み込み、次の問いを投げる。


「……それで。

 ネザーヴェイルの男は?」


「捕まえた」


即答だった。


「ただ……途中で、何かの術が発動してね」


悠斗は、あの“飲み込まれる感覚”を思い出す。


「空間ごと、持っていかれた感じだ。

 死んだのかどうかも、正直分からない」


「……なるほど」


祈は目を伏せた。


「藍、ですね」


その名を口にするだけで、

夜の空気が一段冷える。


「私たちが屋敷を出て、ロンドンに来たことを……

 もう察知しているのでしょうか」


「分からない」


悠斗は、はっきりと首を振った。


「でも、そうだと仮定して動こう」


その言葉は、決断だった。


「僕もね。

 リネアを、常に発動させておくことにする」


祈の視線が、はっきりと揺れる。


「……大丈夫なのですか?」


わずかに、心配が滲む。


「そのようなことをして……」


「最近は、少し慣れてきた」


悠斗は、自分でも意外なほど落ち着いた声で答えた。


「リネアは、理の樹からエネルギー供給がある。

 だから、疲れはしない」


掌を見つめる。


「ただ……調整には、少し気を使うけどね」


それは、軽い言い方だった。

だが祈には、その裏にある危うさが、はっきりと見えていた。


「……そう、ですか」


少しだけ、声を落とす。


「そのお力……

 少し、怖いですね」


祈自身が、そう感じていることに驚いたように、

しかし嘘はなかった。


「僕も、そう思う」


悠斗は、素直に頷いた。


「でも……今は、この力に頼らせてもらうよ」


「……」


「……」


沈黙が、二人の間に落ちる。

遠くで、誰かの笑い声が響いた気がしたが、

それはこの場所とは無関係な、別の世界の音だった。


「……真神様」


祈が、少しだけ言い淀む。


「その……

 少しだけ、お付き合いいただけませんか?」


「ん?」


悠斗は顔を上げる。


「ああ、いいよ」


ふと思い出したように、言葉を添えた。


「もしかして……

 祈さん、僕を探してた?」


「はい」


祈は、はっきりと答えた。


「結乃様と、エウラちゃんは、今ご一緒にお風呂に入っておられますので」


一瞬、視線を伏せる。


「悠斗様と、ゆっくりお話しできるのは……

 今かと思っておりました」


微笑もうとして、少し失敗する。


「……もっと、穏やかな雰囲気になる予定だったのですが」


「そんなことないよ」


悠斗は、やわらかく言った。


「今だから、話せることもある」


夜風が、廊下を抜けて吹き込む。


「屋上のテラスに行こうか」


祈は、少しだけ目を見開き、

そして静かに頷いた。


「……はい」


二人は並んで歩き出す。



※※※※※



屋上へ続く扉を開けた瞬間、

夜の空気が、肌を撫でた。


ロンドンの夜は静かだった。

遠くに街の灯りが滲み、低い雲がその光を反射している。

風は冷たく、しかし鋭すぎず、

昼間のざわめきをすべて洗い流したあとのような、

澄んだ匂いがした。


テラスの床は石造りで、

昼の熱をすでに失っている。

歩くたびに、靴底が小さく乾いた音を立てた。


「……ここ、いいですね」


祈が、小さく息を吐く。


「うん。

 夜風がちょうどいい」


悠斗は手すりに近づき、街を見下ろした。

下では、人々がまだ眠らず、

それぞれの生活を続けている。

だが、この高さでは、その気配も遠い。


二人きりの、隔離された場所だった。


しばらく、言葉はなかった。

沈黙は重くない。

むしろ、必要な間のようにそこにあった。


「……なにか、僕と話したいこと、あるの?」


悠斗が、穏やかに切り出す。


祈は、すぐには答えなかった。

両手を前で揃え、

いつものように背筋を伸ばしている。

だが、その指先が、わずかに震えているのを、

悠斗は見逃さなかった。


「大した話では、ないんです」


そう前置きしてから、

少し困ったように微笑む。


「でも……

 この前――その……」


言葉を探すように、視線が揺れる。


「以前、お話しした時に……

 思っていたよりも、楽しくて」


風が、祈の髪を揺らした。


「……もう少し、

 あの時の気持ちを味わいたかったのかもしれません」


正直すぎる言葉だった。


悠斗は、少しだけ目を細める。


「祈さんは……

 結乃以外だと、そういう話をする機会も、あまりなさそうだしね」


手すりにもたれながら、続ける。


「使用人として、

 外から主人を見守る。

 私情は表に出さない――

 そんな生き方をしてきた、って感じがする」


祈は、静かに頷いた。


「……その通りです」


否定はしなかった。


「私は、使用人として、

 毎日お仕事をさせていただいておりました」


その言葉は、誇りでもあり、

同時に、枷でもあった。


「結乃様以外に、友達はおりません。

 恋人ができたことも……ありません」


淡々と語られる過去。


「私は、いつか――

 勝手に、久我家に相応しい方と結婚させられ、

 その人生を歩むべく、

 最初から定められています」


それは、愚痴ではなかった。

抗議でもない。

ただ、事実として受け入れてきた、人生の設計図。


「……」


悠斗は、すぐには言葉を返さなかった。


夜風が、二人の間を通り抜ける。


「……祈さんは」


ゆっくりと、問いかける。


「その人生について、

 どう思ってるの?」


祈は、少し驚いたように瞬きをした。


考えたことがなかったわけではない。

だが、

“どう思っているか”と、

真正面から問われたのは、初めてだった。


「……最初は」


祈は、慎重に言葉を選ぶ。


「別に、なんとも思っていませんでした」


目を伏せる。


「そう育てられてきましたから。

 疑問を持つことすら、教えられていませんでした」


当然のものとして、

疑わずに受け入れてきた。


「でも……」


そこで、祈は言葉を区切る。


夜空を見上げる。

雲の切れ間から、わずかに星が覗いていた。


「結乃様と、悠斗様のことを見て」


胸に、何かが灯る。


「エウラちゃんの、

 あの……自由なあり方を見て」


その光が、形を持ち始めた。


「私にも……

 “欲”とでも言うのでしょうか」


祈は、困ったように微笑む。


「そういうものが、

 最近、芽生え始めてきたのを感じます」


それは、告白だった。

自分でも制御できない、

感情の発芽。


「それって……」


悠斗は、柔らかく言う。


「悪いことじゃ、ないんじゃない?」


祈は、即座に首を横に振った。


「いいえ」


その否定は、強かった。


「朽木の者としては……

 悪しき感情です」


声が、少しだけ低くなる。


「“失敗作”と、

 烙印を押されてしまうでしょう」


その言葉の重さが、

祈が生きてきた世界の厳しさを物語っていた。


「……祈さんは」


悠斗は、一歩、距離を詰めるわけでもなく、

それでも逃げずに問いを投げる。


「どうしたい?」


祈は、はっと息を呑んだ。


「……私には」


すぐに、答えが返ってくる。


「そんな希望を、

 口にする資格はありません」


それは、長年刷り込まれた結論だった。


だが。


「いいんだよ」


悠斗の声は、穏やかだった。


「今は、僕しか聞いてない」


夜風が、言葉を運ぶ。


「何をしてみたい?

 どこに行ってみたい?

 誰と、何をしたい?」


問いは、次々と重ねられる。


「それは、願望だ。

 夢だよ」


祈の目が、揺れる。


「叶わなくてもいい」


悠斗は、はっきりと言った。


「夢を口にする権利は、

 誰にでもある」


夜空を見上げる。


「それは、人として、

 守られるべき権利だ」


祈の喉が、小さく鳴った。


「……わたしは」


言葉が、震える。


「わたしは……」


息を吸い、

吐く。


「……」


勇気を、かき集める。


「言ってごらん?」


悠斗は、急かさなかった。


祈は、目を閉じた。


そして。


「……恋を」


小さな声。


「恋を、してみたいです」


夜が、静まり返る。


「恋?」


悠斗が、確認する。


祈は、ゆっくりと頷いた。


「結乃様みたいに」


言葉が、少しずつ、確かな形を取っていく。


「悠斗様のことを愛して、

 そのことだけで、心がいっぱいになって」


胸に手を当てる。


「まっすぐになれる……

 そんな恋が、してみたいです」


風が、祈の頬をなぞる。


「どうせ……

 勝手に結婚させられるのであれば」


一瞬、言葉が詰まる。


「その前に……

 そんな恋が、したいのです」


沈黙。


それは、祈が初めて口にした、

自分自身のための願いだった。


「……いいね」


悠斗は、微笑んだ。


「いい願望だよ」


冗談めかした口調だが、

そこに軽さはなかった。


「とっても、年頃の女の子っぽくて、いい」


祈は、驚いたように目を見開く。


「今の祈さんはさ」


悠斗は、優しく続ける。


「いつもの、

 しっかりした祈さんじゃない」


夜空を指す。


「どこにでもいる、

 普通の女の子だよ」


その言葉に、

祈の目が、潤む。


「……ありがとうございます」


声が、少し震えた。


「真神様と、

 こうしてお話している時だけは……」


胸に、温かいものが広がる。


「どこにでもいる女の子に、

 なれる気がします」


少し間を置いて、

控えめに、問いかける。


「……また、

 こうしてお付き合いいただいても、

 よろしいでしょうか?」


「いいよ」


悠斗は、即答した。


「僕でよければ、

 どれだけでも付き合うさ」


そして、少しだけ照れたように付け加える。


「祈さんの、今のその顔……」


言葉を探す。


「今まで見てきた、

 どんな顔よりも、かわいいと思うよ」


祈の顔が、一気に赤く染まる。


「えっ……」


視線を泳がせる。


「そ、そんなこと言うと……

 結乃様に、怒られますよ?」


「あー……」


悠斗は苦笑した。


「それは、確かに」


一拍。


「……内緒にしてくれるかい?」


祈は、少しだけ迷ってから、

そっと頷いた。


「はい」


小さな声。


「……私と、真神様だけの、

 秘密ですね」


夜風が、二人の間を通り抜ける。


ロンドンの夜は、

変わらず静かだった。




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