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弁護士は、現代社会に暮らす、悲しみを抱いた魔女達を、自己犠牲も問わず、救いたい  作者: れさ
第二章 最古の魔女と呼ばれし者

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――第17話 家族――

1524年。


エウラは、その村で暮らし始めた。


畑仕事を手伝えば、皆が目を丸くした。

薪を割れば「力持ちだなあ」と笑われ、

水を汲めば「助かるよ」と肩を叩かれる。


子どもとして扱われることも、

人として感謝されることも、

エウラにとってはどれもが不思議だった。


番号で呼ばれ、

役に立つか否かだけで価値を決められていた日々とは、

あまりにも違いすぎたからだ。


ルイスは毎日のように手を引いてきた。


「ねえ、今日は遊ぼうよ!」


そう言って、当然のように笑う。


麦畑を駆け回り、

木陰で息を整え、

夕暮れには肩を並べて沈む太陽を眺めた。


誰かと同じ時間を過ごすこと。

目的も役割もなく、

ただ“一緒にいる”ということ。

エウラは、少しずつ笑顔を取り戻していった。


死体処理場の暗闇の中で削ぎ落とされていった何かが、

ゆっくり、確かに、胸の奥で息を吹き返していく。


それはまだ、

名前もつけられないほど小さな変化だったが――

確かに、“生きている側”の時間だった。


◆◆◆


その日も、エウラは麦畑で額の汗をぬぐっていた。


初夏の陽光は容赦なく降り注ぎ、

小さな背中にしっとりと汗を貼り付かせる。


風が吹けば、黄金色の麦がざわりと揺れ、

まるで海の波のようにきらめいた。


この光景を見るたび、

エウラは何度でも同じことを思う。


――ああ、きれいだ。


「ケリス父さん、この藁はここでいい?」


腕いっぱいに抱えた藁束を、

畑の端の影へ下ろしながら声をかける。


“父さん”と呼ぶことには、

いまだに少しだけ、くすぐったさが残っていた。


「ああ、助かるよ。もういい、リッカを手伝ってやってくれ」


ケリスは額の汗をぬぐい、

穏やかな笑みをエウラへ向ける。


大きく、ひび割れた手。

これまで幾度となく麦を刈り、

土を耕してきた手だ。


その手から向けられる笑顔には、

どこか土と太陽の匂いが混じっている。


「いいのいいの。リッカお母さんにも頼まれたし!」


「すまないねえ。本当に助かるよ」


そのとき――


「エウラー! おとうさーん!

 お母さんからクッキーの差し入れだよー!」


麦畑の向こうから、元気な声が飛んできた。


ルイスが籠を抱え、

麦をかき分けながらこちらへ走ってくる。


穂先が小さな体に触れ、

金色の髪が陽光を受けてきらきらと跳ねた。


「ありがとう、ルイス。

 リッカお母さんのクッキーは絶品よね!」


籠の中には、小さな丸いクッキーがぎっしり詰まっている。


麦粉と蜂蜜、ほんの少しのナッツ。

焼きたてなのか、まだ温かく、

甘い匂いがふわりと立ち上った。


「父さんの分、エウラの分、あたしの分でしょ〜?

 あ、母さんの分も入ってる!

 ねえねえ、今日のはね、

 いつもよりちょっとだけ砂糖多めなんだって!」


ルイスは誇らしげに胸を張る。


まるで自分が焼いたかのような顔だ。

ケリスは大袈裟に肩をすくめた。


「そりゃあ大事件だな。

 こんな贅沢、年に何度もあるもんじゃない」


「でしょ? だから今日は

 ちょっと頑張ったご褒美なんだってさ!」


そこへ、リッカが手を止めて歩み寄ってくる。


「さ、休憩にしましょう。

 今日はよく働いてくれたからね。

 ケリスも、ちゃんと食べなさいよ」


「おうおう、わかってるとも」


――それは、


誰が見ても特別ではない、

ただの家族のひと幕だった。


けれどエウラにとっては、

世界のどんな奇跡よりも、

胸に深く染み込む光景だった。


畑仕事をして、汗をかいて、

疲れたら休んで、

簡素だけれど温かいものを一緒に食べて、笑い合う——

そんな、どこにでもあるような情景。


けれどエウラにとっては、

それは人生で初めて手に入れた“宝物”だった。


焼きたてのクッキーを噛めば、

さくり、と小さな音がして、

ほんのりとした甘さが舌の上に広がる。


歯に残る、かすかな香ばしさ。

それを、

みんなで「おいしいね」と言い合えること。


誰かと食卓を囲み、

誰かと笑い、

誰かの名前を呼んで、

誰かに自分の名前を呼ばれる。


それが、

こんなにも暖かく、

胸の奥をじんわりと満たすものだなんて——

死体処理場にいたあの頃のエウラには、

想像もできなかった。


「エウラ、クッキー、口の周りについてるわよ」


リッカがくすくす笑いながら、

エウラの口元を指さす。


「えっ、どこどこ!?」


「ここよ」


そう言って、

リッカは指先でそっと口元を拭ってくれる。


くすぐったくて、

恥ずかしくて、

でも、嫌じゃない。


「エウラ、今日もよく働いてくれたな。

 お前がいると、本当に助かる」


ケリスの言葉は、

どこまでも真っ直ぐだった。


「役に立つ」という言葉自体は、

奴隷として何度も聞かされてきたはずなのに、

そこに込められている温度は、まるで違う。


「……私も、ここにいられて嬉しい」


そう、素直に言える自分がいる。


ルイスは二人の間に割り込むように、

ぱっと両腕を広げた。


「じゃあ、はい!

 家族みんなで、ぎゅーってしよ!」


「お、おい、汗でべたべただぞ……」


「いーの!

 それがいいの!」


半ば強引に、

ルイスがエウラとケリスの腕を引っ張る。


リッカも苦笑しながら歩み寄り、

4人で、ぎゅっと抱き合った。


汗の匂い。


麦の匂い。


土の匂い。


焼き菓子の甘い匂い。


そのすべてが、

エウラには愛おしかった。


——ずっと、こうしていたい。


心の中で、

ふと、そんな願いが芽生える。


自分には不似合いな願いだと分かっていても、

一度芽生えたそれは、

もう、消えなかった。


――けれど、その幸福は長く続かない。


この瞬間の暖かさが、

のちにどれほど残酷な“対比”となって

彼女を蝕むのか。


エウラは、

まだ、知らなかった。


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