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弁護士は、現代社会に暮らす、悲しみを抱いた魔女達を救いたい  作者: れさ
第一章 世界の裏側に触れた日

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――第18話 新たな決意――

※※※


2025年10月28日 7:00


今日は、結乃の17歳の誕生日だ。


朝はいつもと変わらない。

目を覚まし、制服に袖を通し、鏡の前で髪を整える。

特別な日だという実感は、まだ胸の奥に沈んだまま浮かんでこない。


放課後には、真神先生のセミナーがある。


そのまま参加する予定だった。

玄関ホールを抜け、運転手が待つ車へ向かおうとした、そのとき。


「結乃」


背後から、父――正義の声がした。


「なに? 父さん」


振り返ると、正義はいつになく穏やかな表情で立っている。

結乃が外へ出ようとするのを、軽く手で制した。


「結乃、誕生日おめでとう」


「……ん、ありがと」


少し照れたように、結乃は微笑む。


「今日はね、結乃の誕生日パーティーをするから」


正義はそう言って、淡々と、しかし丁寧に言葉を続けた。


「20時から、オールドスカイホテルのレストランを予約してある。

真神先生のセミナーが終わる頃に、そちらに運転手を迎えに行かせるよ」


一瞬、結乃の目が見開かれる。


「先に席について、待っていなさい。

父さんたちは22時頃に合流するから、それまで祈と二人で食事を楽しんでなさい」


結乃はぱっと表情を明るくした。


「えー! うれしい! めっちゃ楽しみ!

ありがとう、お父さん!」


はしゃぐようにそう言って、玄関を駆け出す。


「ああ、行ってらっしゃい。結乃。愛しているよ」


正義がそう告げると、

結乃は大きく手を振りながら、


「いってきまーす!」


と、いつもの調子で応えた。

その背中が玄関の向こうに消えるまで、

正義は静かに見送っていた。


「……」


「祈」


声の温度が、はっきりと変わる。


「はい、旦那様」


祈は一歩下がり、静かに佇んだ。


「今日は何の日かわかるだろう?」


「……はい」


短く、しかし迷いのない返答。

正義は一瞬だけ視線を落とし、

やがて懐から一つの木箱を取り出した。


「これを」


差し出されたそれを、祈は両手で受け取る。


「これは……?」


「君の御父上の遺品だ」


正義は淡々と告げる。


「私と、君の御父上の魂の連携(リンク)も、

今日で最後になる」


祈の指が、わずかに強く箱を握った。


「朽木家は、久我家にとって計り知れない貢献をしてくれた。

これは、私から君への――感謝のしるしだ」


静かに、祈は箱を開ける。

中に収められていたのは、

光をほとんど反射しない、漆黒のスティレット。

細く、無駄のない刃。

美しく、そして冷たいほどに静かな存在感。


祈は言葉を失ったまま、それを見つめていた。


「ありがとうございます。

私は、旦那様には感謝しかありません。

それに、このような立派な一品まで賜るとは……天にいる父上も、きっとお喜びでしょう」


祈は深く頭を垂れた。

正義は一拍置いてから、もう一つ、封筒を取り出した。


「祈。お願いがある」


「……はい」


「今日のオールドスカイで、結乃にこれを渡してほしい」


そう言って差し出された封筒を、祈は慎重に受け取る。


「これは……?」


「遺書だ」


祈の指が、わずかに止まる。


「そこには、これから結乃がやるべきことが書かれている。

22時になったら、渡してやってくれ」


一瞬、言葉を探す沈黙が流れたが、

祈はすぐにそれを飲み込んだ。


「……かしこまりました、旦那様。

本当に、今まで大変お世話になりました」


そう言って、祈は深く、丁寧に頭を下げる。


「さあ、君もここを出なさい。

今は――ここも危険だ」


「明日になったら、戻ってきなさい」


「承知いたしました」


祈はもう一度、静かに頭を下げると、

気配すら残さず、その場から消えた。


玄関ホールに残ったのは、正義ただ一人。


「……ふう」


小さく息を吐き、背後を振り返る。


「始めようか。成子」


「ええ」


短い返答。

それ以上の言葉は交わされなかった。

2人はただ、同じ方向を見据え、

静かに、しかし確固たる決意を固めていた。


※※※


2025年10月28日21:50


オールドスカイホテル36階。


レストラン〈ジャズメリー〉では、ピアノの旋律にベースとブラシが静かに寄り添い、夜の空気を柔らかく満たしていた。

窓の向こうには、上賀市の灯りが宝石のように広がる。

この街で最も格式の高いホテル――その最上階にあるこの店は、予約が極めて困難で、名のある資産家でさえ滅多に席に着けないと噂されている。


結乃は、その“特別”の中にいた。


祈と向かい合い、ゆったりとした時間の流れに身を委ねながら、コース料理を一皿ずつ味わっていく。


アミューズは、黒トリュフのグジェール。

ひと口で、夜の始まりを告げる香りが広がった。


続く冷前菜は、帆立の軽いマリネ。

ほのかな甘みと柑橘の余韻が、グラスの音と重なる。


温前菜のフォアグラのポワレは、

深みのあるコクで空気を変え、


魚料理――甘鯛の鱗焼き 

シャンパーニュバターソースが、軽やかな高揚を運んでくる。


一拍置くように供された、柚子とミントのグラニテ。

その清涼感が、次の一皿への間をつくった。


メインは、和牛フィレのロースト 赤ワインとエシャロット。

余計な主張のない火入れが、確かな満足感を残す。


締めくくりは、

ビターチョコレートのテリーヌ ラムレーズンアイス。

甘さは控えめで、夜にふさわしい苦味が静かに舌に残った。


「んー! 大満足ー!」


結乃は、素直な声でそう言って笑う。


「ねえねえ、もうそろそろ父さんたち来る頃だよね?

なにかサプライズかな?

ね、祈!」


期待に弾む声。

灯りを映した瞳。

無邪気で、あまりにも自然な笑顔。


――ほほえましい。


けれど。

伝えなければならない。

今夜、必ず告げねばならない大切な事実がある。


祈は、胸元に触れそうになるのを堪え、視線を落とした。


ジャズは変わらず流れている。

時間も、穏やかに進んでいる。

だが、22時は、もうすぐそこだった。


祈は迷う。


この笑顔を、あと何秒、守っていられるのかを。

――そして、決断の刻は、確実に近づいていた。


※※※


最近の結乃様は、生きる活力に満ちている。


2年前の、まさにこの日。


結乃様は正義様から術理核を譲り受け、久我家の宿命をその身に背負わされた。

あまりにも重すぎる責務だった。

その重荷に耐えきれず、結乃様は生きる気力を失っていった。


あの頃の彼女は、笑わなかった。

未来を語らず、自分の存在価値を疑い続けていた。


――それが、変わった。


真神悠斗との出会い。


それだけで、世界が色を取り戻したかのようだった。

一度も、まともに言葉を交わしたことすらないというのに、


「先生はね」「先生がね」と、

まるで長年の知己を語るように、毎日のように祈に話しかけてくる。

その姿が、祈は好きだった。


主としてではなく、

一人の友人として。


人生に悲観し、沈み込んでいたあの頃の結乃様は、

正直、見ていられなかった。


何もしてあげられなかった自分が、

ただ、悔しかった。


――それなのに。


今、目の前にいるこの少女に、

この事実を伝えてしまったら。

また、あの暗い日々に戻ってしまうのではないか。

笑顔を失い、未来を閉ざしてしまうのではないか。


そう思った瞬間、


胸の奥で必死に押さえ込んでいた感情が、堰を切った。

祈の視界が、滲む。


一粒、また一粒と、

止めようのない涙が頬を伝い落ちる。


「……っ」


声にならない嗚咽。


結乃は慌てて立ち上がった。


「い、祈……?」


祈は、ひっく、ひっくと、子どものように泣いていた。

肩を震わせ、必死に声を抑えようとしている。


それは――


正義と成子がいなくなったことへの悲しみではない。


目の前の少女を泣かせることになってしまう。

その罪悪感に、耐えられなくなったのだ。


「結乃……さ……ま……ひっく……

わ、私は……」


言葉は途切れ、形にならない。

その様子を見て、結乃はすべてを察した。


「……そう。

そうなのね? 祈」


問いかけは、確認ではなかった。

受け入れるための、静かな言葉だった。


「……」


祈は答えない。

ただ、涙に濡れた瞳で、結乃を見つめ返す。

それが、何より雄弁だった。


「……そうか。

そう、そうか……」


結乃は小さく、何度もそう繰り返した。

涙を流すまいと、必死に耐える。

背筋を伸ばし、顔を上げる。


けれど――


唇は、どうしても震えてしまう。


「……っ」


喉が詰まり、呼吸が乱れる。


ぐすん。

ぐすん、と。


結乃の目からも、静かに涙がこぼれ落ちた。


それでも彼女は、

泣き崩れなかった。


泣いている祈の前で、

強くあろうとすることを、選んだのだ。


「……それで?

父さんからは、何か……?」


結乃は祈に問いかけた。

声はかすれ、涙はまだ止まっていない。


「……」


祈は答えない。

ただ、両手で大切そうに――けれど震えを隠せないまま、

封筒を差し出した。


「……」


結乃もまた、何も言わずにそれを受け取る。


封を切り、

中の和紙を、静かに広げる。

ぱら、ぱら、と紙の擦れる音だけが響いた。

文字を追う結乃の視線は、途中からほとんど動かなくなった。


一枚、また一枚。


読み終えると――

ばさり、と。

結乃は紙を閉じた。


表情は変わらない。


「……」


祈は、喉を鳴らし、

恐る恐る口を開く。


「……旦那様は、

なんと……?」


結乃は、うつむいたまま口を開いた。


「……先生に、魂の連携(リンク)の術理をかけているそうよ」


祈の肩が、わずかに揺れる。


「“これを見た瞬間にでも、発動させなさい”……ですって」


それが何を意味するのか、

祈にも理解できた。

だからこそ、言葉が詰まる。


「……それは……」


「父さんたちが、先生に近づいた理由は、これだったのね」


結乃は自嘲気味に、息を吐く。


「私も……もっと早く気づくべきだったわ」


魂の連携(リンク)

それは、TIMMAにおいても、久我家以外では禁術とされている、ある秘術を発動させるために必須な術理だ。

――最も、久我家以外には再現不可能な術なのだが。


久我家が、長年にわたって

藍から黒涙を守り続けてこられた理由。

その核心が、この術にあった。


強化の術理核を“杭”とし、

久我家の後継者と、対象の魂を連携・固定する。


杭にされた側の魂は、

その過程で壊れる。

二度と、人として生きることはできない。


結乃は、静かに言い切った。


「……先生に刻まれた魂の連携(リンク)は、解呪できないわね」


視線を上げず、続ける。


「しかも、おそらく……

時間経過による自動発動の術式も、併せて刻まれている」


短く、乾いた笑い。


「……やってくれたわ。父さん」


結乃は苛立ちを抑えきれず、

ガシガシと乱暴に頭をかいた。

その様子を見て祈は驚きの目で見る。


「……結乃様。その……本当に、大丈夫なんですか?」


祈は、恐る恐る尋ねた。


「ん? 何が?」


結乃は、あっけらかんと首をかしげる。


「その……旦那様と、奥様が……」


「ああ」


結乃は短く声を出し、少し考えるように視線を泳がせたあと、言った。


「そうね。最初は悲しかったけど……もう大丈夫」


ふっと、柔らかく笑う。


「2年も前に、予告してくれてたおかげかな。

心配してくれてありがとう、祈」


――強くなったのだ。


祈は、その言葉よりも、その表情を見てそう思った。

胸の奥に溜まっていた不安が、すうっとほどけていく。


すごく。


とても、すごく。


安堵した。


「……それで、結乃様。

魂の連携(リンク)は、どうされるおつもりですか?」


発動させるのか――


そう問いかける祈の声は、わずかに震えていた。


「しないわよ」


結乃は即答した。


「だって、先生の命を奪うことでしょ? これ。

そんなこと、できるわけないじゃない」


少しも迷いのない声。


「どうにかして、解呪するわよ」


「……でも、藍は……」


祈は、どうしても不安を拭えずに言う。


「しばらくは、スターライトに込められた久我家の秘術で何とかしましょ」


結乃は、指先でテーブルを軽く叩きながら考える。


「それより、まずは先生に刻まれている術式を確認しないとね」


「……」


「んー……」


顎に指を当て、少し悩んだ末――


「……依頼しましょうか。後見人」


そう言って、

結乃は、にやりと笑った。

まるで、これは名案だと言わんばかりに。

それを見て、祈は思わず――


(結乃様……)


本当に、大丈夫なのだろうか。

そう心配してしまう自分に、少しだけ苦笑する。


けれど同時に、

この少女が、もう“守られるだけの存在ではない”ことも、

はっきりと理解した。



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