――第2話 事の顛末と妙案――
資料をまとめ、身の回りの準備をしながら、
悠斗はふと、先日屋敷を訪ねてきた人物のことを思い出す。
――水野洋子。
※※※
あの日、洋子はいつもと変わらない調子で言っていた。
「藍のことなら、しばらくは心配いらないよ。
私のリネアを受けて、無事でいられるはずがないし、
外殻も結乃ちゃんがぶっ壊したからね」
肩をすくめるように、軽く続ける。
「TIMMAに目をつけられないよう、
しばらくは大人しく隠れるだろさ」
さらに付け加えるように、こうも言った。
「大高野神社も無事だよ。
あそこは、私のリネアで作った地形だからね」
まるで、庭の手入れでも報告するかのような口調だった。
「その代わり、私のリネアもしばらくは使えなくなっちゃったけどさ。
だから、しばらくは大人しくするよ」
そう言って、あっけらかんと笑っていた。
別れ際には、
「じゃあね、悠斗くん。
これからも大変だろうけど、何かあったら私も頼っていいから」
そう言って、連絡先を差し出してきた。
電話番号を交換しながら、
悠斗は思った。
――相変わらずだな。
洋子先生は、やっぱり洋子先生だ。
どこか懐かしさを覚えながら、
悠斗は小さく息を吐いた。
※※※
そんな、他愛のないやり取りを思い出していた。
そのとき――
脳裏に、唐突に声が蘇る。
『殺してやる。
私のお父さんは“正義”だ。
こんな判決に関与した奴は、全員、私が――殺してやる』
ずきん、と。
頭の奥を、鋭い痛みが貫いた。
思い出したくなかった過去。
忘れたつもりでいた言葉。
悠斗は、思わずこめかみに手を当てる。
――また、だ。
悠斗は、振り払うように頭を振った。
「……」
それにしても、と改めて思う。
洋子先生が、
“水”のリネア使い――水主・霧羽乃命
だったなんて。
水主。
日本出身のリネア使い。
1773年生まれ。
出羽国・羽黒山麓、霧生村の出身。
雨乞いを担う「天神子」の一族。
「……あの人、本当に巫女だったのかよ」
苦笑しながら、あの夜の舞を思い出す。
月明かりの下で、静かに、
しかし確かに空気を変えていく舞。
――確かに、美しかった。
そこには、積み重ねられた伝統と歴史があった。
心を動かされたのは、否定できない。
「でも……なんか、納得できないな」
そう呟いて、悠斗は資料を閉じた。
水主に関する資料は驚くほど少ない。
TIMMAの記録上、
水主のリネアが観測された例は、過去にたった一度しかない。
今回の藍との戦闘は、
研究者にとっては喉から手が出るほど貴重な機会だったはずだ。
もっとも――
その戦闘は、水野が作り出した空間の中で行われ、
しかもその空間自体を藍が破壊してしまった。
残ったのは、断片的な記録と証言だけ。
研究対象としては、ほとんど何も残っていないに等しい。
「あの人も……二百歳、超えてるのか……」
ぽつりと漏れた言葉。
考えてみれば、リネア使いという存在は、
寿命という壁を、あまりにも軽々と超えていく者ばかりだ。
悠斗は、自分の中にあった
「人は老い、死ぬものだ」という常識が、
音を立てて崩れていくのを感じていた。
「悠斗ー!」
ロビーから、エウラの声が響いてきた。
……とりあえず、行くか。
そう思って席を立ち、悠斗はロビーへ向かう。
※※※
ロビーには、エウラと祈がいた。
「悠斗! 祈が邪魔なの! どかして!」
呼ばれて出てきたことを、悠斗は一瞬で後悔した。
「エウラ。君が悪い。祈さんの言うことを聞きなさい」
即答だった。
「悠斗まで!? 私、まだ何も言ってない!」
――言わなくても、大体分かる。
どうせ「外に出たい」んだろう。
エウラの言う“外”とは、町まで、という意味だ。
久我家の屋敷は、敷地も含めてかなり広い。
さらに、“久我家の秘術”――今では魔法だが、
屋敷そのものが強固に守られている。
リネア使いであっても、簡単に壊せるものではないらしい。
加えて、ここは山中だ。
エウラの処遇が決まるまでは、
久我家の屋敷に隔離する――という方針は、すでに決定事項だった。
だが、その当人はというと。
「少し、調味料を買ってくるだけだから!
悠斗もいれば大丈夫でしょ!」
――明らかに、調味料だけで済む顔ではない。
はぁ、と祈がため息をつく。
「エウラ様。わがままを言わないでください。
あなたのお力は、非常に強力なのです」
「屋敷内であれば、魔法で何とか抑え込めるかもしれません。
ですが、街中では……あなたのリネアは危険すぎます」
「祈ぃ……」
理屈で勝てないと悟ると、即座に感情に訴えてくる。
このあたり、無駄に場慣れしている。
――もっとも、祈さんはそんなことで揺らがないのだが。
「悠斗! なんとかして!」
はい、来た。
正直、今すぐ帰りたい。
だが同時に、エウラのリネアについて
何かしら考えないといけないのも事実だった。
(“死”が発動条件……転移、死、発動……)
ふと、一つの案が浮かぶ。
「祈さん。結乃って、今どこにいます?」
祈は少し不思議そうな顔をしてから、
「今は自室で、惰眠をむさぼっているかと」
と、容赦のない報告をした。
「なるほど」
悠斗は軽くうなずく。
「エウラ」
にやりと、少し悪い顔をする。
「なに?」
エウラは警戒もせず、まっすぐこちらを見る。
「結乃のところに行って、起こしてきてくれ」
「わかった!」
即答だった。
エウラはそのまま、結乃の自室へと走っていく。
「僕が行くと、結乃の機嫌を損ねるからね」
――まあ、エウラが行ったら、
もっと機嫌を損ねそうな気もするが。
それは、口にしないでおく。
数秒後。
言い争いをしながら、
ロビーへ降りてくる結乃の姿が見えた。




