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弁護士は、現代社会に暮らす、悲しみを抱いた魔女達を救いたい  作者: れさ
第二章 最古の魔女と呼ばれし者

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――第18話 絶望の壁――

1525年。


リルム村は、ついにカリス帝国侵略軍の進攻を受けた。


朝から、空の色がおかしかった。

いつもなら澄んだ青に白い雲が浮かぶはずの空に、

その日は、遠くから黒い煙が筋のように立ち上っていた。

風が運んでくる焦げた匂いが、

村の端から端まで、じわじわと染み込んでくる。


「火事……?

 いや、これは……」


ケリスが顔をしかめる。


リッカはエプロンで濡れた手を拭きながら、

不安そうに空を見上げた。


ルイスは何も言わず、

ぎゅっとエウラの袖を握る。


不吉な予感は、

当たるときに限って、よく当たる。


やがて——

遠くで、爆音が響いた。


どん、と腹の奥に響く鈍い音。

地面が、ほんのわずかに揺れた気がした。


次の瞬間、

鳥たちが一斉に空へ舞い上がり、

森の奥へと逃げていく。


そして——


悲鳴。


最初の一声が耳に届いた、その瞬間、

エウラの背筋を、

冷たいものがすっと走った。



「ケリス!

 ルイスとエウラを連れて!」


リッカの叫びは、

炎と悲鳴が渦巻く中でも、はっきりと届いた。


いつもの柔らかな声じゃない。


喉が裂けそうなほど張り上げた、

必死な叫びだった。


ケリスは短くうなずく。

その横顔は、明らかに怯えている。


それでも——

“父親の顔”を崩すまいと、必死に踏みとどまっているのが分かった。


——いやだ。


胸の奥で、

ぽつりと小さな声が生まれる。


だが、もう遅い。

村の中では、兵士の怒号が響いていた。


命令を叩きつける声。

楽しげに笑う声。

悲鳴をかき消す、鉄と鉄のぶつかる音。

それらすべてが絡まり合い、

世界が壊れていく音になっていた。


村は——

焼かれていた。


さっきまで、ただの風よけだった木の壁が、

今は燃えるためだけに存在しているかのように、赤くうねっている。


稲光のような火が家々を呑み込み、

“家”だったものを、

あっという間に、ただの燃える木片へと変えていく。


倒れた人影の上を、

鉄の靴音が、何度も何度も踏みつけていく。


誰かの腕だったものが、

ただの障害物みたいに蹴られ、

地面を転がった。


——いやだ。


こんなの、いやだ。


ここは、

こんな場所じゃなかったのに。


「はぁ、はぁ……エウラ!

 こっち! こっちからなら逃げられる!」


ルイスが必死に手を引く。

小さな手が、はっきりと震えている。


怖くないはずがない。

それでも、その手はエウラを離さない。

引き返そうとも、立ち止まろうともしない。


その力は、驚くほど強かった。

“逃げるため”の力じゃない。

“エウラを逃がすため”の力だった。


(いやだ。行きたくない。

 ここから離れたくない。

 ケリス父さんと、リッカ母さんを置いていきたくない。

 二人を残して、自分だけ逃げるなんて——

 そんなの、いやだ)


「ルイス!

 ケリス父さんと、リッカ母さんが――!」


言葉にした瞬間、喉が焼けるように痛んだ。

息を吸うたび、煙と灰が肺の奥へ突き刺さる。


エウラは、思わず振り返ろうとする。


燃え上がる家々の隙間。


煙の向こうに、

ケリスとリッカの姿が、確かに見えた気がした。


ケリスの大きな背中。


リッカの、白い布を巻いた髪。


何度も見てきたはずの、当たり前の光景が、

炎と煙によって、ゆっくりと引き裂かれていく。


(いやだ……

 あの背中が消えるのを、見たくない。

 あの人たちが、ここで死ぬなんて……絶対、いやだ)


それでも、足は止められなかった。


今、振り返ればどうなるか——

それくらい、分かっている。


振り返った瞬間、

兵士の刃が伸びてくる。


そこにあるのは、きっと“最悪”だ。

それが怖くて、

見たいのに、見られない。


見てしまったら、

もう二度と立ち上がれなくなる。


本能が、そう告げていた。


「エウラ、いいから!」


ルイスの声が、涙に濡れて震えている。


「いい!?

 あなたは今まで、ずっとつらい目にあってきた。

 ずっと一人で、ずっと痛くて、ずっと苦しくて……

 それでも生きてきたんだよ!」


胸の奥に、言葉が突き刺さる。


「なのに、今やっと……

 やっと笑えるようになったばっかりなんだよ!」


(そうだ。

 ここに来てから、やっと笑えるようになった)


(ケリスを“父さん”って呼んで、

 リッカを“母さん”って呼んで、

 ルイスと笑って、

 一緒にご飯を食べて、

 畑で汗をかいて——)


(本物の“家族”みたいに、してもらって……)


だからこそ——


(いやだ。

 ここで終わるのは、いやだ)


(この人たちが死んで、

 自分だけが生き残るなんて……

 それは、もっといやだ)


息も絶え絶えになりながら、

それでもルイスは、前を向いたまま言葉を紡ぐ。


「だから……

 あなたは“幸せ”にならなくちゃいけないの」


声は震えているのに、

その言葉は、はっきりしていた。


「そのために、父さんも母さんも……

 あなたを逃がすことに、全力を尽くしてるんだよ!」


その瞬間、

エウラの胸の奥で——

何かが、音を立てて崩れかけた。


(なんで……そんなこと言うの。

 なんで、私を逃がすために全力を尽くすなんて言えるの)


(本当は、みんなで逃げればいいのに。

 生き残るのが私一人なんて……

 そんなの、絶対いやなのに)


「だからあなたも——全力で逃げなさい!」


その言葉が、胸に突き刺さる。


(いやだ。逃げたくない。

 でも……逃げなきゃいけないのも、分かってる)


(私がここにいたら、きっと足手まといになる。

 死ねないくせに、守ることもできない)


(だったらせめて、逃げて……

 それが、この人たちへの“ありがとう”なんだって、

 頭では分かってる)


(分かってるのに——

 心が、いやだって泣いてる)


「ルイス……いやだ……

 ケリス父さん……リッカ母さん……」


名前を呼ぶだけで、視界が滲んだ。


涙があとからあとから溢れてきて、

焼けた空も、舞い散る火の粉も、

すべてがぐちゃぐちゃに溶けていく。


膝が震える。

うまく走れない。

足が、鉛のように重い。


一歩進むたびに、


「戻りたい」


「置いていきたくない」


そんな想いが、足首を掴んで引き留めてくる。


それでも——

ルイスは、エウラの手を決して離さなかった。


「大丈夫。あたしが一緒にいるから」


震える声なのに、はっきりと。


「エウラ、一人じゃないから」


(一人じゃない……

 そう言ってくれた人を、

 私はここで失うかもしれないのに?)


(そんなの、いやだ。

 ルイスにだって生きてほしい。

 父さんも母さんも、

 みんなで笑って畑に戻りたい)


(焼けたこの村じゃなくて、

 さっきまでの、あの麦畑へ……

 戻りたい)


そう言って笑ったルイスの横顔は、

炎に照らされて、どこか神々しくさえ見えた。


それは——


“死ぬ覚悟”を決めている人の顔だった。


自分の命よりも、

目の前の少女の未来を優先してしまっている顔。


(いやだ。

 そんな顔しないでよ。

 そんなふうに、私を前に押し出さないでよ)


(みんなで生きる未来を捨ててまで、

 私に“幸せになれ”なんて言わないでよ)


ようやく、村の外れが見えてきた。


出口だ。


そこを抜ければ、森が広がっている。

隠れる場所も、逃げる道もある。


本来なら、その景色は“希望”であるはずだった。


けれど——


エウラには、どうしてもそうは見えなかった。


(ここを抜けたら、

 きっと取り返しがつかない)


(森へ出た瞬間、

 私は本当に

 “一人で生き残る側”になる)


(そんな未来、いらない。

 みんな死ぬのもいやだし、

 私だけ生き残るのは……

 もっと、いやだ)


そのとき——

そこに、“それ”は立っていた。


「そこまでだ」


絶望が目の前を塞いでいた。


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