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弁護士は、現代社会に暮らす、悲しみを抱いた魔女達を、自己犠牲も問わず、救いたい  作者: れさ
第3章 信じる心と過去の罪

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――第13話 待ち受けていたもの――

礼拝堂に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


外の世界とは切り離されたような、重く澱んだ気配。

一歩進むごとに、肺に入る空気が粘つくように感じられる。


カトリックの礼拝堂に見られる、天へと意識を向けさせる荘厳さはない。

プロテスタントの礼拝堂は、異様なほどに質素だった。


装飾はほとんどなく、色彩も抑えられている。

壁も天井も簡素で、祈りを受け止めるというより、

人を黙らせ、閉じ込めるための空間のように思えた。


――偶像崇拝を戒める。


カトリックでは、そのはずなのに。


ぎい、と。

長く使われていなかった扉が、鈍く擦れる音を立てて開く。


その音が、やけに大きく響いた。


部屋の中へ足を踏み入れた、その正面。

教壇の背後の壁には、それが堂々と掲げられていた。


十字架に磔にされた、イエス・キリスト。


逃げ場のない位置に、真正面から。

視線を逸らすことを許さない配置だった。


あまりにも露骨で、あまりにも直接的な像。

まるで、これから中に入る者も、

いずれ同じ運命を辿るのだと告げているかのように、無言の圧を放っている。


その顔は、血に染まり、真っ赤に濡れていた。

乾いた赤ではない。

今なお、生々しさを残した色だった。


「……っ」


部屋に入った瞬間、結乃は声にならない息を漏らした。


――臭い。


鼻を突く、強烈な異臭。

鉄の匂いと、生臭い血の匂いが混じり合い、

礼拝堂の空気そのものに染みついている。


古い血ではない。

そう直感的にわかった。


結乃は、ゆっくりと壁へ視線を向ける。


そこには、巨大な動物の爪で引き裂いたかのような痕跡が、

壁一面に刻みつけられていた。


縦に。

横に。

無秩序に。


力任せに叩きつけられた暴力の名残。


そして、その裂け目に沿うように、

血と肉が、びっしりと塗り込められている。


拭い取られた形跡はない。

むしろ、見せつけるかのように残されていた。


まるで――

人間を素材にした、アート作品だった。


その“材料”となってしまった犠牲者が、

もはや元の形を保っていないことは、

想像するまでもない。


「……」


カシウスは、何も言わなかった。


だが、この圧倒的な光景に気圧されているわけではない。

異常であることを即座に理解し、

その異常がもたらす危険性を、静かに測っている――

そんな空気を、全身で表していた。


「これは……」


さすがの悠斗も、声を上げずにはいられなかった。


ここで行われた惨劇が、どれほど凄惨なものだったのか。

想像しようとした瞬間、思考そのものを拒絶したくなる。


そして――

この惨劇を引き起こした“何か”が、

今もなお、どこかに潜んでいるかもしれない。


そう考えただけで、背筋がひやりと冷えた。


「……術理の気配はないな」


カシウスは、低く、断定するように言った。


結乃も、慎重に周囲を探るように視線を巡らせてから、頷く。


「え、ええ……。

これは、術理じゃないわ」


一瞬、言葉を選ぶように間を置き、


「物理的な攻撃で、破壊されている。

……信じられないけど」


物理的――。


それは、この惨劇が奇跡の力によって行われたのではなく、

純粋な腕力と筋力だけで成された、という意味だった。


(それって……)


悠斗は、喉の奥がひりつくのを感じる。


術理による破壊よりも、

よほど恐ろしいのではないか。


「いったい、何が……」


結乃は、取り乱してはいない。

だが、その声には、確かな動揺が滲んでいた。


「……よいか」


カシウスが、短く言う。


「戦闘態勢だけは、いつでも取れるようにしておけ。

術式陣の準備をしろ」


有無を言わせない口調だった。


「……ええ」


結乃は素直に従い、深く息を整える。


今は、言い争っている余裕などない。

――そういう状況だと、誰もが理解していた。


一歩、また一歩と、足を進めていく。


教壇の右奥――

壁際に、奥へと続く一枚の扉があった。


本来であれば、そこは控室のはずだ。

説教師や関係者が待機するための、何の変哲もない小部屋。


扉を開けると、確かに控室は存在していた。


だが、その奥だ。


人が一人、ようやく通れるほどの細い通路が、

三メートルほど、まっすぐに伸びている。


壁は無機質で、足音が不自然に反響する。

突き当たりまで進み、右へ折れると――


そこに、地下へと続く階段が姿を現した。


大きく口を開け、

まるで入った者を二度と逃がさないとでも言うように、

闇の奥へと誘っている。


階段の下からは、生暖かい空気が吹き上げてくる。

湿り気を含み、どこか粘ついた感触。


「……下、か」


誰かが、低く呟いた。


地下への階段を下り切ると、

視界が一気に開けた。


そこは、まるで洞窟だった。


周囲は石壁に囲まれ、自然のまま削り出されたような形状。

天井からは鍾乳洞を思わせる突起が垂れ下がり、

人の手による空間でありながら、

どこか“人の支配を拒む場所”のように感じられる。


その奥――

再び、教壇が設えられていた。


そして、その背後。


天井近くまで届く、

五メートルはあろうかという巨大な十字架のモニュメント。


それは、淡く光を放ち、

地下空間全体を包み込むように照らしている。


あまりにも明るく、あまりにも穏やかで、

まるで、訪れた者を温かく迎え入れているかのようだった。


――だが。


その光の中心に。


一人の、人影が立っている。


女だった。


身長は、女性にしては高い。

170はあるだろうか。

すらりと伸びた肢体が、地下の空間でもはっきりと分かる。


褐色の肌に、白色の髪。

その色の対比が、異様なほど鮮烈だった。


身に纏っているのは、ドレスのような真っ赤な衣装。

布地は身体の線を隠す気がなく、大胆に入ったスリットから、引き締まった脚が惜しげもなく露出している。


派手なはずなのに、下品ではない。

むしろ、見る者の視線を自然と引き寄せてしまう――

そんな、計算された蠱惑を纏った女だった。


その女性は、背中をこちらに向けたまま立っている。


まるで、

悠斗たちがここへ辿り着くことを、最初から知っていたかのように。


視線は、巨大な十字架のモニュメントへと向けられていた。

両手を胸の前で軽く組み、祈りを捧げるように、静かに見上げている。


だが――


悠斗たちが、この広場へと足を踏み出した瞬間。


女の肩が、わずかに揺れた。


ふっと、微かに笑う気配。


顔は、まだこちらを向かない。

それでも、確かに“見られている”と感じさせる。


「……来たのね」


視線を十字架に向けたまま、

女は、ゆっくりと悠斗たちに声をかけた。


「ねえ……君たちは、神を信じるかしら?」


その声には、問いかけというより、

試すような響きがあった。


「この、ふざけた十字架」


軽く嘲るように言い、女は続ける。


「信じる者は救われる、だなんて。

そんな理想を押し付けるために、人々を磔にする装置よ」


指先が、十字架をなぞるように宙を切る。


「でもね、不思議なものよ。

弱い人ほど、こういう装置に惹かれる」


女は静かに言葉を重ねる。


「人の心は、弱くて、脆い。

本当に助けてほしいときに、

助けてほしい人に裏切られた瞬間――」


一瞬、声が低くなる。


「その心は、“死んだ”と錯覚するの。

少しずつ、内側から、蝕まれていく」


そして、吐き捨てるように。


「そんなときに差し伸べられた手を、

人は簡単に“神の御業”だと勘違いするものよ」


くるり、と女が振り返る。


整った容姿。

鮮やかな緑の瞳。

前髪を左右に分け、腰まで届く白い髪が、地下の光を受けて揺れる。


妖艶で、堂々としていて、

その表情には一片の迷いもない。


年の頃は二十代前半だろうか。

まるで、世界の中心にいるのは自分だと、疑いもしない顔。


「……そう思わないかしら?」


口元に笑みを浮かべ、問いかける。


「侵入者さんたち?」


明らかに、異常な雰囲気だった。


だが、その空気を正面から切り裂くように、

カシウスが一歩、前へ出る。


「貴様は何者じゃ」


声は低く、抑揚はない。

しかし、その奥には、確かな怒りが滲んでいた。


「上で起きていた惨状……

あれは、貴様の仕業か?」


「仕業、って言い方なら……そうね」


女は、あっさりと認めた。


「でも、救ってやったのさ」


堂々と、悪びれる様子もなく。


「……救い、ですって?」


結乃が、噛みつくように言う。


「そうさね」


女は肩をすくめる。


「あたしが来たときには、

もう人間と呼べるかどうかも怪しい状態だった」


淡々とした口調で続ける。


「自我も、ほとんど残ってなかった。

それに何より――襲ってきたのは、向こうだよ?」


くすりと笑う。


「正当防衛さね」


「……そう、か」


悠斗は、静かに息を整えた。


(この女が、“門”を奪った張本人とは考えにくい)


居合わせた、というには違和感がある。

だが、明確な敵意も感じない。


今回の事件そのものとは、

直接の関係がない――ようにも見える。


ただし。


(上の惨状を作り出したのは、この女だ)


それだけで、十分すぎるほど危険だ。


何を考え、

次に何をするか――


まったく、読めない。

油断だけは、できなかった。


「……あなたは、ここへ何をしに来たんですか?」


悠斗は、慎重に距離を保ったまま問いかけた。


「ん?」


女は、どこか楽しそうに首を傾げる。


「あなたは――アルカナ・リミナ、だったかな。

あれの所有権を簒奪した人物では、ないですよね?」


女の笑みが、わずかに深くなる。


「なぜ、そう思う?」


「所有権を奪うには、霊脈の流れを掌握する必要がある」


悠斗は感情を挟まず、事実だけを並べた。


「いわゆる“名義書き換え”です。

聞く限り、それには高度な術式を、長時間にわたって維持する必要がある」


一拍。


「名義が書き換えられたのは、昨日。

でも、上の惨状は――」


視線を、壁の血痕へと向ける。


「どう見ても、ついさっき起きたものです。

だから、あなたは“今”ここに来た。

そして、僕たちと鉢合わせた」


悠斗は女をまっすぐ見る。


「……違いますか?」


女は、楽しそうに目を細めた。


「そうさね」


あっさりと認める。


「あたしがここに来た理由は、アルカナ・リミナじゃない」


指を一本立てる。


「一つは、あたしにちょっかいかけてきたやつへの仕返し」


もう一本。


「もう一つは、今後、邪魔になりそうな連中を殺しに来ただけ」


そう言って、周囲を見回し、肩を落とす。


「……でも、どっちも、もういないみたいね」


がっくりと、わざとらしく溜息をつく。


「残念」


そして、悠斗を見る。


「でもさ」


声の調子が、わずかに変わった。


「あんた――エウラを連れているんだって?」


にやり、と口角が上がる。


「命知らずなバカだねえ。

でも、分かるよ。あの子、かわいいもんね」


楽しげに続ける。


「ただし――」


女の瞳が、冷たく光る。


「あの子に近づいた人間が、どういう末路を迎えたか。

あたしは、この目で、嫌というほど見てきた」


くすくすと笑う。


「あんたも、そうなるのかね?」


「……与太話は済んだか、女」


カシウスが、一歩前へ出た。


「貴様の話は長い。

いい加減――自己紹介くらいしたらどうじゃ」


その瞬間。


女の笑顔が、すっと消えた。


見下すような視線が、カシウスに突き刺さる。


「……何を、偉そうに」


一拍置き、鼻で笑う。


「じゃが、まあ……いいじゃろう」


女は胸に手を当て、堂々と名乗りを上げる。


「我が名は――

サルヴァラージャ王国、最後の女帝」


空間が、ぴんと張り詰めた。


「アールティ・カルパナ・ナグ」


誇りに満ちた声で、言い切る。


「今は【ガイア】と呼ばれておる」


そして、悠斗たちを見渡し、宣言した。


「――ひれ伏せ、平民よ」



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