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弁護士は、現代社会に暮らす、悲しみを抱いた魔女達を救いたい  作者: れさ
第二章 最古の魔女と呼ばれし者

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――第19話 白い世界で――

出口のすぐ先。


逃げ道として残された、唯一の細い道を塞ぐように、

男がひとり、静かに立っていた。


黒いローブ。

軍服の上から羽織るように纏われたそれには、

特別な印が縫い込まれている。


周囲の空気が歪んでいた。


熱でも冷気でもない。


ただ、密度そのものが変質しているような違和感。


そこに立っているだけで、

他の兵士たちとは“格が違う”と本能が告げてくる。


侵略軍――

その筆頭術理師。


兵士たちはすでに村の内部へ散っていた。


悲鳴と炎の中心へ。


ここにいるのは、この男ただ一人。


逃げ道は、完全に断たれていた。


「悪いが、ここを通すわけにはいかん」


男は淡々と告げる。


炎に照らされた横顔には、

罪悪感も、躊躇も、迷いもない。


ただ命令を実行するためだけに在る者の顔。


「命令だ。村人は全員、殺せと」


その言葉は、

まるで「今日は晴れだ」と告げるかのように軽かった。


「トリオ・ブレイク《ルイン・ボム》……デプロイ」


次の瞬間——


ぼんっ。


ルイスの右腕が、不自然に膨らんだ。

それは、本当に一瞬の出来事だった。

違和感を覚える暇すらないほど、唐突に。


膨張は限界を超え、

そのまま——破裂した。


「――――っ!!」


血と骨と肉片が、

花びらのように宙へ舞う。


赤い飛沫が散り、

熱を帯びたそれがエウラの頬を打った。


「ルイスーーー!!」


喉が裂けるような叫びが、

考えるより先に、勝手に溢れ出た。


「すまないな」


筆頭術理師は、

本当に「申し訳なさそうに」眉をひそめた。


だがその表情には、

どこか薄い興味——

観察者のそれが混じっていた。


「苦しみを与えるつもりはなかったのだが……

 新しい術理というものは、

 どうしても実戦で試すしかなくてな。

 すぐ、楽にしてやる」


その言葉は、謝罪ではなかった。


ただの報告。


実験結果に対する、簡素な所感にすぎない。


「やめて!!

 ルイスを殺さないで!!

 お願いだから、やめて!!」


エウラは叫ぶ。


足がすくみ、動かない。


駆け寄りたいのに、

身体がまるで別物のように言うことを聞かなかった。


「お願い……もう、やめて……」


その懇願に、

男は小さく首を振る。


「命令だからな」


淡々と。


「……デプロイ」


今度は、ルイスの首が膨らんだ。

エウラの時間は、その瞬間だけ極端に引き伸ばされる。


膨らんでいく首の皮膚が、

内側から押し広げられ、

薄く張り詰めた膜のように、細かく震えていた。


次の瞬間——


ぼんっ、と

軽い破裂音。


首は宙に舞い、

スローモーションのように、

きれいな弧を描いて飛んでいく。


血のしずくが、

空中で赤い線を引いた。


その向こう側で、

炎に包まれたリルム村が、

蜃気楼のようにゆらゆらと揺れていた。


飛んでいくルイスの首と、

目が合う。


大きく見開かれた瞳。


驚きとも、恐怖とも、悲しみともつかない——

ただ一瞬だけ宿った、名前を持たない感情。


その口が、


ほんのわずかに動いたように見えた。


――「生きて」。


そう、

ルイスの口が動いたと、

エウラには確かに見えた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」


喉が裂けても構わなかった。


肺が潰れても構わなかった。


心臓が止まっても構わなかった。


ただ、


叫ばずにはいられなかった。


——うらやましい。


心の中で、

言葉が弾けた。


うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい——。


死ねることが、うらやましい。

終わりを与えられることが、うらやましい。


大切なものを失って、

痛みを抱えたまま、

それでも——終われることが。


どうしようもなく、


うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい——妬ましい。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


——ガチャ。


なにかの扉が開いたような音がした。


金属音とも、木の軋みともつかない、

この世界のどの音にも当てはまらない「カチリ」という感触だけが、

直接、耳ではなく脳の奥に落ちてくる。


鍵が外れ、

長いあいだ封じられていた何かが、

静かに、しかし確実に開いていく——

そんな“予感そのもの”の音。


音が消えたときには、

炎も悲鳴も、血の匂いも、すべてがどこかへ溶けていた。


気づくと、エウラは真っ白な空間に立っていた。


足元も、空も、遠くも近くも、

すべてが白。


白というより、“なにも塗られていない面”だけで構成されたような世界。


線も影も、境界も存在しない。

自分の影すら、足元に落ちていない。


音も匂いもない。

風も、温度も、感触もない。


皮膚が、空気というものの存在を忘れてしまったかのように、

なにも触れてこない“無”の中にある。


ただ、“白だけ”がある。


その白は、優しい光でも、眩しい輝きでもない。

ただ、世界から色と輪郭と意味だけを削り取ったあとに残る“余白”のようだった。


その中央に、一本の巨樹がそびえている。


いつからそこにあったのか分からない。

視界を上げたときには、すでにそこに“在った”としか言いようがない。


枝は空へと、無限に伸びているように見えた。

だが、その“空”さえ白一色で、どこまでが枝でどこからが空か、境目がない。


葉は一枚もない。

冬枯れの木とも違う。

そもそも“葉があった形跡”すら感じられず、

最初から「葉を必要としていない」生き物のようだった。


幹は異様なほど太く、

人間の家がまるごと何軒も埋まりそうなほどの質量を持ちながら、

そこに重みは感じられない。


ただ“在る”という事実だけが、圧のように迫ってくる。


幹の表面には、いくつもの刻まれた傷や紋様が走っている。

それは自然に生じた年輪やひび割れではなく、

誰かが意図して刻んだ「文字」のようだった。


古代語とも違う。

術理師が使う術理記号とも違う。


見たことのない線の連なりなのに、

エウラの脳のどこかが勝手に「読んではいけない」と告げてくる。


その巨樹から伸びた根が——

ずるり、と音もなく動いた。


本来なら土の中に潜んでいるはずの根が、

白い何もない空間の上を、蛇のように這っている。


現実感のない、ゆっくりとした動き。

ただ、その“遅さ”に反して、近づいてくる速度だけは妙に速く感じられた。


じわ、じわ、と視界の端から侵食してくるように、

気づけば目の前まで迫っている。


根は、まっすぐエウラの胸へと伸びてきた。


逃げようとしても、足が動かない。

足に鎖が絡んでいるわけでも、

見えない手に押さえつけられているわけでもない。


「逃げなきゃ」と思うより先に、

身体そのものが「これは逃げる類のものではない」と諦めてしまったような感覚。


怖いとも思わない。


恐怖という感情すら、この白い世界には存在していないようだった。


代わりにあるのは、

“あまりにも当然のことが、今起こっている”という、

妙な納得だけ。


——ああ、そうか。


——これは最初から決まっていたことなんだ。


そんな考えが、自然と心に浮かぶ。


ただ、あまりにも“当然のこと”のように、

エウラはその光景を見ていた。


——根が、エウラの胸を貫いた。


皮膚を破る感触も、

骨を割る感触もなかった。


どこにも“痛み”という情報がないまま、

ただ、境界線を無視して内側へ入り込んでくる。


心臓を、突き刺す。


鼓動が、一瞬だけ止まった。


普通なら、ここで悲鳴が上がるはずだった。

だが、喉も、心も、そのどちらも動かなかった。


痛みは、なかった。

それはかえって恐ろしいほどだった。


痛みがないということは、

「これは傷ではない」と世界に宣言されているようなものだ。


心臓を掴まれ、

なにかを流し込まれ、

なにかを根こそぎ奪われる感覚。


流し込まれてくるのは熱ではない。

冷たさでもない。

感情でも、記憶でもない。

もっと曖昧で、もっと根源的な——

“世界に対するあり方”そのものを、別の形に書き換えられているような感覚。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


——意識は再び、

ルイスの首が飛んだ瞬間へと巻き戻る。


今度は、

冷静にその光景を見ている自分がいた。


炎も、


血も、


悲鳴も、


すべてがガラスの向こう側の出来事のように、

どこか遠くに感じられる。


エウラは、

はっきりと思った。


――妬ましい。


死ぬことができて、

羨ましい。


ああ、

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ——。


心の中の叫びが、

そのまま形になって、

世界を満たしていく。


その瞬間、

エウラの髪は銀色へと染まっていった。


一本、


また一本と、


小麦色の髪が色を失い、

月光を溶かしたような

冷たい銀色へと変わっていく。


「……ん?」


筆頭術理士が、

ようやくエウラへと視線を向けた。


「なんだ、お前は」


炎の向こうから、

値踏みするような声。


「髪の色が変わるのは、めずらしい現象だな。

 まあいい」


男は淡々と結論を出す。


「命令を執行する。

 ——安らかに眠れ」


そう言って、

男は静かに手をかざした。


ぼんっ。


エウラの首もまた、

膨らみ——破裂した。


あの独特の圧。


皮膚の下で何かが暴れ、

内側から押し広げられていく感覚。


脈打つようで、

逃げ場のない、不快な膨張。


そして――


“割れた”という感触だけは、

確かにあった。


肉が裂ける感覚。

だがそれは、痛みとして伝わらない。


身体の構造そのものが変質し、

崩れ、

別の配置へと組み替えられていくような、

奇妙に冷静な変形の実感だけが、

内側から伝わってくる。


骨が砕ける音。


それも、耳で聞こえる音ではない。


自分自身の輪郭が壊れていくときの、

「自分が自分でなくなる瞬間」に生じる

言葉にならない違和感として、

内側に響いた。


視界が反転する。


世界が、遠ざかる。


普通なら——

ここで暗転するはずだった。

脳が揺さぶられ、

意識が吹き飛び、

すべてが終わるはずだった。


でも。


落ちない。


意識は、沈まない。


落ちていくのではなく、

世界のほうが、

ゆっくりと、なめらかに、

まるで溶けるように

“引いていく”。


自分の身体が地面に倒れたのかどうか、

それすら分からない。


上下の感覚が消える。


重さも、方向も、意味を失う。


世界が、ぐにゃりと形を崩し、

風景が粘土のように歪んでいく。


——それでも、


意識だけが、


そこに在り続けていた。


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