――第26話 復讐――
◆◆◆◆◆
2020年8月20日
彼女は、親戚に引き取られた。
もともとの地元――
銀沢市へ。
だが、それは「帰郷」ではなかった。
追放に近い。
殺人犯の娘。
その事実は、どんな言葉よりも重く、
彼女の周囲にまとわりついた。
親戚は、表向きこそ面倒を見てくれた。
食事は出た。
寝る場所もあった。
だが、そこに温度はなかった。
腫れ物に触るような態度。
視線を合わせない会話。
必要以上に距離を取る仕草。
優しさではない。
恐れでもない。
拒絶だった。
彼女は、
毎日、失意と怒りの間を行き来していた。
何もかもが狂っている。
世界のほうが間違っている。
そう思わなければ、
正気でいられなかった。
眠れない夜が続いた。
目を閉じれば、父の顔が浮かぶ。
目を開ければ、
誰も味方のいない現実が待っている。
――このままでは、頭がおかしくなる。
そんな日々の中で。
彼女は、
ある男に出会った。
どこにでもいそうな、
穏やかな物腰の男だった。
彼は、彼女の話を否定しなかった。
疑いもしなかった。
ただ、静かに頷き、
こう言った。
「……あなたは、間違っていない」
その言葉だけで、
胸の奥が、ひび割れた。
男は続けた。
「あなたには、
会うべき“存在”がいる」
そして、
彼女を“神”のもとへ導いた。
トマ・ジラール。
天啓和合会の現教祖。
薄暗い空間で、
トマは穏やかな声で語りかけた。
「君の願いは、叶う」
確信に満ちた口調だった。
「罪びとは、必ず罰を受ける」
逃げ場のない言葉。
「私を信じなさい。
私を崇めなさい」
そして、
最後に、甘美な約束を落とす。
「――さすれば、
神の御業が、あなたを救うでしょう」
それが、
救いではなく、選別であることを
彼女は、まだ知らなかった。
◆◆◆◆◆
2021年1月18日
最初は、信じなかった。
そんな都合のいい話があるはずがない。
神だなんて。
天罰だなんて。
――そう思っていた。
けれど。
彼の言ったことは、
現実になった。
鷹宮将人が、
謎の急死を遂げた。
病死だと報じられた。
事故だとも言われた。
真相は、分からない。
だが――
死んだ。
それだけで、十分だった。
さらに、追い打ちのように知らされた。
あの男。
あの最低な弁護士。
”真神悠斗”
父を犯人に仕立て、
私の人生を壊した男が――
”死刑判決”を受けたと。
「……はは」
喉の奥から、
乾いた笑いがこぼれた。
止まらなかった。
「ははは……」
そうか。
そういうことか。
神の天罰だ。
間違いない。
トマ様の言った通りだ。
罪びとは、
必ず罰を受ける。
逃げられない。
「……トマ様」
胸が、熱くなる。
「あなたこそが、私の神」
世界は、正しかった。
いや――
正しく修正されたのだ。
抑えきれない感情が、
言葉になって溢れ出す。
「ざまあみろ……!」
唇が歪む。
「ざまあみろ、
真神悠斗!」
「ざまあみろ、
鷹宮将人!」
握りしめた拳が、震える。
「――私の怒りを、思い知れ!」
その叫びは、
復讐ではなかった。
祝福だった。
彼女は、
まだ気づいていない。
それが、
誰かに与えられた“結果”を
そのまま信仰に変えてしまう――
最も危険な瞬間だったことを。
◆◆◆◆◆
2024年4月10日
私が聖嶺高校に入学した、その日。
トマ様は、
私に――不思議な力を授けてくださった。
そして、告げた。
「君を、大天使に任命する」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥が、じんわりと熱を帯びた。
使命が与えられたのだ。
学校で、布教活動をしなさい――
そう言われた。
けれど、
大ぴらに宣伝する必要はない、とも。
「教室で演説する必要はない」
「ビラを配る必要もない」
トマ様は、静かに微笑んで言った。
「学校の“設備”に触れなさい」
「空調、配線、赤外線センサー――
人の目に触れない“機構”に、天使を宿せばいい」
誰も気づかない。
誰も疑わない。
それでいて、
確実に、学校全体を覆う。
「君を狙う“術理士”と呼ばれる存在が、
現れるかもしれない」
一瞬だけ、
警告のような響き。
でも、すぐに続く言葉が、
その不安を溶かした。
「だが、心配はいらない」
「天使が、君を守ってくれる」
「――神である私の加護が、
常に、あなたを守っている」
私は、疑わなかった。
言われるがままに、
天使を――
学校の、そこかしこに宿した。
教室。
廊下。
機械室。
天井裏。
天使は、目に見えない。
けれど、
確かに、そこにいる。
それを感じ取れるのは、
大天使である私だけ。
術理士ですら、感知できない。
干渉も、遮断も、できない。
誰にも触れられない力。
誰にも否定されない存在。
――まさに、神の力だった。
学校は、もう“ただの学校”ではない。
知らぬ間に、
選別は始まっている。
私は、
その中心に立っていた。
◆◆◆◆◆
ある夜のことだった。
天啓和合会の――
大天使会合が終わり、その帰路についたとき。
闇の中から、
襲撃があった。
名乗ったのは、
ネザーヴェイル。
術理士の集団だという。
刃が閃き、
術式が空気を裂き、
殺意が、確かにこちらへ向けられていた。
――でも。
天使が、現れた。
いいえ。
トマ様が、私を守ってくださった。
恐怖は、なかった。
血の気も引かなかった。
ただ、理解しただけだ。
私には、神がついている。
その事実が、
心の隙間を満たしていく。
圧倒的な万能感。
世界が、掌の上にある感覚。
そのとき、気づいた。
私はもう――
諮られる側ではない。
諮る側なのだと。
理解した瞬間、
背骨をなぞるように、
快感が走った。
力を、
使いたくなる。
天使の力をもってしても、
なお信者にならない者がいる。
ならば――
実力行使だ。
信じない?
従わない?
そんな選択肢は、
もはや存在しない。
トマ様を信望しない人間に、
生きている価値など、あるはずがないでしょう?
その考えが、
疑問ではなく、
常識になった瞬間。
彼女はもう、
引き返せない場所に立っていた。
◆◆◆◆◆
2025年10月1日
今月から、
銀沢市に新しい市長が就任したらしい。
耳にした瞬間、
思わず笑ってしまった。
なんとその人物――
天啓和合会を否定し、解体すべきだと公言しているという。
……ありえない。
トマ様を否定する?
神を否定する?
そんな人間を、
生かしておくわけにはいかない。
けれど――
ただ殺すだけでは、足りない。
それでは、学習にならない。
トマ様に逆らったことを、
魂の底から――
後悔させなければならない。
調べは、もうついている。
市長の娘は、
私の学校の“一つ上”にいる。
……ちょうどいい。
殺す。
でも、今じゃない。
追い込む。
逃げ場を塞ぐ。
日常を、少しずつ削る。
疑念を植え付け、
孤立させ、
精神を摩耗させる。
限界が来た、その瞬間に――
終わらせる。
それが、一番美しい。
今までも、
そうしてきた。
これからも、
そうするだけ。
ね?
◆◆◆◆◆
2025年12月8日 月曜日 11:05
――その日は、目を疑う光景から始まった。
教室が、ざわついている。
窓際に女子生徒たちが集まり、
外を見下ろしながら、ひそひそと噂話をしていた。
「見て、見て!」
「彼氏かしら……?」
視線の先にいる人物は、久我結乃。
正直に言えば――
私は、彼女が嫌いだった。
成績優秀。
眉目秀麗。
金持ち。
毎朝、黒塗りの車で登校してくるお嬢様。
気に入らない。
それが、久我結乃という人間に対する、私の評価だった。
――でも。
彼女の隣に立つ人物を見た瞬間。
心臓が、止まった。
「あれは……」
息が詰まる。
「……あれは……!」
真神……悠斗……
間違えるはずがない。
もう五年も前になる。
それでも、見間違えるわけがない。
あの――
すべてを見下す目。
私の怒りの叫びを、
何でもないもののように一蹴した目。
殺すと誓った、あの男。
記憶が、一気に蘇る。
頭の中が、沸騰しそうになる。
なぜ?
なぜ生きている?
死刑になったはずじゃないの?
なぜ、ここにいる?
なぜ、そんな顔で、平然としている?
私の父は――
今も投獄されているというのに。
許せない。
許せない。
許せない。
許せない。
私は、すぐに動いた。
空調設備に、
天使を仕掛けた。
真神悠斗に、
天使を取り憑かせる。
これでいい。
信仰がなければ、
トマ様の天罰が下る。
ざまあみろ。
呪ってやる。
私の邪魔をするものは――
全員、呪ってやる――!
◆◆◆◆◆
そして。
天罰は、下った。
次にあいつを見たのは、
後見人を辞任するとかで、
担任に会いに来たときだった。
――笑った。
髪は、真っ白。
目は、真っ黒の中に赤い瞳。
爪は、黒く染まっている。
無様。
トマ様が言っていた。
“藍”っていう、
化け物に捕まって、
拷問されたんですって。
「――ぎゃはははははは!」
笑いが止まらない。
ざまあなさすぎる!
まだ死んでないって?
いいじゃない。
まだ、殺さない。
いつ死ぬんだろうね?
いつまで苦しむんだろうね?
――楽しみだ。
あいつの、死に顔を見るのが。
心の底から。
楽しみで、仕方がない。
彼女は笑っていた。
勝利を、確信していた。
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