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弁護士は、現代社会に暮らす、悲しみを抱いた魔女達を救いたい  作者: れさ
第二章 最古の魔女と呼ばれし者

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――第4話 即席クッキング:一匹まるごと熊レシピ♪――


雪の上に出ると、

空気が一気に冷たくなる。


だが、不思議と、

さっきよりは幾分マシに感じた。


自分の身体が、

ほんの少しだけ、この環境に慣れてきたのかもしれない。


小屋の脇には、

簡易的な調理場らしきスペースがあった。


木の板で組まれた台。

その上に置かれた、古びた大鍋と鉄のフライパン。

刃こぼれした包丁が、いくつか。

雪を踏み固めて作った足場の上で、

エウラが、まるでピクニックでもしているかのような顔で待っていた。


熊の巨体は、

台の横に横倒しになっている。


先ほどとは違い、

頭部と前足の一部に、

一本線を引いたような痕が残っていた。


おそらく、エウラが何かしたのだろう。

だが、詳細までは分からない。


「来たわね」


エウラは、嬉しそうに笑う。


「ちょうどよかった。

私ひとりじゃ、解体に時間がかかるから。

あなたも、手伝ってね」


「え……解体って、

そんな本格的なこと、するの?」


「当たり前じゃない」


きょとんとした顔で、即答だった。


「どうやって食べるのよ。

この子が、勝手に食材になってくるわけじゃないでしょ?

腐っちゃうじゃない」


少しだけ、声を強める。


「せっかくの食材を無駄にするなんて、

リネア使い以前に――

シンプルに、人としてどうかしてるわ」


「……君の基準、よく分からないね」


口ではそう言いながらも、

逃げるという選択肢は、最初からなかった。

ここで「無理だ」と投げ出したら、

彼女がどう感じるか分からない。


それに――


これは、自分の食料でもある。

多少なりとも関わっておいたほうが、

後で文句を言う権利くらいは、持てるはずだ。


「分かった。

やれる範囲で、やってみるよ」


「よろしい」


エウラは、満足そうに頷き、

包丁を一本、ひょいと投げて寄こした。


慌ててキャッチした瞬間、

金属の冷たさが、掌に突き刺さった。


「まずは、毛皮を剥ぐところからね。

細かいところは私がやるから、

大雑把に手伝ってくれればいいわ」


「え……毛皮って……

そんな簡単に剥げるもんなの?」


「簡単じゃないから、手伝ってって言ってるのよ」


エウラは笑いながら、

熊の腹のあたりにしゃがみ込む。


その仕草は、まるで

ぬいぐるみのボタンを外そうとする子どもみたいに軽い。


だが――


包丁の刃が毛皮をなぞるたび、

筋肉と脂肪を裂く、鈍い音が確かに響いた。


※※※


最初の一時間は、

ほとんど地獄だった。


重い熊の体勢を変えるだけで、

非力な悠斗は、全力を出さなければならない。


雪の上は滑りやすく、

何度も転びそうになる。


エウラの指示に従い、

毛皮を引っ張り、

不要な部分を切り離し、

肉を切り出す。


そのたびに、

普段の生活では嗅いだことのない、

生臭い匂いと、

温かな血の気配が立ち上ってきた。


「……うっ」


鼻をつく臭気に、思わずえずく。

だが、エウラは首をかしげるだけだった。


「大丈夫?

意外と、こういうの慣れてないのね」


「“意外と”って、なんだよ……」


「だって、ほら。悠斗、

私のところに来る前、そこそこ荒事に巻き込まれてたんでしょう?

もっと、臓物とか見慣れてるのかと思ったわ」


「どんな偏見だよ、それ……!」


ツッコミを入れながらも、

手は止めない。

止めれば、その分、作業時間が延びるだけだ。


やがて、


毛皮がある程度剥がされ、

肉が切り分けられる頃には、

腕の感覚が、悲鳴を通り越して薄れてきていた。


「エウラ……

マジで、きつい……」


「そう?

私は、結構楽しいけど」


「君と一緒にしないでくれ……」


それでも、

エウラの表情は、どこか楽しげだった。


自分の力で食料を確保し、

それを捌き、調理する――

その行為そのものを、心から面白がっているように見える。


「ほら、これ。

心臓。あと、レバーとかもね。

ちゃんと食べるのよ。栄養があるから」


「うわ……リアルだな。

初めて見たよ……」


「リアルって何よ。

当たり前でしょ? リアルなんだから」


軽口を叩きながら、

エウラは手際よく内臓を分別し、

食べられるものと、そうでないものを分けていく。

その動きは、妙に慣れていた。


「……前から、

こういうこと、やってたのか?」


ふと漏れた問いに、

彼女は手を止めることなく答える。


「昔からね。

山で過ごしてた時期、結構長いの。

人里から離れて暮らしてると、

自分で獲って、自分で捌いて食べるしかないでしょ?」


「いや……

普通は、そうでもないと思うけど……」


「普通じゃないわよ。私は」


あっさり言われてしまうと、

こちらとしても、返す言葉がない。


作業は、延々と続いた。


切り分けた熊の肉は鍋へ放り込まれ、

雪を溶かして水に変える。

塩と、乾燥させた香草が、

小さな瓶から惜しげもなく加えられていく。


「調味料……あるんだな」


「あるわよ。

これでも私、食べることにはうるさいの。

おいしくないと、やる気出ないもの」


「そこは、普通なんだな……」


雪で冷やした石の上に並べられた肉片が、

次々と鍋に沈んでいく。


やがて、

火が入れられ、

鍋底がじわじわと温まり始めると、

湯気が、静かに立ち上った。


熊肉特有の匂いに、

香草と塩の香りが重なり、

さっきまで生々しかった臭気が、

次第に――


「食欲をそそる匂い」へと変わっていく。


「……なんか、

うまそうだな」


正直、熊肉なんて食べたことはない。

それなのに――

胃が、きゅうっと鳴った。


自分の身体が、

理屈より先に反応している。


それを見て、エウラはちらりと悠斗に視線を向け、

くすっと笑った。


「さっきまで、顔真っ青だったのにね」


「悪かったな。人間らしくて」


「いいじゃない」


彼女は、気にする様子もなく言う。


「私、人間らしさって――

嫌いじゃないわよ」


そう言って、

鍋の蓋を少しだけ持ち上げ、

中の様子を覗き込んだ。


ぐつぐつ、と。


煮立つ音が、

心地よいリズムで耳に届く。


鍋が音を立てている間、

二人のあいだに流れる空気は、

不思議なほど穏やかだった。


雪は、相変わらず降り続いている。


森は静まり返り、

風の音と、

ときおり枝から雪が落ちる音だけが、かすかに響く。


その真ん中で、

湯気を上げる鍋。

人の暮らしの匂いが、

ほんの少しだけ、

この孤立した場所を満たしていく。


「……なぁ、エウラ」


「なぁに?」


「さっきの熊さ。

やっぱ、リネアで?」


一瞬だけ、


エウラの目が細められた。


けれど、

すぐにいつもの調子に戻り、肩をすくめる。


「さぁ。どうかしらね」


「教える気、ないね。それ」


「いいじゃない。

結果的に、あなたのご飯になるんだから」


それは、まあ、そうなのだが。

納得したかと言われると、微妙だ。


けれど――

これ以上、踏み込まないほうがいい話題だということも、

なんとなく分かる。


悠斗は、

鍋から立ち上る湯気を、ぼんやりと眺めた。


(……こうしてると、

なんか、普通のキャンプみたいだな)


どこが普通なんだ、と

自分で自分にツッコミを入れたくなる。


それでも。

今は、それでいい気がした。


命の危険も。

自分の置かれた立場も。

リネア使いという存在の理不尽さも。


そういったものを、

ひとまず――

湯気の向こう側に押しやって。


ただ、空腹と。

匂いと。

目の前の、これから食べるもののことだけを考える。


「……なぁ、エウラ」


「なに?」


「ありがとう。

一応さ……一命は取り留めてるし、

こうして、ご飯まで食べさせてもらって」


それは、本音だった。


どんな理由であれ、

彼女が手を出さなければ、

自分は、たぶん死んでいた。


そして今――


こうして、湯気の立つ鍋を前に、

腹を鳴らしている。


エウラは、少しだけ目を丸くして、

それから、にやりと笑った。


「どういたしまして」


肩をすくめるように言ってから、続ける。


「ちゃんと生きて、

ちゃんと食べて、

ちゃんと怖がってくれると――

連れてきた甲斐があるってものよ」


「……最後の一個、余計じゃない?」


「ふふふ」


彼女の笑い声。


鍋の煮える音。


そして、雪が降り続く、かすかな気配。


それらが混ざり合う中で、

悠斗は、自分の指先が

じんわりと温まり始めていることに気づいた。



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