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弁護士は、現代社会に暮らす、悲しみを抱いた魔女達を、自己犠牲も問わず、救いたい  作者: れさ
第2章 最古の魔女と呼ばれし者

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29/86

――第5話 死のにおい――

1518年


バルト海沿岸に位置する小国――

ベクトリア王国は、凍える潮風と疫病に、常に晒されていた。


北から吹きつける海風は、

氷を砕く刃のように冷たく、

王都レムレーンの石造りの建物の隙間を縫って吹き抜けながら、

塩と、湿った土と、

そしてどこか――死の匂いを帯びて運ばれてくる。


海岸に立つ灯台守でさえ、

しばしば、こんな迷信めいた言葉を口にした。


「風が、死人の声を運んでくる」


冬は長く、

夏は、短い。


貧しい農民たちは、

わずかな蓄えを使い果たし、

弱った者から順に、疫病に倒れていった。


市井の人々にとって、

“死”は異常ではなかった。


それは、

四季が巡るのと同じくらい、

当たり前のものだった。


そんな国に生まれた、一人の少女――

エウラは、

その「死」が最も濃く、重く、集まる場所で、

生きていた。


◆◆◆


「次だ、早くしろ。“5番”」


怒鳴り声が、

湿った石壁に反響した。


ここは、王都レムレーンの地下に広がる巨大な処理場。


地上から幾重にも重なる階段を降りた先、

陽光の一欠片も届かぬ場所にある。


運搬用のレールの上を、

今日も死体と汚物を積んだ荷車が、

ぎしぎしと軋みながら進んでくる。


死体は――

兵士、

農民、

旅人、

病人、

子ども。

誰であろうと、平等に腐る。


排せつ物には家畜のものも混ざっており、

粘ついた臭気は、

地面から立ち上る蒸気と絡みつき、

人の鼻腔を焼いた。


処理場には、

20人ほどの奴隷が集められ、

無言で作業を続けている。


彼らの表情に、

生気というものは、ほとんど残っていない。


落ちくぼんだ目。

青白い皮膚。

乾き、ひび割れた唇。


それでも――

生きている限り、彼らは働かされる。


働けなくなれば、

次は自分が“処理対象”になるだけだ。


エウラも、その一人だった。


歳は、10になったばかりの少女。


しかし、この場所では、

名前で呼ばれることはない。


彼女の名前は、ただの番号――“5番”


「これで……6人目、か」


死体の山を前に、

エウラは淡々とつぶやいた。


周囲の大人たちが、

苦々しい表情を浮かべる。


大人ですら、

一日に一体の死体を分解できれば、良いほうだ。


分解術理は多くの体力を奪い、

ふらつきながら、

その場に座り込む者もいる。


だが、エウラは違った。


今日だけで、すでに6体目。


それでも、

息ひとつ乱れていない。


――特異な才能を持っている。


監督官たちは、そう称した。


だが、

少女にとって、それは才能でも何でもない。


ただの“慣れ”。

5年間、繰り返してきた――

日常でしかなかった。


◆◆◆


「エウラは……すごいね。

私なんて、まだ一体も処理する力がなくて、

いつまでたっても汚物処理班だよ」


そう声をかけてきたのは、

1年前に、この場所へ連れてこられた少女だった。


リラ。

貴族たちからは、「159番」と呼ばれている。


同じ10歳ほどの年頃だが、

胸元には、術理核を埋め込まれた痕が、

生々しく残っていた。


彼女の言う“汚物処理班”とは、

分解術に比べれば負担が少ないとされる、

浄化術を任される新米の班だ。


排泄物や汚水を、術理で処理する。

それでも過酷であることに変わりはないが、

分解術理とは、消費されるエネルギー量が桁違いだった。


「ううん。

慣れてるだけだよ」


エウラは、淡々と答える。


「もう、5年やってるから」


「……5年も?」


リラは、目を大きくした。


この処理場に連れてこられるのは、

たいてい10歳前後の子どもだ。

5歳から連れてこられる者など、まずいない。


「でも……

大人でも、一体が限界なんだって……

エウラは、本当にすごいよ……」


「すごくなんか、ないよ」


エウラは首を振る。


「ただ……

もう慣れちゃってるだけ」


「……でもさ」


リラは、ぽつりと続けた。


「いつまで、

こんなこと、しなきゃいけないんだろう」


「…………」


エウラは、答えなかった。


リラの声には、

怒りも、悲しみも、ほとんど乗っていない。


疲れ切っているというより――

あまりにも長い諦めが、

底に沈殿してしまったような、

そんな響きだった。


◆◆◆


死体分解の作業は、

5年間、毎日続けられた。


最初のうち、エウラは震えていた。


死体の肌は冷たく、

灰色に変色し、

口を開けたままのものもある。


腕が、もげかけている者。


体中に蛆が湧いている者。


血が固まり、黒くこびりついている者。


夜、眠ろうとしても、

閉じたまぶたの裏に、その顔が浮かんだ。


うつろな目が、ぎょろりと動き出す錯覚に襲われる。


眠れない夜が、何度もあった。


泣き出したこともある。


だが――

泣いたところで、誰も慰めてはくれない。


泣けば、監督官に殴られ、

「泣く暇があるなら働け」と蹴り飛ばされる。


それが、いつものことだった。


さらに、ときおり――

まだ、生きている者が運ばれてくることもあった。


分解する直前に、息絶える者。


作業台に乗せられてから、死ぬ者。


「生きたい……」


「死にたくない……」


重症の兵士。


疫病に侵された子ども。


病に伏した母親。


医療の発達していないこの時代では、

深手を負うか、

疫病にかかれば――

それは、ほぼ死を意味していた。


彼らのうめき声は、

時間が経つにつれて弱まり、

やがて、静寂へと溶けていく。


その瞬間――


エウラは、いつも同じ感情を抱いた。


――いいなあ。


――死ぬことができて。


自分は、なぜ、

まだ生きているのだろう。


希望も、未来もない。


ただ、死体を分解するためだけに、生かされている。


死体を処理するたび、

彼女の胸には、

黒い泥のようなものが、少しずつ溜まっていった。


それは、


感情の欠片が腐ったものなのか。

怒りなのか。

嫉妬なのか。

絶望なのか。

自分でも、わからない。


ただ――


日に日に、それが濃く、


深く、


沈殿していくことだけは、はっきりと分かった。


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