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弁護士は、現代社会に暮らす、悲しみを抱いた魔女達を救いたい  作者: れさ
第一章 世界の裏側に触れた日

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――第4話 屋敷での一夜――

「この書類がこうで、この書類がこう。これは学校に提出するものね。

 僕が明日、11時に出しに行くから、先生に呼ばれたら来て。どうやら面談もあるみたいだし。

 それから、これが……」


無事に後見人へ就任できたことで、関係各所へ提出する書類の作成や、挨拶回りが一気に押し寄せてきた。

そのため、悠斗は結乃に向けて1つずつ書類の説明を行い、今後は同行してもらう必要があることを伝えていたのだが──


「分からないので、全部先生にお任せします」


結乃はそう言って、書類という存在そのものに興味がないと言わんばかりに、軽く手を振る。


「ダメ」


即座に返す。


「今は理解できなくても、僕には説明責任があるからね。

 退屈かもしれないけど、ちゃんと付き合ってもらうよ」


結乃はむくれたように頬を膨らませ、少し間を置いてから、渋々と頷いた。


「はーい……」


机の上には、山のように積み上がった書類、申請書、委任状、財産目録。


1枚、また1枚と説明を重ねていくうちに、窓の外はすっかり夜の帳に包まれていた。

そして、書類をまとめながら、悠斗は小さく息を吐く。


「ふぅ……。やっぱり、これだけの資産があると、説明するだけでも大変だな。

 続きは、また今度にしようか」


ぼそっと、独り言のように呟いた、その瞬間。

結乃が、そっと小さく手を挙げた。


「先生」


「ん? なに?」


「今日は泊まっていかれてはいかがですか?

 もう遅いですし、ご飯も食べていってください。

 それに、祈のご飯は絶品なんですよ?」


勧められて時計を見ると、すでに夕食時はとっくに過ぎていた。


今から帰って、冷蔵庫を開けて、簡単な料理を作って――そう考えただけで、じわりと疲労が胸に広がる。


(……まあ、今日はいいか。半分は“仕事”みたいなものだし。

 こういう経験も、悪くないよな)


「じゃあ、せっかくだしお言葉に甘えようかな。

 こんな屋敷に泊まれる機会なんて、滅多にないだろうし。楽しみだよ」


「やった! 祈、準備をお願いね」


「かしこまりました、結乃様」


祈は優雅に一礼すると、足音ひとつ立てることなくキッチンへと姿を消した。

その後ろ姿を見送りながら、悠斗はふと考える。


(……この屋敷。時間もあるし、少し調べてみようかな。

 結乃さんの許可を取らないとな)


「結乃さん」


名前を呼ぶと、結乃はむっとしたように眉を寄せ、こちらをにらみつけた。


「”結乃”、で結構です。

 先生に“さん”付けされると……なんか、いやです」


“なんか、いやです”――


お嬢様らしからぬ、あまりに率直な言い回しに、思わず苦笑がこぼれる。


「じゃあ……結乃。

 少しこのお屋敷を探検してみたいんだけど、祈さんの料理の準備もまだだろうし。

 よかったら、案内してくれないか?」


そう頼むと、結乃は一瞬だけ視線を落とし、迷うように指先をもてあそんだ。


「えっと……そうですね……。

 でしたら……父のコレクションルームなどは、いかがでしょうか?」


わかりやすいほどの戸惑いだった。それでも、今はそれ以上踏み込むつもりはない。


「いいね。ぜひお願いするよ」


そう告げると、結乃は小さくうなずき、静かに立ち上がった。


そして、コレクションルームへと案内するため、少しだけ先を歩き出す。


その背中が、ほんのわずかに緊張しているように見えたのは、気のせいではないだろう。


※※※※※


コレクションルームを一通り見学させてもらった。


場所は東館3階、そのさらに奥にある一室だ。

室内には、絵画、中世の家具、鎧、ヨーロッパ各地の骨董品が所狭しと並んでいる。


どれも博物館や美術館に展示されていても不思議ではない品ばかりで、思わず息をのんだ。

年代も様式もばらばらだが、保存状態は驚くほど良い。


単なる収集ではない。明確な審美眼と、相当な情熱がなければ、ここまで揃えることはできないだろう。

そして何より、それを支えるだけの資金力。

改めて、久我家という家の規模と底知れなさを実感させられた。


※※※※※


その後、祈の手料理を存分に堪能した。


「どうですか?」とでも言いたげな、結乃の自慢気な表情に負けるまでもなく、文句のつけようがないほど美味だった。

まるで高級料理店のフルコースを、そのまま食卓に移したかのような味と盛り付け。

素材の主張と調和の取り方が絶妙で、ただただ感心するばかりだ。

気づけば、心も腹もすっかり満たされていた。


食後にはティータイムが用意され、祈が静かな所作で紅茶を淹れ始める。

白磁のティーポットは、深い光沢を帯びた上品な佇まいだった。

その様子を見て、思わず口を挟んでしまう。


「祈さん、そのポットって……どこのものですか?」


「《ヴァルヘルム&ローエ》のものです。

 結乃様がお選びになりました。保温性と香りの立ち上がりに定評がございます」


「なるほど……」


――まったく、ぜんぜん、わからなかった。


名前が高尚すぎて、頭の中を素通りしていく。

だが、少なくともひとつだけははっきりしている。


(……高いってことだけは、間違いないな)


そう思いながら、湯気の立つカップにそっと手を伸ばした。

湯気の向こうから、ふわりと甘く、奥行きのある香りが広がる。


「この紅茶もすごいね。

 《ノクス・オリエンス・ゴールデンティップ》だっけ?……かなり上質だよね?」


「はい。低温域で香りを開かせる茶葉ですので、祈には淹れ方に気を配ってもらっています」


結乃が少し誇らしげに言う。


「……すごいな。

 結乃、この紅茶の銘柄も選び方も見事だし、祈さんの抽出技術も本当に素晴らしい。

 温度管理と香りの立ち方、完璧だった」


結乃は少し照れたように目を逸らしながら、満面の笑顔で言う。


「……でしょ?」


「とても勉強になったし、楽しい時間だった。ありがとう」


素直にそう伝えると、祈は静かに微笑み、結乃はどこか誇らしげに胸を張った。


この屋敷を調査するという、当初の目的が、少しずつ輪郭を失いつつあることを、悠斗ははっきりと自覚していた。

警戒心や義務感よりも先に、居心地の良さが胸に残っている。


(……ここに住んでも、いいかな)


そんな考えがふと頭をよぎり、悠斗は自分でも意外に思いながら、カップの中で揺れる紅茶を見つめた。


※※※※※


ティータイムの後、祈に案内されて浴場へ向かった。

脱衣所の扉を開けた瞬間、思わず声が漏れる。


「す、すごい……。これ、大浴場じゃないか」


案内役の祈は胸の前で手を合わせ、静かに微笑んだ。


「いえ、今日は特別でございます。真神様の“初宿泊記念”ですので。

 普段は別棟の浴室を使用しております」


――別棟にも風呂があるのか。

いったい何か所あるんだ。

怖くて聞けない。


「なんだか申し訳ないですね。掃除も大変でしょうし、手伝いましょうか?」


「いえいえ、お気になさらず。これもメイドとして当然の務めでございます。

 真神様は、どうぞゆっくりお体と心をお休めください」


「あ、ありがとうございます。では……楽しませてもらいますね」


祈はぺこりと一礼し、音もなくその場を後にした。


湯気の向こうには、ホテルの大浴場以上の空間が広がっている。

普段はシャワーで済ませることが多い身には、もはや別世界だった。


湯に身を沈めた瞬間、全身の力がふっと抜けていく。

肩に乗っていた重みが、じわじわとほどけていくようだ。


「……貸し切りの銭湯って感じだな。

 ほんと、すごい。感動だ」


天井を見上げながら、悠斗は静かに息を吐いた。


※※※※※


風呂上がり、脱衣所には寝巻と小さなメモが置かれていた。


『真神様、こちらの寝巻をお使いください。

下着とスーツは明日までに洗濯しておきます。

着替えられましたらロビーへお越しください。』


「……高級ホテル並みのサービスだな。」


思わず苦笑しながら寝巻に袖を通し、ロビーへ向かう。


そこでは、いつの間にか寝巻へ着替えた結乃が、紅茶を上品に口へ運んでいた。

いつの間にか結乃はお風呂に入っていたらしい。


髪はまだわずかに濡れて艶があり、上品な香りがロビーにふわりと広がっている。

若いのに絵になる──いや、外見の若さに反して、どこかしっとりとした女性らしい色気まで感じられる。


悠斗が近づくと、結乃はぱっと顔をほころばせた。


「先生! ご一緒に、風呂上がりの紅茶はいかがですか?

 茶菓子も、今日は特別なんですよ」


「え、いいの? じゃあ、いただこうかな」


――風呂の後って、コーヒー牛乳じゃないんだな。

そんなことを思っていると、結乃はそれを見透かしたように、少しいたずらっぽく笑った。


「ふふ。この紅茶の種類を当てられたら、ごちそうになってもいいですよー?」


そう言って、わざとらしく目を閉じ、顎をくいっと上げる。


“どう?”とでも言いたげに鼻を鳴らす仕草が、あまりにも自慢げで、思わず笑ってしまった。


「うーん……たぶん、《セレニア・ジャスミングリーン》かな。

 珍しいよね。緑茶に近いけど、後から花の香りがふわっと立つ。

 この感じ、僕も結構好きだよ」


次の瞬間、結乃はぱっと目を見開いた。


「えー!? わかるんですか??

 ちょっと驚かせようと思っていたのに……」


本気で悔しそうな声だ。

そんな結乃の反応をよそに、祈は最初から結果なんて関係なかったような、落ち着いた様子で、湯気の立つカップを差し出してきた。


「どうぞ。本日は湯上がりですので、渋みを抑えた配合にしております」


悠斗は苦笑しながらカップを受け取り、立ち上る香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


「ありがとうございます、祈さん。……本当に、なにからなにまで申し訳ないです」


「お気になさらず。これも私の仕事でございますから。

 先生と同じですよ。それより――明日の朝食のご希望はございますか?」


「そう言っていただけると、頼みやすいですね。

 ただ、えっと……実は、いつも朝ごはんは食べないんです」


その言葉を聞いた瞬間、祈の目がきゅっと細くなった。


「だめですよ、真神様。

 朝ごはんは、きちんと召し上がってくださいね」


「う……。祈さんがそう言うなら……」


観念したように少し考えてから、頬を掻く。


「うーん、じゃあ……洋食系でお願いしようかな」


「かしこまりました。

 普段、朝食を召し上がらない真神様でも食べやすいよう、軽めにご用意いたしますね。

 どうぞ、明日を楽しみにしていてください」


そう言って、祈は嬉しげに微笑むと、軽やかな足取りでキッチンへと姿を消した。

悠斗は紅茶のカップをそっと置き、結乃に向き直った。


「結乃。正義さんの書斎って、見せてもらうのは難しいかな?」


その瞬間、結乃の手がぴたりと止まり、カップを口元に運ぶ動きが凍りつく。


「……どうしてですか?」


どこか身構えたような声だった。


「いや、少し調べたいことがあってね。

 財産管理を万全にするためにも、久我家のことをもう少し把握しておきたいと思って」


「……やっぱり、久我家は変ですか?」


結乃の目には、はっきりとした戸惑いと不安が浮かんでいた。


「“変”……か。そうだね」


悠斗は一度、言葉を選ぶように間を置いてから続ける。


「結乃は、まだご両親を亡くしたばかりで、気持ちの整理もついていないと思う。

 だから、正直に言えば、僕も無理に深く聞くつもりはないんだ」


そう前置きしてから、静かに本音を口にする。


「ただ、戸籍を見た限りでは……明らかに普通の家系とは違う。

 はっきり言って、これは僕の好奇心から聞いている部分もある。」


結乃の反応を確かめるように、視線を向ける。


「だから、もし嫌だったら断ってくれてかまわない。

 遠慮して、はっきり言えないまま進むのは良くないからね」


「……だめです」


戸惑いを滲ませながらも、結乃ははっきりと言った。


「まだ、先生に見せることはできません。

 で、でも……心の整理ができたら、必ずすべてをお見せします。

 だ、だめ……でしょうか?」


その言葉に、悠斗はふっと表情を緩め、にこりと笑った。


「僕の承諾は不要だよ。

 承諾をもらおうとしているのは、むしろ僕のほうだからね」


そう言って、肩をすくめる。


「ダメなら、それでいいさ。気長に待たせてもらうよ」


「……すみません。ありがとうございます。

 ……それと、先生」


「うん?」


少し言いづらそうに、結乃は続けた。


「話は変わっちゃうんですけど……

 先生は明日、学校に11時に来られるんですよね?」


「そうだね。担任の先生と11時に会う約束をしているから」


そう答えると、結乃はごく冷静な声音で問いを重ねる。


「それまでの時間は、どのようにお過ごしなんですか?」


悠斗はメモ帳を取り出し、スケジュールを確認する。


「9時から一件、面談があるんだ。ほら、聖嶺高校の近くに大高野神社があるだろ?

 あの近くに不動産会社があって、そこの社長と会う約束をしている」


「じゃあ、私も一緒に行ってから登校します」


「え? 遅刻じゃないの?」


思わず声が裏返った。


先ほど書斎の話をしたときは、どこか控えめな印象を受けていたのに、今の一言はまるで最初から決まっていた予定を告げられたかのようだった。


「大丈夫です。私は少し特殊な生徒なので。

 都合があると言えば通りますし、私もけっこう忙しい身ですから。

 先生たちも特例として扱ってくれるんです。――社会科見学ですね」


(学校が一人の生徒にそこまでの特例を……?

 聞いたことはないが、彼女の背景を考えれば、驚くほどの話でもないのかもしれない)


「そ、そうなんだ。まあいいや。じゃあ、車で送っていくよ。一緒に行こう」


「はい。お願いしますね、先生」


結乃は、心から嬉しそうに微笑んだ。


こうして、久我家の屋敷で過ごす初めての一夜は、驚きと戸惑いに満ちながらも、

どこか不思議な温かさに包まれたまま、静かに幕を下ろした。


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