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弁護士は、現代社会に生きる、辛い過去を持つ魔女達を自己犠牲も問わず救いたい。  作者: れさ
第3章 信じる心と過去の罪

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――第33話 幸せの味――

2026年2月17日 火曜日 20:00


岩海県上賀市 久我家屋敷 久我結乃・私室


「先生。今日は……部屋に来てくださって、ありがとうございます」


 少しだけ緊張したような声だった。


「ううん、いいよ。それで……話って?」


 悠斗は、シャワーを済ませたあと、事務室へ向かう廊下で結乃に声を掛けられた。

 濡れた髪を軽くタオルで押さえながら、どこか落ち着かない様子の結乃が、こちらを見上げている。


「その……少し、時間ありますか?」


 断る理由はなかった。

 そうして誘われるまま、悠斗は結乃の私室へ足を踏み入れる。


 結乃の部屋に入るのは、屋敷で暮らし始めてから、これが初めてだった。


 扉を閉めると、廊下とは違う、柔らかな空気に包まれる。

 控えめな照明。整えられた机と本棚。

 生活感はあるが、どこか“結乃らしい几帳面さ”がにじむ空間だった。


 結乃はベッドの端に腰を下ろすと、隣の空いたスペースを指で軽く叩いた。

 ――ここに、という無言の合図。


 悠斗は一瞬だけ戸惑ったが、促されるまま、少し間を空けて腰を下ろした。


 思ったよりも近い。

 けれど、触れるほどではない、ぎりぎりの距離。


 結乃はすぐには話し出さなかった。

 視線を落とし、指先を膝の上で絡めながら、ほんの少しだけ時間を置く。


 そして、意を決したように――ゆっくりと口を開いた。


「……先生。昨日のことです」


 結乃は、視線を落としたまま続けた。


「その……私、先生の過去を……見てしまったんです」


 短い沈黙が落ちる。


「先生は、リネアを使って……平田さんのお父さんを犯人にして、

 汚職政治家を助けた。……それを、この目で見ました」


 声が、かすかに震えている。


「平田さんと魂が同期していたから……

 彼女の感情も、全部……流れ込んできて……」


 言葉を選ぶたびに、胸の奥をえぐられているようだった。


 まだ完全に乾ききっていない髪から、ほのかな湯気と甘い香りが立ちのぼる。

 それは色気というよりも、不安と弱さが剥き出しになった証のようで、

 部屋の空気を静かに満たしていった。


「……お父さんが犯人です、って自白した瞬間の……

 あの人の絶望は、想像していたより、ずっと……ずっと酷いものでした」


 結乃の喉が、小さく鳴る。


「私……怖かったです」


 絞り出すような声だった。


「傍聴席にいた人たちが……

 みんな一斉に、『犯人だ』『犯人だ』って……」


 言葉を口にするたび、肩が小さく震える。


「まるで合唱みたいで……

 その声が重なっていくたびに、平田さんの心が……壊れていくのが、分かって……」


 結乃は、ぎゅっと膝の上で拳を握った。


「絶望が……怒りが……悲しみが……

 全部、そのまま流れ込んできて……」


 視線を伏せたまま、ぽつりと呟く。


「……これでもか、ってくらい……伝わってきました」


 結乃の瞳に、涙が溜まっていく。

 瞬きをすれば、そのまま零れてしまいそうだった。


「……それから……先生の、あの目」


 声が、かすれる。


「平田さんが……魂の底から……

 『殺してやる』って叫んだ、その瞬間の……先生の目」


 結乃は、思わず顔を歪めた。


「今の先生からは……考えられないくらい、冷たくて……怖くて……」


 小さく、首を振る。


「……私、あんな先生……見たこと、ありません……」


 ぐす、と息を吸う音が漏れ、

 次の瞬間、堪えていたものが決壊した。


「……っ、う……」


 その光景を思い出しているのだろう。

 結乃は、声を殺すこともできず、はっきりと泣き出していた。


「……結乃……」


 悠斗は、思わず名前を呼んだ。


 けれど、結乃は顔を上げないまま、涙に濡れた声で続ける。


「先生は……先生の罪は、何ですか」


 一つ、息を吸って。


「先生を……あんなふうにしてしまった原因は、何ですか」


 震えながらも、言葉を途切れさせない。


「私は……それが知りたいんです。

 先生を変えてしまった原因」


 拳を握りしめる。


「先生が……今みたいに、自己犠牲を選ぶ生き方に変わってしまうほどの……

 そんな事件を引き起こした、先生の過去」


 そして、かすれる声で。


「……教えてください」


「……ふぅ――――」


 悠斗は、長いため息をついた。


「大した話じゃないよ。

 知っても、きっと面白くないし……それより、楽しい話をしよう」


 その言葉に、結乃が顔を上げた。


「……できません!」


 はっきりとした拒絶だった。


「先生は……平田さんを、自分の手で殺してしまったことを、後悔しています!」


 涙に濡れた瞳で、悠斗を見つめる。


「自分が……不幸にしてしまった人を、さらに自分の手で殺してしまったことを……!」


 声が震え、けれど止まらない。


「彼女は……殺人犯です。

 リネアを使って殺しを重ねてきた……今の法律では裁けない、悪です」


 一拍置き、唇を噛む。


「でも……それでも先生は……

 彼女を殺めたことを、悔やんでいる……!」


 結乃の声が、かすれる。


「先生が……どこかへ行ってしまうようで……怖いんです」


 ぎゅっと、胸元を押さえる。


「また……あの目で……私のことを見る未来が、見える気がして……」


 震える声で、絞り出すように。


「……それが、怖いんです」


 結乃の涙は、止まらなかった。


 それは――これまで彼女が見てきた、悠斗の“目”のせいだった。

 優しくて、どこか不器用で、必死に誰かを救おうとする、あの大好きだった目。


 その目が、過去の悠斗の冷たい視線によって、壊されてしまったような気がして――怖かった。


 怖い。

 先生が。


 その感情は、本来、結乃のものではなかった。

 平田梨花の感情だ。


 魂の同期によって流れ込んだ、絶望と憎悪と恐怖。

 それが、結乃の心の奥に、まだ澱のように残っている。


 平田梨花の前では、結乃は気丈に振る舞っていた。

 泣くことも、弱音を吐くこともせずに。


 けれど――一日が経ち、静けさの中で思い返すうちに、

 不安は少しずつ形を持ち始めた。


 このままでは、いけない。

 直接、話さなければ。


 そう思ってしまったからこそ、

 結乃は今、こうして悠斗の前に座っている。


「……先生」


 一度、息を吸って。


「先生……!」


 名前を重ねるたび、結乃の声は震えを帯びていく。






『……”大好きです”』






 間髪入れず、はっきりと。






『――”愛しています”』






 あまりにも唐突な言葉だった。






「……っ!?」


 悠斗は、思考が追いつかないまま、目を見開いた。

 胸の奥を、何かに強く殴られたような感覚。


 泣き腫らした瞳で、まっすぐこちらを見つめる結乃。

 逃げ場のない距離。

 冗談でも、勢いでもないと――一瞬で分かる。


 その告白の重さに、

 悠斗はただ、言葉を失っていた。


「……私が先生に、はじめてお会いしたのは……一年生の、五月です」


 結乃は、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。


「もう……二年近く前になりますね。

 先生は……覚えていないかもしれません」


 それでも、と小さく首を振る。


「でも、私にとっては……

 あの日は、生きる希望を得た瞬間だったんです」


 視線を落とし、静かに息を吐く。


「久我家の宿命を知って……

 両親は死に、私は一人取り残されるって、そう告げられたときの気持ち……」


 少しだけ間を置いて、顔を上げる。


「先生……想像できますか?」


 結乃は、何も言わずに悠斗をじっと見つめていた。


 逃げも、迷いもない視線。

 その奥にある感情を、隠そうともしていない。


 悠斗は、冗談めかすことも、視線を逸らすこともせず、

 まっすぐに、それを受け止めた。


 ――そして、思い出す。


 二年前。

 地元に戻り、独立してから、ちょうど一年が経った頃。


 聖嶺高校で行われた、一本の講義。


 あの教室で――

 一人の生徒に、問いかけられた言葉があったことを。


「……まさか」


 悠斗は、ゆっくりと口を開いた。


「結乃……あの講義のときに、いたの?」


 結乃は、小さくうなずく。


「はい。

 ……私の質問、覚えていますか?」


 悠斗は、一瞬だけ目を伏せ、そして苦笑した。


「ああ……覚えてるよ。

 『あなたは今、幸せですか』……だったね」


 その言葉を口にした途端、胸の奥が、かすかに痛んだ。


「あの頃の僕は……

 たくさんの人を不幸にしてきて、罰を求めていた時期だった」


 視線を上げ、結乃を見る。


「君は……まるで、僕を裁きに来た天使みたいだったよ」


 一瞬の沈黙。


「……それ、褒めてるんですか?」


 結乃は涙を残したまま、少し困ったように、けれど確かに微笑んだ。


「……私は、先生のことを知ろうとしました」


「何度も……一人で、先生のセミナーに参加しました。

 誰にも言わずに、ただ……聞いていました」


 そして、そっと視線を上げる。


「ずっと、見ていました。

 先生の……目を」


「人を救おうとして、それでも自分を責めている……

 あの目が……」


「私にとっては……

 生きる希望、そのものだったんです」


 結乃は、まっすぐに悠斗を見つめる。



「先生……

 あなたは、私に……“幸せ”を、くれたんです」



 ――っ。



 悠斗は、思わずひるんだ。


 自分には、その資格はない。

 それだけは、ずっと胸の奥で確信して生きてきた。


 誰もが、悠斗を責めた。

 投げかけられる言葉は、罵倒と断罪ばかりだった。


 悠斗は知っている。

 『弁護士・真神悠斗 被害者の会』という財団法人を。


 水野に救われてから、何度も足を運んだ。

 稼いだ金は、すべて寄付した。

 被害者一人ひとりに、頭を下げ続けた。


 それでも――名誉だけは、取り戻してやれなかった。


 犯人として前科を負った者の社会復帰が、どれほど困難か。

 一度でもメディアに顔を晒した人間が、どれほど孤立するか。


 親族からも、白い目で見られる。

 仕事も、居場所も、未来も――奪われる。


 そんな中で。


 原因不明の冤罪事件を、次々と生み出した張本人が、

 のうのうと姿を現したら、どうなるか。


 ――分かりきっている。


「殺してやる」

「死ね」

「二度と、顔を見せるな」


 石を投げられ、唾を吐きかけられ、

 それでも悠斗は、すべてを飲み込んだ。


 ――それが、罰なのだと。


 地元の上賀市に、戻ってきた。

 だが――帰る場所は、どこにもなかった。


 父親とは、中学の頃から絶縁している。

 母親は、あの一件のショックで心を壊し、ノイローゼになってしまった。


 居場所はない。

 受け入れてくれる人間も、いない。


 それでも――

 それでも、自分に何かできることはないのかと考えた。


 ほとんど無一文で始めたのが、

 訴訟をしない弁護士業だった。


 今さら弁護士の資格にしがみつくなんて、

 我ながら、みじめだと思った。


 だが、人は生きるために、何かしらの仕事をしなければならない。

 自分には社会経験もなく、誰かの下で働く性分でもない。


 ――だから、開業した。


 そんな、どうしようもない人間を。


 目の前の少女は、好きだと言う。

 涙を浮かべて、こちらを見つめ、

 「幸せにしてくれた」「救われた」と、まっすぐに告げてくる。


 その想いが、嘘ではないことは分かる。

 胸の奥が、どうしようもなく、温かくなる。


 ……それでも。


「……結乃」


 悠斗は、はっきりと言った。


「僕は……君の想いに、応えることはできない」


「……なんでですか!」


 即座に返ってきた声は、震えている。


 悠斗は、視線を逸らさなかった。


「僕は……そんな人間じゃない」


 言い聞かせるように、静かに続ける。


「最低で、罪深い人間だ。

 自分で、人を……絶望のどん底に突き落としてきた」


 一拍、喉が鳴る。


「そして……その人間を、最後には……

 自分の手で、殺した」


 唇を噛みしめる。


「そんな……血塗られた手で……

 君の手を、握ることなんて……できない」


「……違います!」


 結乃は、勢いよく顔を上げた。


「先生は……私のことを、どう思っているんですか!」


 逃げ場を塞ぐ問いだった。


「……結乃のことは、好きだよ」


 悠斗は、正直に答えた。


「でも……恋愛は、できない」


「……。」


「……好き、なんですね」


 確かめるような声。


「……ああ」


「――好きなんですよね!!」


 感情が、弾けた。


「……あ、ああ。しかし――」


 最後まで言い切る前に。


 ばしっ。


 乾いた音が、部屋に響いた。


 頬に走る衝撃。

 遅れて、じん、と熱が広がる。


――?


 困惑が形になる前に、柔らかなものが”唇”に触れた。



 ………結乃の唇だった。



 熱を帯びた体温。

 涙に濡れ、わずかに震える感触。


 激しさはない。

 ただ、触れるだけのキス。


 それなのに――

 言葉よりも雄弁に、彼女の想いが流れ込んでくる。


 悠斗は目を開いたまま、動けずにいた。

 目の前の彼女が、言葉ではなく行動で答えを示したことに、

 動揺を隠せない。


 引き剥がすことも、拒むこともできない。


 熱が、確かにそこにあった。


 それが何秒だったのか、

 それとも、もっと長い時間だったのか。


 分からないまま、

 ただ心地よい静寂だけが流れる。


 やがて――

 すっと、結乃が顔を離した。


「先生。……今は、これでいいです」


 結乃は、少し照れたように、けれどはっきりと言った。


「付き合ってほしいとか、結婚してほしいとか……今は、いいんです。

 でも……でも、これだけは知ってほしかった」


「……何を?」


「私が!」


 一拍置いて、胸の奥から絞り出すように。


「先生のことを、大好きだってこと。

 それから……」


 少し、笑う。


「さっきのキスが……

 とっても、幸せの味がしたってことです!」


「……僕は、君の想いに応えることはできないって……」


「それでも、です」


 被せるように、結乃は言った。


「でも、いつかは……きっと、答えてください」


「そんな日が……来るとは、思えない」


 悠斗の弱音に、結乃は迷いなく言い切る。


「来ますよ」


「……え?」


「絶対、来ます」


 そして、まっすぐに。


「だって――

 私が、先生を”幸せ”にするんですから」



________________________________________


第3章 完



第三章まで、お読みいただきありがとうございます!


【読者の皆様へのお願い】

少しでも面白いと思って頂けたら、ブックマークや評価をぜひお願いします!


評価はページ下部の↓【☆☆☆☆☆】をタップすると付けることができます。


ポイントを頂けるとモチベーションが爆上がりします…!

これからも面白い物語を提供していきたいと思います、よろしくお願い致します!

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