――第5話 銀沢市長の武家屋敷――
2026年2月9日 月曜日 10:00
伊藤から連絡を受けたその日のうちに、
悠斗は斎藤市長へ電話を入れた。
事情を簡単に伝えると、
市長は間を置かずに答えた。
――できれば、明日にでも来てほしい。
(それほど、切羽詰まっているということか)
そう判断し、
悠斗は結乃とエウラを伴って斎藤家を訪れることにした。
※※※
市長邸は、銀沢市の住宅街の一角にあった。
住宅街の道を抜けた先で、
悠斗は自然とスピードを落とした。
周囲の家並みは現代的なものばかりだ。
だが、その中に一箇所だけ、
時間の流れが違うような空間が現れる。
低く長い土塀。
その向こうに覗く松の枝と、
重みのある瓦屋根。
「……ここか」
誰にともなく呟き、
悠斗はウインカーを出して車を寄せた。
正面に見えるのは、
黒ずんだ木材で組まれた大きな門。
飾り気はないが、
厚みのある柱と横木が、
この家が元来“守るための造り”であったことを雄弁に語っている。
門の脇には、
控えめな表札が一枚。
〈斎藤〉
書体は古風で、
彫りも深い。
車を敷地内へ進めると、
砂利を踏む音が、静かな空気にやけに大きく響いた。
左右には、手入れの行き届いた庭木と、
苔むした石が点々と配置されている。
派手さはない。
だが、
無駄を削ぎ落とした美しさと、
長年住み継がれてきた家特有の重みがある。
母屋は平屋に近い二階建て。
深く張り出した軒と、
太い梁。
外壁は木と土壁が使われ、
武家屋敷の様式を色濃く残していた。
悠斗は指定された場所に車を止め、
エンジンを切る。
一瞬で、音が消えた。
ドアを開けると、
ひんやりとした空気が肌を撫でる。
山から下りてくる風と、
土と木の匂いが混じった、
どこか懐かしい感触だった。
砂利の上に足を下ろし、
悠斗は改めて屋敷を見上げる。
――なるほど。
市長の家、というより。
(……旧家だな)
この家は、
権力を誇るための場所ではない。
守るべきものを、
長い時間をかけて守り続けてきた家――
そんな印象を、強く受けた。
※※※
敷石をまたぎ、呼び鈴を鳴らす。
「はーい」
という声とともに、和服姿の男が出迎えてきた。
玄関に現れた宗利は、四十代後半ほどの男だった。
背は高くはないが姿勢がよく、立ち姿が整っている。
派手さのない和装――紺色の羽織に落ち着いた色の着物は、
この屋敷の雰囲気によく馴染んでいた。
顔立ちは穏やかで、
どこにでもいそうな中年男性と言ってしまえばそれまでだが、
人の話を遮らずに聞く癖と、
視線を逸らさずに相手を見るところに、
長く人の上に立ってきた者の気配がある。
白髪はまだ少ない。
だが目元には、疲労と緊張が薄く刻まれていた。
「よく来てくださいました、真神さん。
ささ、入ってください」
市長というより、
気楽に接せられる親戚の叔父といった印象だ。
宗利に促され、悠斗たちは屋敷の中へ入った。
引き戸を開けると、
木の床と畳の匂いが混じった、ひんやりとした空気が流れてくる。
玄関は広く、装飾は少ない。
古い家屋らしい落ち着きだけがあった。
廊下を進むと、
障子越しに庭がちらりと見える。
歩くたび、床が小さく軋む音を立てた。
案内されたのは、奥の座敷だった。
畳敷きの部屋に、低い座卓と座布団。
床の間には、控えめな掛け軸と生け花が置かれている。
座敷に入ると、
悠斗、結乃、エウラの三人は勧められた座布団に腰を下ろした。
悠斗は座卓の正面に、
結乃はその隣に自然と座る。
エウラは少し間を空け、どかりと座り込んだ。
畳の感触が、じんわりと伝わってくる。
屋敷の中は静かで、
外の気配はほとんど感じられなかった。
数分ほど待つと、
廊下のほうから足音が近づいてきた。
障子が静かに開き、
宗利が一人の少女を連れて部屋に入ってくる。
「……こちらが、娘の美沙です」
斎藤美沙は、高校三年生らしい年頃の少女だった。
長い黒髪を後ろでまとめ、制服ではなく、
落ち着いた色合いの私服を身に着けている。
派手さはない。
だが、どこか緊張した様子で背筋を伸ばし、
周囲を警戒するように視線を巡らせていた。
整った顔立ちだが、
目の下にはわずかに疲れの影がある。
無理に平静を装っていることが、
一目で分かる表情だった。
美沙は三人を見ると、
小さく頭を下げる。
「美沙先輩、初めまして」
結乃が、にこっと笑って声をかけた。
「……あなたは?」
美沙が少し戸惑ったように尋ねる。
「私は聖嶺高校二年B組の、久我結乃といいます」
その名前を聞いて、
美沙の表情がわずかに変わった。
「あ……あなたが……
その、術理士……でしたっけ?」
「そうです」
結乃は、迷いなく答えた。
「父から話は聞いていましたけど……
正直、半信半疑で……すみません……」
美沙はそう言って、視線を落とす。
「いいんです」
結乃は、きっぱりと言った。
「私たちは隠していますから。
知らないのが普通ですし、
本来は、知らないほうが身のためなんです」
――直球だな。
悠斗は内心でそう思う。
「……そう、ですよね」
美沙は小さくうなずいた。
「でも……
今、私に起きていることを考えると……
不思議じゃないんだな、って思います」
声が少し震える。
「……怖いです」
「美沙……」
宗利が、思わず心配そうな声を上げた。
美沙は顔を上げる。
「でも……結乃さんは、私より年下なのに、
すごくしっかりしていて……」
美沙は、結乃をまっすぐに見た。
「だから……
私もしっかりしなきゃ、って思いました。
よろしくお願いします」
「はい」
結乃は、にっこりと笑う。
「一緒に、頑張りましょう」




