――第22話 藍・明華――
雷神の槍が振り下ろされ、
大地に巨大なクレーターが刻まれてから――
数秒後。
祈は、元の場所へと駆け戻ってきた。
「――結乃様!」
その声は、切迫していた。
だが、祈は足を止める。
一瞬、理解が追いつかなかった。
結乃の姿が――
変わっている。
黒かった髪は、深紅に染まり、
闇を映していた瞳は、黄金の光を帯びている。
だが、それ以上に――
「祈!
先生を……!」
結乃の叫びが、祈の思考を引き戻した。
「……っ!」
祈は即座に視線を走らせ、
倒れている悠斗を見つける。
駆け寄り、膝をつき、
その身体を確かめた瞬間――
祈の表情が、凍りついた。
(……だめだ)
心臓は、
カルテットの術理によって完全に破壊されている。
この損壊を修復するには、
同格――
カルテットの治癒術理が必要だ。
だが。
(……そんなもの……)
地球上に、
それを安定して扱える人間は存在しない。
「……結乃様……これは……」
祈は、言葉を失う。
さらに、
結乃が今、魔法に覚醒しているのであれば――
魂の連携は、
すでに完了している。
つまり。
(……戻すべき魂が……)
もう、
どこにも存在しない。
引き戻す先がない。
縫い留める魂がない。
手当のしようが、なかった。
祈は、
静かに首を振った。
――そのとき。
ドクン。
祈の手のひらに、
はっきりとした脈動が伝わる。
「……?」
もう一度。
ドクン。
空洞になっているはずの、
悠斗の胸の奥から。
確かに。
確かに、鼓動があった。
祈は、息を呑む。
結乃も、
それを感じ取ったように、
震える指で、悠斗を見つめた。
ありえない。
理屈が、すべて否定する。
――それでも。
命は、まだ、そこにあった。
祈は、はっと息を呑み、
すぐさま術を起動した。
「……アナライズ」
淡い光が走り、
悠斗の状態が祈の認識領域に展開される。
――脈動がある。
それも
(……同じ……?)
祈は、思わず結乃の胸元へ視線を走らせる。
結乃の心臓の鼓動と、
まったく同じタイミング。
同じリズム。
同じ間隔。
(……生きている)
確信に近い直感。
(悠斗様の“心臓の代わり”を、
結乃様の心臓が……?)
理由は、分からない。
原理も、理論も、説明できない。
魂の連携が成立している以上、
死は免れないはずだった。
にもかかわらず、
悠斗は、生きている。
(……イレギュラー)
それ以外に、考えられない。
だが。
今は、理由を探るときではない。
(……今できることを)
祈は、深く息を吸い、
即座に判断を下す。
――応急処置。
カルテットの治癒は不可能。
だが、トリオなら。
「……」
覗き込む結乃の瞳は、
不安と希望が入り混じっていた。
「……祈……」
「……成功する保証はありません」
祈は、正直に告げる。
「ですが……
やるだけ、やってみます」
そして、静かに、しかし確かに唱えた。
「トリオ・リストア《エレメント》」
術式が展開され、
柔らかな青い光が悠斗の身体を包み込む。
光は、脈打つように揺れ、
破壊された部位を覆い、
“繋ぎ止める”ように流れ込んでいく。
祈は、動かない。
結乃も、息をするのを忘れたように見守る。
※※※
――しばし。
風の音も、
虫の声も、
すべてが消えたかのような、静寂。
そんな静かな森に、
唐突に、軽い音が鳴り響いた。
ぱちぱち……
ぱちぱち……。
――手を叩く音。
それは、
勝利を讃えるとき。
才能を見出したとき。
人を称賛するときにだけ鳴らされる、音。
場違いにもほどがある。
音の出どころは、
あの――クレーターだった。
抉れ、焼け、
まだ熱を残す大地の底から。
一人の男が、
拍手を続けながら、ゆっくりと姿を現す。
深く被ったハット。
身体に吸い付くように仕立てられた、黒いタキシード。
身長は175センチほど。
若く、美しく、
どこか現実感のない雰囲気を纏った男。
まるで、
最初からそこにいる予定だったかのように。
拍手を止め、
男は顔を上げた。
その瞳は――
エメラルドグリーン。
夜の森の中でもはっきりと分かるほど、
鮮やかで、澄んだ色。
口元には、余裕に満ちた笑み。
自分の立ち位置も、
この場で起きたすべての出来事も、
完全に把握している者だけが浮かべられる表情だった。
男は、祈と結乃、
そして悠斗へと視線を巡らせる。
まるで舞台の上の役者たちを眺める、
観客のように。
そして最後に、
満足そうに、もう一度だけ――
ぱち。
小さく、拍手を鳴らした。
「いやー。おみごと、おみごと」
男は、
まるで芝居の感想でも述べるように、軽く言った。
「外殻をぶっ壊されたのなんてさ。
一度だけだよ――
ヴォルクハルトのやろうと、真正面からやり合ったとき以来だ」
そう言って、
男はゆっくりと結乃を見る。
視線が、絡みつく。
「……お、おまえは……?」
結乃は、戸惑いを隠せないまま問いかけた。
「えー?
久我家の因縁、忘れちゃったのかい?」
男は肩をすくめ、
そして――
まるで舞台の終幕で、
観客の拍手に応える役者のように。
ぺこりと、
大げさに一礼した。
「こんばんは。お嬢様方」
朗々とした声。
しかし、その奥に、確かな冷たさがある。
「わが名は――
【月】のリネア使い、
藍・明華と申します」
一語一語を、
噛みしめるように続ける。
「今宵に至りましては、
このような良き出会いに相まみえましたこと、
誠に――
大変、喜ばしく存じます」
そう言って、
男は頭を上げた。
その瞬間。
ぎらりと、
エメラルドグリーンの瞳が、結乃を射抜く。
(……まさか……)
背筋に、冷たいものが走る。
(……今までのは……)
(……本体じゃ、なかった……?)
理解した瞬間、
胸が締めつけられる。
――この男が、本物の藍。
TIMMAですら、
素顔を掴めていない。
記録も、映像も、証言もない。
月のリネア使い。
「……っ」
結乃は、歯を食いしばった。
魔法の反動で、
身体が、言うことを聞かない。
指先すら、重い。
祈も――
今は完全に集中を切らせない。
悠斗の命は、
祈の術理に、
かろうじて繋ぎ止められている。
(……動けない……)
(……二人とも……)
男は、その状況を
すべて理解した上で、
楽しげに言った。
「では」
一歩、前に出る。
「――終焉と、いきましょうか」
今からダンスでも始めるかのような、
軽い口調。
だが、その言葉は――
処刑の宣告だった。
夜の森が、
静かに息を詰める。
舞台は整った。
役者は揃った。
――そして、
第二幕が、始まろうとしていた。




