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弁護士は、現代社会に生きる、辛い過去を持つ魔女達を自己犠牲も問わず救いたい。  作者: れさ
第4章 旅先で待つもの

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――第4話 憤怒の意思――

2026年3月4日 水曜日 10:00


TIMMA本部


重厚な会議室に、沈黙が落ちていた。

磨き上げられた長机の表面に、天井灯の白い光が冷たく反射している。


「――黒涙を、渡せ」


低く、命令形だった。

結乃は一瞬、瞬きをする。


「……聞き間違いかしら」


静かに問い返す声。その奥に、わずかな警戒が滲む。


「黒涙を渡せ、と言ったのだ」


言い直され、空気がさらに重くなる。

結乃は視線を逸らさない。


「なぜ、今なの」


男は一拍置いてから答えた。


「現在、アルカナ・リミナの各地の所有権が次々と奪われておる。

 ――犯行に及んでいるのは、藍とアーサーだ」


その名が出た瞬間、室内の温度が下がったように感じられた。


「日本支部の管理下にあるアルカナ・リミナまでもが奪われたとなれば……

 久我家に、これ以上“黒涙”を預けておくわけにはいかん」


結乃は、ふっと小さく息を吐いた。


「あなたたちに預けておいて“大丈夫”だという確証もないわ」


即座に返ってきたのは、苛立ちを含んだ声。


「――お前に預けておくよりは、安全だ」


その言葉に、結乃の瞳がわずかに細くなる。


「理解してもらえるかしら。

 あなたたちが黒涙を利用しないという確証もないのに、

 安易に渡せるものではないの」


指先が、机の縁をなぞる。


「久我家にとって、黒涙の扱いについては――

 藍も、アーサーも、あなたも。同じくらい信用できないわ」


一瞬の沈黙。


「いくらTIMMAに所属しているからといって、

 そこを勘違いしないでほしい」


男の顔に、明確な不快が浮かぶ。


「……どうしても、渡さんというのか?」


「ええ。悪いけど、そこは譲れないわ」


結乃は背筋を伸ばし、言い切る。


「久我家が長年、命を賭して守り抜いてきたものを――

 おいそれと差し出すわけにはいかない」


机を挟んだ向こう側で、男が椅子をきしませて立ち上がった。


「ならば命ずる。

 アルカナ・リミナを即日、取り返せ。アーサーからだ」


声に、もはや交渉の色はない。


「それが叶わぬなら――実力行使も辞さない」


結乃は、ゆっくりと立ち上がる。

その唇に、冷たい笑みが浮かんだ。


「そう……」


一歩も引かず、真っ直ぐに言い返す。


「――やれるものなら、やってみなさい」



※※※※※



「先生、ヴォルクハルトのことをどう思いますか」


TIMMAの本部を出た直後、

結乃の第一声はそれだった。


さっきまでの重苦しい空気が、まだ身体にまとわりついている。

石造りの廊下を抜けても、その感覚だけが離れなかった。


「そうだね……信用できない、ってわけじゃないけど」


少し考えてから、言葉を選ぶ。


「人、ではない。そんな感じがする」


実際、ヴォルクハルトからは生気をまったく感じなかった。


「ですよね。感情を全然感じませんでした」

結乃は小さく頷く。

「なんだか……機械みたいでした」


「確かに、そんな感じだったね」


歩きながら、悠斗は肩をすくめる。


「まあ、長年の時を生きるっていうのは、

 僕たちの想像なんて及ばないんだろうけど」


一拍置いて、付け加える。


「……エウラがおかしいだけで」


「ひどいわね」


後ろから、すぐに抗議の声が飛んでくる。


エウラは感情が豊かだ。

喜びも怒りも迷いも、すべてが極端なくらいに表に出る。

少し――いや、だいぶおかしなところはあるが。


「すごいでしょ? やっぱり山暮らしが大事なのよ。

 ヴォルクハルトはあんな所に引きこもってるから、性格が歪んじゃうのよ」


――なんて、的外れなことを言っている。


「それは違うと思うけどね」


悠斗は即座に否定した。


その空気を振り払うように、

結乃はふっと視線を前に戻す。


「……ヴォルクハルトは、黒涙をどうすると思いますか?」


わずかな間。

話題を変えたことは、あまりにも分かりやすかった。


「うーん……分からないな」


悠斗は正直に答える。


「でもね。ヴォルクハルトは、

 門――アルカナ・リミナを“開こう”という気は、なさそうなんだ」


「開かない……?」


「それよりも――誰にも触らせたくない。

 そんな気がする」


結乃は、首を傾げた。


「触らせたくない、って……どういうことですか?」


「理の樹に、誰にも触れさせたくない、ってことだと思う」


言いながらも、悠斗自身、言葉に確信はなかった。


「独占欲……とも少し違う。

 奪って使いたい、というより……

 “そのままでいてほしい”に近いのかもしれない」


「……そうかぁ」


結乃は小さく息を吐く。


「藍も、アーサーも、ヴォルクハルトも……

 みんなして、どうしてそこまで黒涙を狙うんでしょう」


歩きながら、ぽつりと本音がこぼれる。


「私は……先生と一緒にいられれば、それで満足なのに」


一拍置いて、続けた。


「彼らは、ひたすら力を求めている。

 それが……私には、どうしても分からないんです」


その言葉は、疑問というより――

決定的な“隔たり”を確かめるような響きを持っていた。


「……僕もね」


悠斗は、少しだけ歩調を緩める。


「この平穏な生活が、このまま続いていけばいいって思ってるよ」


それは偽りのない本音だった。

だが、すぐに視線を前へ戻す。


「でも、世の中にはさ。

 そんな当たり前の幸せすら、最初から与えられずに生きてる人がいる」


言葉は静かだが、重い。


「苦しみの中で生きてきて、

 奪う、という手段でしか自分の幸せを掴めない人たちだ」


「……」


「そういう人たちは、僕たちとは元々の価値観が違う。

 正しさとか、守るべきものの基準が違うんだ」


一拍。


「だから……考え続けても、たぶん無駄だと思う」


結乃は、少しだけ眉を寄せた。


「価値観が違うと……

 お互いを理解することは、できないんですか?」


「……基本的には、ね」


即答だったが、突き放す響きではなかった。


すると結乃は、躊躇なく次の言葉を重ねる。


「じゃあ――」


一歩踏み込む。


「先生と私が結婚して、共同生活をするときに。

 価値観の違いで喧嘩したら……」


ほんの一瞬、息を吸う。


「先生は、諦めるんですか?」


「……それは、今の話とは少しニュアンスが違うかな」


悠斗は、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。


「今話しているのは、そもそもの生活環境がまったく違う人同士の話だ」


歩きながら、淡々と続ける。


「人を殺すことでしか、自分の生を掴めない環境にいる人。

 国そのものが違う人。

 それに――何百年も生きている人」


エウラは、ほんの一瞬だけ間を置いてから言った。


「……それ、私のことかしら?」


声色は冗談めいていたが、

その奥に探るような響きがあった。


「そうだね」


悠斗は否定しない。


「エウラと、僕たちとでは、価値観にかなりの開きがある。

 特に死生観は、まったく違う」


エウラが歩調を落とす気配がした。


「でもね」


悠斗は続ける。


「結乃の例えは違う。

 僕と結乃は、同じ日本で生まれて、

 おそらく同じ日本のシステムの中で育ってきた」


視線を結乃に向ける。


「人としての価値観について、

 その点で致命的な違いはないと思ってる」


結乃は少し困ったように眉を寄せた。


「……よく、分からなくなってきました」


その言葉は、理解できないというより――

理解しようとして、迷子になった声だった。


「……大きな価値観と、小さな価値観の違い、ってことだよ」


悠斗は、噛み砕くように続ける。


「僕が言ってるのは“大きな価値観”の話。

 生きるために何を選ぶか、何を犠牲にするか――

 そういう、根っこの部分の話だ」


「結乃が言ってるのは“小さな価値観”。

 生活の中で生まれるズレとか、考え方の違いだね」


少しだけ間を置く。


「小さな価値観の違いなら、

 話し合ったり、努力したりして、変えていける」


結乃は黙って聞いていたが、

エウラが会話に割って入ってきた。


「……じゃあ、私とは、結婚できないってことかしら?」


悠斗は、一瞬だけ言葉に詰まった。


「いや……そういう話じゃなくて」


視線を逸らし、現実的な理由を口にする。


「そもそも、エウラは戸籍がないだろ。

 戸籍を作ってから、そういうことは言ってくれ」


「戸籍なんて、関係ないわ!」


即座に、エウラが噛みつく。


「相手を思う気持ちがあれば、

 法律なんて、飛び越えちゃうんだから!」


結乃は言葉を失い、

悠斗はため息を飲み込む。


その沈黙を、結乃が破る。


「……前から気になってたんだけど」


少しだけ視線を逸らしながら、続けた。


「エウラって、先生のことどう思ってるの?」


「ん?」


エウラはきょとんと首を傾げる。


「あぁ。結乃は悠斗にチューしたんだっけ?」


「はぁ!?」


結乃の声が裏返る。


「なんでアンタ、それ知ってるのよ!?」


「だって」


エウラは悪びれもせず言った。


「祈と一緒に、見てたもの」


「祈ぃ!?」


即座に視線が突き刺さる。


「あ、その……結乃様……」


祈は明らかに動揺し、慌てて手を振る。


「の、覗くつもりはなかったんです……!

 わたしは、ただ心配で……それに、エウラちゃんが……」


「祈だってノリノリだったじゃない」


エウラはにやりと笑う。


「私より食い入るように見てたわよ」


祈の顔が、耳まで一気に赤く染まった。


「ちょっと! 言わないでください!」


祈が慌てて声を上げる。

必死に否定しようとするほど、動揺が露わになる。


「もう! 祈ったら!」


結乃は頭を抱え、すぐに顔を上げた。


「それで! エウラ!

 どうなのよ、先生のこと!」


逃げ場のない問いだった。


「好きよ」


即答。


「だーいすき」


あまりにも軽く、

あまりにも迷いのない声。


「ええ!?」


結乃が思わず声を上げる。


「ここまでの話を聞いてて、

 そこまで言い切れるの!?」


「だって」


エウラは当然のように言う。


「悠斗は、私のことが大好きなのよ?」


指折り数えるように続ける。


「今までの行動も、

 今こうしてヴォルクハルトに会いに来たのも、

 全部“私のため”」


にっこりと笑って、結乃を見る。


「あなたのためじゃないわ」


「う……」


結乃は言葉に詰まる。


「そ、そうだけど……そうなんだけど……!」


そして、恐る恐る視線を悠斗に向けた。


「先生……まさか」


一瞬の沈黙。


「エウラのことが好き、とか……

 言わないですよね?」


「……僕は、まぁ……そうだね…」


「悠斗、私のこと好きって言ってくれたこと、あったわよ?」


結乃が息を呑む。


「結乃が、メタルプリンスホテルで佐橋と一夜を――」


「ちょ、ちょっと待って」


悠斗が慌てて割り込む。


「それは、その……ごまかしというか、流れというか……」


「えー?」


エウラはわざとらしく首を傾げる。


「じゃあ、あの夜のひと言は嘘なの?」


一拍置いて、にやりと笑う。


「もしかして悠斗、

 いつもそうやって女の子を甘い言葉で騙してるの?」


「……悪い男ね」


「違うでしょ!」


結乃が、間髪入れずに声を上げた。


「先生は、そんな軽い男じゃないわ!」


ぎゅっと拳を握る。


「それに、佐橋と一夜なんて過ごしてないでしょ!

 勘違いを招くような言い方、しないで!」


「おやおや?」


エウラは楽しそうだ。


「ややこしくなってきたな……」


悠斗は、心底困ったように額を押さえた。


「……祈さん」


悠斗は、これ以上話題が転がる前に口を挟んだ。


「これ、あと何分くらいで宿に着きますか?」


祈は一瞬だけ視線を前方に向け、

状況を正確に測るように答える。


「あと、五分といったところですね」


いつもと変わらない、落ち着いた声。


「……もう少し、辛抱を」


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