――第21話 エウラの心――
私の人生は、
痛みと苦痛ばかりだった。
生まれ落ちたその瞬間から、
たぶん運命はもう決まっていたのだと思う。
“日の魔女”なんて呼ばれる、
はるか以前から。
私の人生は、
誰かの感情の澱み、
負の念、
呪詛、
恨み、
嫉妬——
そういったものの吹き溜まりの中で、
ただ漂い続けていたような気さえする。
気づいたときには、
大陸のどこかにいて。
気づいたときには、
人の群れの中にいて。
気づいたときには、
みんな死んでいて。
そして——
気づいたときには、
私だけが生きていた。
そんなことの、
繰り返しだった。
日本の洋舞林県に来たのは――
もう、10年前になる。
あれは、カシウスの襲撃がきっかけだった。
私がそれまで住んでいた町は、一夜にして壊滅した。
町そのものが消えたわけじゃない。
ただ、私の周囲だけが地獄になったのだ。
建物は残っていた。
道も残っていた。
空気も、風も、匂いも、すべて残っていた。
けれど――
“人の心”だけが、残らなかった。
みんな、壊れてしまった。
私はあの頃、保育士をしていた。
子どもたちの面倒を見るのは、好きだった。
何百年と生きた魔女が、
なんの因果か、小さな園児たちと毎日笑いながら過ごしていた――
今にして思えば、
それは皮肉というより、
残酷な運命の悪戯だったのかもしれない。
あの子たちの手は小さくて、
笑うと口が三日月みたいに曲がって、
風邪を引くと、熱が上がって泣きべそをかく。
そんな――
“当たり前の子ども”たちを、
私は確かに、愛していた。
魔女なんて呼ばれて、
何百年も孤独に生きてきた私だけど、
あの子たちと過ごした何気ない時間は、
ようやく手に入れた、
一つの小さな安息だった。
――でも。
私が、カシウスに殺され、
同時にリネアが発動した。
私の死は、
ただ私ひとりの死では終わらなかった。
私の“リネア”は、
死の瞬間、黒い瘴気となって周囲にあふれ出す。
それは、感情を喰う。
思考を奪う。
魂を曇らせ、
未来を、可能性を、望みを――飲み込んでいく。
私が面倒を見ていた子どもたちも、
その親たちも――
みんな、
生きる屍になった。
皮肉なことに、
身体の生命機能だけは維持してしまう。
死なせてやることも、できなかった。
ただ、
感情と、意思と、未来を奪われたまま――
今も、どこかで、生き続けている。
リネア研究病院。
――きっと、あそこに収容されている。
あそこが単なる“病院”なんかじゃないことくらい、
私には分かっている。
名ばかりだ。
実際は、
リネアに汚染された人間を研究し、
解剖し、
分解していくための、
冷たい研究施設。
治療だの、研究だのと口では言っているが、
実態はただの人体実験だ。
生きたまま脳を切り出された子も、
きっといるのだろう。
私は、見に行けなかった。
見れば、
本当に壊れてしまうと思ったから。
――すべて、私のせいだ。
私のせいで、
あの子たちの未来は奪われた。
私が死んだ瞬間、
私のリネアが溢れ出したせいで、
何も関係のない人たちまで巻き込んだ。
その事実は、
心臓よりも重く、
骨よりも冷たく、
血よりも苦い。
でも、それでも。
「……これで、何回目だろう」
私は、そう思う。
数えるのは、もうやめた。
反省したつもりになって、
罪悪感を抱えて、
数十年は人前から姿を消す。
ひっそりと山奥に潜んだり、
廃村に身を隠したり、
国境を越え、
大陸を渡り、
とにかく誰からも離れる。
――何百年も。
私は、それを繰り返してきた。
だけど、数年も経つと、
私は決まって、人と触れ合いたくなる。
社会に戻りたくなる。
誰かと笑いたくなる。
誰かの声を、ただ聞きたくなる。
自分の存在が、
誰かの日常の中で、ほんの少しでも意味を持つ――
そんな、ありふれた生活が欲しくなる。
ずっとひとりでいると、
頭がおかしくなりそうになる。
その孤独は、
体の痛みよりもずっと深く、
ずっと長く、
ずっと鋭く、
私の心を静かに、確実にむしばんできた。
私は、強くなんてない。
魔女と呼ばれていても、
心の中身は、ただの人間のままだ。
寂しさに耐えられない。
孤独に勝てない。
だから私は、
また人里に下りてしまう。
自分が災厄を振りまく存在だと分かっていても、
それでも、
どうしても、どうしても、
この苦痛に勝てない。
――本当に、情けない話だ。
私の心は、強くない。
強くないから、
誰かに殺してほしいとさえ思ってしまう。
終わりにしたい。
すべてを、終わりにしたい。
でも――
誰も、終わらせてくれない。
カシウスは、私を殺す。
そして、リネアを暴発させる。
だが――
カシウスでさえ、私を完全に終わらせることはできない。
私は死ぬたび、どこかで目を覚ます。
気づけば、地図も常識も違う土地に放り出され、
また孤独が始まる。
それは、永遠の罰のようだった。
誰も、私を終わらせてはくれない。
そして、私自身も――終わりきれない。
だが、こうも思ってしまう。
「誰にも終わってほしくない」
――それが、いちばん残酷な本音だ。
矛盾している。
矛盾だらけだ。
誰かに殺してほしいのに、
誰にも死んでほしくない。
私の前に立つ者が、死ぬのが嫌だ。
想像するだけで、胸の奥がひどく冷える。
今、目の前で必死に私を守ろうとしている青年――真神悠斗。
彼にも、死んでほしくない。
カシウスとは、百年の付き合いだ。
長い、長い時間、私の人生に絡みついてきた、暴風みたいな男。
分かっている。
人間が、カシウスに勝てるはずがない。
今までも、私を守ろうとしてくれた人はいた。
必死に盾となり、剣を振るい、術理を重ね、祈りを捧げた人たちもいた。
でも――誰も、勝てなかった。
正確には、
誰一人として、カシウス“から”私を守ることができなかった。
カシウスは、私を殺す。
“私を”殺すことを、最優先する。
そうすれば必然的に、
近くにいる人間は、私のリネアの影響から逃れられない。
カシウスだけは、対策をしている。
だから彼だけが私のリネアに耐え、
他の者は――全員、壊れていく。
だから。
悠斗のしていることは、無駄だ。
私を守ろうだなんて、無謀すぎる。
彼がどんなに頑張っても、
どんな力を振るっても、
絶対に――私は守れない。
だからやめてほしい。
逃げてほしい。
見捨ててほしい。
けれど、あの目。
悠斗の目は、何度も私が見てきた目だ。
私を守ろうとする目。
私の死を“是”としない目。
「私が殺されることは絶対に許されない」
そう言っているみたいな、強い、痛い、まっすぐな目だ。
“だから彼は逃げない。”
“たとえ自分が犠牲になっても、私を見捨てない。”
そんなこと、私は望んでいないのに。
でも……
でもね――
悠斗は、他の誰も言ってくれなかった言葉をくれた。
『僕が君を死なせてあげると言ったら?』
あの瞬間、息が止まった。
胸の奥に、何百年も触れたことのない温度が流れ込んだ。
私を殺してくれる。
私の呪いごと終わらせてくれる。
それを、あんな優しい声で、あんな穏やかな表情で、言ってくれた。
矛盾している。
狂っている。
でも、あまりにも優しかった。
その優しさに触れた瞬間、私は思ってしまった。
――この子を守りたい。
――死んでほしくない。
私は、感情に流されやすい人間だ。
自分でも嫌になる女だ。
――気に入った人間には死んでほしくない。
――特別な人は、失いたくない。
本当に変わらない。
何百年経っても、私は学ばない。
学ばないまま、生き続けている。
いやになるわ。
本当に、いやになる。
でも――それでも。
私は今、悠斗の存在が、私の心をわずかに温めていることを否定できない。
それが――
私という魔女の、どうしようもない真実なのだ。




